薄暗い焔硝蔵から出ると、現実の空は黄昏に染まっていた。じっとしているのが嫌で、委員としての仕事は殆んどないに等しいのに一人で蔵の整理に没頭していたら結構時間が経ってしまったようだ。錠をして、ふと辺りの木や茂みに目をやる。思い出されるのは、昔よくここで竹谷や三郎たちとかくれんぼなんかをして遊んだこと。あの頃はやたら三郎が強くて、あまり面白くなかったなと記憶している。今では当然のようにそんな遊びもしなくなってしまった。そんなことも、たった数年で簡単に変わってしまう。成長した背丈だって、いつの間に出来た微妙な距離だって。けれどそれに反して、最近はよく泣いていた。あの時は知らなかった想いが、そういった大切な思い出を汚してしまった。それが原因で一晩中泣き腫らした目が痛い。頭がまだぼんやりしている。全てを忘れるとして、それでも忘れたくないあの頃の記憶があった。不意に近くで鳥が鳴いて、それに目を向けた時だった。


「兵助」


これでもう何度目だろう。疲れたはずの体はそれでも条件反射のように跳ね、そのまま振り返ることなど出来ず早足にその声から逃げ出した。高鳴る鼓動が煩くてたまらない。名前を呼ばれるだけで、息が出来なくなる程に苦しい。半ば怒鳴りつけるようにしてみっともなく全てを吐露した昨日。もう何も望まないと、そう誓ったのに。また込み上げてくるそれを必死に堪えながら、振り切るように歩き続けた。


「頼む、逃げないでくれ」
「……」
「兵助」
「……」
「兵助!」
「呼ぶな…!」


ついに腕を捕まれ、制御できない感情で思わず叫んでいた。背を向けたまま、目をぎゅっと瞑った。捕まれた手首が熱かった。それでもそれを感じまいと、心中必死になってもがいていた兵助の耳に、


「…好きだ」


意を決したように発せられた言葉は空気を伝って届いた。そしてその動きを止めさせた。竹谷はほとばしる身体の熱もそのままに、構わず言葉を続けた。


「好きだ、兵助…大好きだ」


苦しげな声は、まるで昨夜の兵助のそれのようだった。けれどこれまでに捻れに捻れてしまった二人の間では、単純であるはずの想いが簡単に伝わることなど出来るはずもなかった。西からの橙が二人の横顔を照らし、その影を引き延ばした。


「…違う」
「違わない!三郎や雷蔵へのそれじゃない…後輩たちへのそれじゃない。これは兵助だけへの好きだ」
「…違っ…」
「…兵助を抱き締めた後に…伸ばされた手とか、女の子に…想いを告白されたときも…不思議な気分だった。でもその意味にやっと気付けたんだ…俺は兵助のことが好きで、だからなんだって。さっき、その子には好きな人がいるからってちゃんと断ってきた。聞いて欲しいんだ…」
「…っ…」
「好きだ、兵助。好きなんだ」
「……おれは…っ、」


溢れ出た涙を拭うことなく目を強く瞑ったままだった兵助は頭を垂れた。竹谷のことなら何でも分かると思っていた。それなのに、こうも分からないことばかりで。けれど…だって、こんなに必死で真剣な竹谷は知らない。それが導いた答えに、大粒の涙が地面に落ちて、素早く吸い込まれた。


「…せめて、ただ許して欲しかった…」
「兵助…」
「…おれはそれ以上、何も…何も望まなかったのに…」
「…それを罪のように言わないでくれ」
「…おれにとって、罪だった」
「…ごめん。ごめんな…兵助」
「…っ」
「お願いだ…嫌いにならないで」


今まで信じることがこうも難しいこととは知らずにいた。けれどそれでも、信じたいという気持ちが兵助の中で次々と溢れ止まらなかった。あれだけ流してもう枯れてしまったと思っていた涙が、また落ちた。


「…嫌いになんかっ…なれるわけ、ないだろ…」


竹谷は目の前の随分と小さく見える肩を掴んで、力任せに身体をこちらに向かせた。次の瞬間、しっかりと合ったその目に、全てを捕らえられた気がした。これ以上ない位に胸が熱くなった。今ならばはっきりと分かる。はっきりと言えることがある。


「好きだ。この存在全てで、俺はいつも兵助のことを想っている」


だからもう、泣かないで。そう言って兵助を力一杯抱き締めた竹谷は自分を突き動かすこの力の正体を、今ははっきりと理解した。そしてこの存在の体温を、少しでも逃したはくなかった。


「俺を信じて…預けて欲しい」


痛い程強く捕らえた腕の中の兵助は、それでも尚、微かに震えていた。自分の罪の深さを噛み締めて、更にその腕に力を入れた。自分でも怖くなる程の想いが竹谷を支配していた。これ程までに誰かを愛しいと思ったことなど一度だってない。思わず泣きそうになりながら、もうこの数分間で何度めかの言葉を口にした。恥ずかしさなど微塵も感じない。伝えたくて、たまらなかった。


「好きだ」


ゆっくりと遠慮がちに竹谷の背中に手をまわした兵助は、もう強がることをやめた。許された想いを止めるものは、もう何もない。この想いは決して無駄ではなかった。そう言ってくれたのは他でもない竹谷本人だった。疑うことなど出来るはずもない。嬉しいという実感がゆっくりと沸き上がり、どうにかなってしまいそうだった。夢にまで見た、竹谷が自分を好きだと言った。夢じゃないと、この抱き締められて苦しい位の痛みが証明してくれている。


「…おれも…好きだ」


そしてようやく自分を許せる気がして、二人は笑った。すぐそこまできている夏の、色のついた風に包まれて笑った。そこにはもう、心からの笑顔しかなかった。















僕らはゆたに揺いながら
それでも変わらない
いつでも君を愛してる

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