医務室暮らしは相変わらず強制されていた。全身打撲の体はまだ万全ではないが、順調に回復していると思う。包帯の面積も減った。背中の軽い火傷は痕が残ってしまうだろうと言われたが、別段気にはしない。そんなことより何より。とにかく、嫌でも静寂の中に身を置かなければならない状態でいることが辛かった。頭を占めるのは、謝らなければということ。竹谷にああいう態度をとったことを。あの時は本当にどうかしていたのだ。眠れない日々が続いていし、悪い夢を見た後だった。けれどそうなった原因が言えない上に、そんな言い訳も出来るはずがなかった。それでも、謝らなくてはと思った。礼さえまだ言えてない。
あれから竹谷が医務室に訪れることはなかった。当然だと思う。正直、それに安堵していたことも否めない。そうやっていつの間に臆病に慣れてしまった自分に嫌気がさしていた。


「ちょっと厠に行ってきます」


新野先生に嘘をついて医務室を出た。眩しい外光が目に刺さって一瞬、目眩がして廊下の柱を頼った。何て情けない様だ。こんな天気のいい昼間から夜着を纏う自分はとても下らない、価値のない人間のように思えて吐き気がした。
それからまだ所々痛む体を無視して竹谷の姿を探した。飼育小屋近くの大きな木の下、それは驚くほど簡単に見つかった。幹に背を預けて目を閉じたその姿を目にした途端、また心が萎縮して揺らぎそうになる。だからその前に、覚悟なんてないまま声をかけた。


「竹谷」


目が開いて一瞬、やはりその顔は驚きに満ちていた。それからすぐに視線を外された。そんな気まずさも当たり前だ。いちいち胸が痛い。それに耐えろと叱咤した。


「…ごめん、寝てた?」
「…いや……体はもう大丈夫なのか?」
「…あぁ、大分良くなったよ。まだ医務室からは出られないけどな」
「そっか、良かった」


立ち上がって向かい合った竹谷の顔とか声とか、実際は三、四日見なかっただけなのに。緊張とは違う胸の高鳴りは無視出来ない程だった。なのにどこか安心に包まれるような雰囲気がある。やっぱり竹谷は優しい。泣ける程、優しい。ただ、会話をするこの距離が明らかに今までとは違っていた。もうとっくに普通の接し方なんてものも忘れてしまったけれど…しかしとにかく、おれには言わなくてはならない事がある。


「…竹谷、ごめん」


気まずさに拍車がかかる。それでも目を逸らせなかった。きつく握り締めた手に汗が滲む。竹谷の長い沈黙が、怖い。


「それは何のごめんなんだ?」
「…だからその……おれ、お前に酷い態度をとっただろ?」
「……」
「…本当に、ごめん」
「無理するな、兵助」
「え…?」


意味が理解出来なかった。思ってもみなかったその言葉に混乱して頭が上手く働かない。無理って一体何を?意味が、分からない。何を言っているんだ。違う。おれはただ、


「…そうやって苦しそうに、俺に付き合わなくていいから」


そう言った竹谷の顔は酷く辛そうだった。こんな顔は知らない。見たことない。ああ…でも。そうさせたのは紛れもない、おれなんだろう。
おれは、竹谷の優しさに今の今まで甘えようとしていたのだ。理由を言えないのなら謝ったって意味がない。未だ隠された気持ちがそこにあるのだから。それを言えないおれはまだ自分を守りたかっただけなのだ。竹谷を傷付けてまで。だけど…


「…違う」


失うのが怖い?
想いを打ち明けなくとも、もう十分失ったではないか。
戻れない?
もう戻る場所さえも今まさに失おうとしているではないか。
ならば。
この止まることのない想いを、言葉にしたい。伝えたい。もう隠せない。おれは竹谷のことが、おかしくなるくらい好きなんだってこと。それは誤解なんだと。嫌われたくないだけなんだと。苦しいけど。怖いけど。おれは本当はずっとこうしたかったんだと、やっと気付いたから。


「違うんだ…おれはただ、」


けれど。生まれたい言葉が生まれることはなかった。それは竹谷によって遮られた。


「もうやめてくれ…こっちも辛いんだよ」


その言葉に打ちのめされた。何も言えなかった。伝えることも、もう出来ない。あぁ…きっとこれが、罰。


「……ごめん」


竹谷が謝る事なんか一つもないのに。そう言って去っていく竹谷の背が見えなくなるまで、精一杯の我慢をした。それから魂が抜けたように膝から崩れ落ちた。途端、今まで忘れていた痛みが全身を襲い、震えが止まらなくなる。一番の痛みを訴える左胸に爪をたてて握り締めてみても、ほとんど意味はなかった。痛くて苦しくて虚しい。あぁ…何て情けない。それでも泣くことが出来るうちは楽になれたのに。けれどもう、涙は出なかった。














ねぇ…竹谷
おれ、竹谷のことが好きだよ
すごく優しいところが好き
何にでも一生懸命なところが好き
太陽みたいな笑顔が好き
ただそれだけなのに
そのせいでいっぱい苦しいんだ
傷付けて、傷付いてしまう
その度に自分が嫌いになったり、泣いてしまうけど
ごめん…それでも、どうしようもなく、竹谷のことが好きだよ

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