俺はさぁ、とどこか人を馬鹿にしたような笑みを浮かべた三郎はこちらを見ずに言った。会社の飲み会の帰り、三郎のマンションへと向かう通りは街灯が少ないが、月明かりがそれを補っていた。夏の気配を纏う空気の匂いが不思議と懐かしい気を抱かせるそんな夜。飲みすぎて熱い体に、それはまだ心地良い温度だった。


「いいと思うぜ」
「…何が」


既に着崩れたシャツとネクタイをも取り去り、シャワーを浴びて(本当は湯船にでも浸かって酒を抜きたいところだが)とにかく早くベッドに横になりたいと、まだ少しぼーっとする頭でそう考えていた竹谷は、難しい顔を隣の三郎に向けた。その横顔からは何を考えているのか、読み取れそうになかった。


「結婚して子供もいて、そんな普通の家庭」
「……は?」


そうは見えないが、こいつは酔っているのだろうか。その三郎の視線は頭上。空の月を見ているのだろう、それは満月には少し足りない形をしていた。そこでふと思い出した。それは先程の飲みの席で同僚たちと話していた内容だ。その時三郎は話に加わらなかったが、もちろん耳には入ったはずだった。


「一般的な幸せってやつさ」
「…お前がそういうこと言うの、意外だな」
「否定はしねぇなぁ」


その答えに、いつものことながら何を考えているのか分からないと、竹谷は頭を掻いた。確かに、互いにそういうことを意識する年齢ではある。事実、最近も何人かの友人が結婚した。


「俺は全く想像つかねぇなー…」


特に憧れがある訳でも焦っている訳でもない。いや…正確には、それは同姓婚が認められていないからであり、それは俺がこいつを好いているからだ。まぁ、それが出来たとしても自由を好むこいつはそれを面倒くさいとでも言って望まないだろうが。


「風呂、俺が先だかんな」
「へいへい」


気が付けば、いつの間にか見慣れた部屋の前に着いていた。三郎はドアに鍵を挿し入れながら、意図を測りかねる言葉を続けた。


「でもお前、いい父親になるんじゃねーの」
「…俺は、」
「まぁまぁ、入れよ」


背後でガチャンと音をたてて、ドアが閉まった。しかし、目の前の背中はじっとしたまま、動かない。


「…三郎、」
「勘違いすんなよ」


そう言って振り返った三郎は、心底楽しそうな笑みを浮かべていた。それですぐに理解した。あぁ…やられた。またいつものように騙されてしまった。こいつはきっと一流の俳優にでもなれると思う。


「てめぇ…」
「怒ったハチくんも男前ね」
「…勘弁してくれよ」
「なにか?」


三郎は初めから気になどしていなかったのだ。それをまるで自意識過剰とでも言いたげに、笑ってみせる。しかしこれは彼にとって竹谷を試すという意図はない。ただ単に竹谷を使って自分が楽しむだけの行為。質が悪いのはいつものこと。それを分かっていながら騙されるのも、しかしこれは仕方のない事だと竹谷は内心、自己擁護を繰り返しながら溜め息をついて頭を掻いた。それは降参のしるしであることは二人の了解であるが故、三郎の表情は一層憎たらしいものになった。


「…お前随分余裕だな…酔ってねーの?」
「まさか。俺、酒弱ぇし」
「俺も久々に酔ってっからそういうの、止めろ」
「そういうのっつーと?」
「茶化すな」


眉間に皺を寄せると、待ってましたと言わんばかりに三郎は竹谷のネクタイをぐいと引っ張った。必然、近づいた体の熱を感じ取るのは早く、竹谷は納得した。あぁ…こいつはいい感じに酔っている、と。しかしやられてばかりでは悔しいと、三郎の腰を引き寄せてみる自分も相当酔っているのかもしれないと頭の隅で思った。


「お前の体、熱い」
「…酒のせいだろ」
「それだけか?」
「……」
「…本当にそれだけかねぇ?」


これもいつもの挑発。にやりとした顔が近づいて、熱い舌が絡んだ。頭がぼーっとする。熱に浮かされたようにそれはしばらく続いた。息が上がってようやく離れると、体の熱も比例して更に上がったように思えた。


「…厄介だ」
「ははぁ、お前にも手懐けられねぇ奴がいるとはなぁ」
「お前は一生無理だ」


手懐けようなんて、思っちゃいない。思ったところで無理な話だ。それよりは、と竹谷は思う。端から見れば自分たちはせいぜい悪友のようなものだ。しかしそう、そのくらいが丁度いい。


「いい夜、だろ?」
「あぁ…堪んねぇ」















さぁ、俺たちを続けよう

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