圧倒的な情けなさに潰されそうだった。
今までは、この想いを気付かれないようにと自分から一定の距離をとっていた。しかし果たしてそれは、自分だけがそうしていたのだろうか。人と人の関係が、お互いの意識が作り上げるものなのだとしたら。避けていたのは自分だけだったのだろうか。今までだって、竹谷こそ距離をとっていたのではないか。
そうでなくとも。
近づいてきたら避けて、避けられたら近づきたくなる。そんな勝手で馬鹿な自分なのだ。どうしてあんな態度をとった自分と距離をとらない人間がいるだろうか。
どうせ嫌われるのなら、この想いを伝えてから嫌われたかったと、そんなどうしようもないことばかりを考えた。あんなことがあっても、考えるのは竹谷のことばかり。自分で呆れるくらいの想いだった。


「今日は酷い雨だね」
「あぁ…」
「実技授業が中止になってみんな退屈そうだったよ」


雷蔵が言うように、夜更け過ぎから降り出した雨は耳障りな音を立て続けていた。まるで泣けないおれの代わりに、空が泣いてくれているようだった。しかし暗く重い空とじっとり蒸した空気は陰鬱でどうしようもなく、今日何度目かの溜め息をついた。


「…どうするの、兵助」


一日の授業を終えて医務室に顔を出してくれた雷蔵は、おれの顔を見るなり目を見開いた。それほどまでにおれは酷い顔をしていたらしい。雷蔵には事の顛末を全て話した。今までの自分は間違っていたと気付いたこと。しかしそれを伝える前に竹谷に拒絶されたことも。実際言葉にするのは酷く辛かったけれど、それも仕方のないことだった。


「好きな人でも作るよ」
「…兵助」
「今度はちゃんと、友達じゃない女の子をさ」


そんなことは無理なんだって、自分が一番分かっている。ただ、そうでも言わないと笑っていられなかった。惨めさが拭えなかった。


「…疲れたなぁ」
「……」


それは実感として口をついた言葉だった。















土砂降りの冷たい雨が心地よかった。滝のようにそれに打たれながら天を仰いで目を閉じると、浮かぶのは昨日の兵助の顔だった。自然、苦しさに顔が歪む。俺に向けられた笑顔はやはり、つくられたものだった。確証を得た胸が、苦しかった。そして思った。もうこんな自分にあいつの友達だなんて資格はない。辛そうな兵助の顔を見るのは嫌だ。原因は確実に自分にあるはずなのに、それが分からない。分からないから、怖い。また知らないうちに、気付かないうちに、兵助を傷付けるかもしれない。辛いのなら関わらなければいいのに、兵助は真面目で優しいから昨日みたいに無理して普通を装ってでも俺に接してきてくれるだろう。だから、尚更こちらから離れてあげなくては駄目だと思った。けれど本当はそういう偽善的な理由をつけて結局、自分を守る為だったのかも知れない。分からない。しかしそれを告げた時、一番の痛みを己の左胸が訴えた。そして虚しさと空白が襲った。こんなにも俺の中で兵助という存在が大きかったのかと思い知る。もう、きっと元には戻れやしないのに。遅すぎたんだ、何もかも。


「風邪でもひきたいのか」


背後からかかった声が誰のものかなんて一発で分かる。三郎が最近こうしてやけに突っ掛かって来ていたのも、兵助の異変に気付いていたからなのだとすると納得がいく。それなのに馬鹿な俺は、ただ苛ついていただけだった。本当に馬鹿だった。


「あぁそうか、医務室には兵助がいるしなぁ?」
「……」
「情けないなぁ、おい」
「…黙れ」
「らしくねーっつってんだよ!」
「黙れ!」
「…来いよ。相手になってやる」


当然、挑発されているのだと頭では理解できる。けれど、どうしても兵助のことを言われると感情を制御できなかった。そんな今の自分がそれに乗るのは余りにも簡単だった。















「ちょっと…!二人とも何やってんの!」


医務室を出て廊下を歩いていた雷蔵は、雨の中に良く見知った姿を見つけて固まった。竹谷と三郎が互いに禍々しい気を出し、血を流しながら組み合っていたのだ。そのただならぬ雰囲気に一瞬気圧されそうになったほどだ。けれどすぐに危機を覚えた体は動き、咄嗟に大声で叫んで制止した。しかし二人の耳には届いていないのか、止めようとしない。それどころか更に激しく打ち合っていく。素手同士でなければ取り返しがつかないことになるであろうそのやり合いに、雷蔵の中で沸々と怒りが込み上げた。兵助のあんな姿を見た後であるから尚更許せなかった。二人がやり合う理由なんてそれしかない。分かりきっている。


「いい加減にしろ!」


怒声と同時に雨の中へ飛び出した。次の瞬間には丁度互いに向けて出された三郎の右足と竹谷の右拳を両の手で掴んでいた。当の両人は突然現れた雷蔵に目を見開き、雷蔵はぎりっと奥歯を噛んでその衝撃に耐えた。瞬間、ぴたりと今までの気が霧散した。


「こんな馬鹿なことして何がどうなるって言うの」


今まで聞いたことのない低い声でそう言うと、雷蔵は二人を交互に睨み付けた。普段は穏やかな彼の中の本気の怒りに触れることは、数年来の付き合いの中でも滅多に無い。だからこそ二人はこの状況に冷静になった。


「そう怒るなよ雷蔵」


三郎が足を下ろし、まるで今までの事などなかったかのようにいつものように笑うと、竹谷もばつが悪そうに大人しく腕をおろした。冷ややかな視線でそんな二人を見やってから、雷蔵はその三郎の腕をぐいと引っ張った。

「ちょ、痛っ」
「どうせ吹っ掛けたのは三郎だろ?行くよ」
「…へーい」
「ハチも手当てして貰って早く風呂に入りな」
「……あぁ」


それは気の無い返事だった。去って行く二人の後ろ姿を見ながら、ああなった雷蔵はおっかないと、妙に冷めた頭で竹谷は思った。確かにやりすぎた。そして頭を冷やすのには丁度良い雨だった。ふっと血の味がして、ようやく口の中が切れていることに気付く。あまり意味は無いが、次々と雨によって流される頬の血も拭ってみると、ちりっと痛みが走った。そうやってそこにあると気付いた途端、痛みが主張し始める。それは似ている感覚だった。最近覚えたあの胸の痛みに、似ていた。


「本当、何やってんだ…」


雷蔵の言う通り。そして三郎の言う通り、らしくないなと力なく自嘲した。もう一度血を拭ってみても、何も変わらなかった。血は流れ続ける。人を殴った拳には、痛みだけが残った。もしかせずとも、これが後悔。


「…疲れた」


雨音にかき消された本音は実感。それからは何も考えられずに、しばらく雨に打たれていた。









痛みの天秤が揺れた

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