おれは山道を走っていた
目線の高さが随分と低い
それに呼吸が苦しい
同じように苦しそうな息づかいが後ろから聞こえる
おれより苦しそうなのに、止まろうとしない


(おれ、たけやはちざえもんっていうんだ!君は?)


声を掛けたのはおれだった
ずっと人見知りで、それでも良いと思っていたおれが、手を伸ばした


(よろしく!へいすけくん!)


泣き顔が笑った
それが嬉しかった
とっても、嬉しかった


(好きな人、いないのか?)


こんなに育った想いは、けれどこんなに窮屈で
お前は、いつも通りで
おれの好きないつものお前で
それは何も悪いことではないのに
悪いのは全部自分なのに


(ちょっといい?)


大きな手が伸ばされる
大きな腕で包まれる
でも、それに意味なんてなくて


(ごめん…俺、風呂行くわ)




おれが伸ばした手はもう、掴んでくれない




(…で、こんなとこで何してたんだよ)


照れた姿も、怒った顔も
何も見たくない
何も聞きたくない
だってもうこれ以上、きっとおれは耐えられない


(兵助!)


ずっと呼んで欲しかったはずの声が、おれを呼んでいるのに
どうして胸が痛む
伸ばされた手は掴めない


(兵助、兵助…)


やめてくれ
その声でおれを呼ばないでくれ
これ以上、何も壊さないでくれ
お前の優しさが、おれにはもう…優しさではなくなったんだ










「兵助、兵助…」


未だ目の覚めない兵助が気になって何も手に付かず、それでも夕食をなんとか押し込んで、俺はずっと医務室に居座っていた。少し前から急に何かにうなされ始めた兵助を前に、その名を呼ぶことしか出来ない。それがとても、もどかしかった。でもそうすれば、その何かから救えると思った。目を覚ましてくれると思った。そして再び呼び掛けようとした瞬間、ぱちりとその目が開いた。


「兵助っ!」

俺の姿を捉えた目が、たちまち大きく見開かれていく。次の呼吸で、乾いた叫びが静かだった部屋に響き渡った。


「やめろ…!」
「…どうしたんだ、兵助」
「もっ…やめてくれ!」
「…おい、」
「い、やだ…っ触るな!」


布団の中で狂った様に暴れるその異様さに、思わず伸ばした手は兵助によって叩き落とされた。なんだ…またか。やはり俺が、拒まれていたのか。


「…っ…はぁ…はぁっ…」
「…竹谷、すまないけど少し席を外してくれないか」


善法寺先輩に促されて、でもあまりの衝撃になかなか思うように体が動かなかった。そんな俺の目の前で、まだ荒い呼吸で大きく上下させている兵助の肩を、怯えた猫のように丸くなったその背を、優しく撫でる先輩の手は、拒まれてなどいなかった。それを見て俺に言えることは何もなかった。


「…すいません、失礼します」


それだけ言って逃げる様に医務室から出ると、そこには真っ暗な闇が広がっていた。光源である月を、分厚い雲が隠してしまっている。なんとか足を動かして廊下を曲がった。そこで壁に背中を預けると、一気に襲われた。あんなに理解していると思っていたはずの兵助を、本当は何も知らずに、それに気付くことさえ、助けることさえ出来なかった。何があの笑顔を奪ったのかさえ分からないなんて、俺は…


「畜生…っ!」















壁にぶつけた拳が、それ以上に左胸が、痛かった。

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