まるで蟻地獄にでもはまった気分だ。もがけばもがくほど飲み込まれる。成す術もなく、進むことも戻ることも動くことすら出来ない。その中で、ただでさえ無力なおれに一体何が出来ると言うのだろうか。早いか遅いかだけの地獄を、待つことしか出来ないのだといい加減自覚すべきなのかも知れない。


「此度の実習は実戦のつもりでいろ。決して気を緩めるなよ」
「はい」


忍の世界がこんな精神状態で務まる程甘くはないなんてこと、知っていたはずなのに。















「特に大きな問題はなさそうですが、今は絶対安静ですね」


医務室に入ってから新野先生と善法寺先輩から詳しい説明は聞いたが、全く頭に入ってこなかった。目の前の姿が何よりもそれを物語っていた。あまりに非現実的すぎる光景に、全くどうすればいいか分からない。体中に包帯を巻かれ、目を閉じたまま横たわる兵助がそこにいた。


「兵助…」


部屋には橙色が差し込んでいて、その綺麗な…しかし今は幾つかの傷が付いた寝顔を照らしていた。昨夜、兵助を抱えて学園に駆け戻ってからずっとこの状態が続いていた。
昨日の実習は近頃勃発した城同士の戦、その観察及び検分だった。本来それは安全なはずではあるが、今回はその陣形や地形などの関係でどうしても危険な状況下での待機を余儀なくされていた。後続として俺ら小隊が兵助のいる最前線の隊に合流した時には日が沈みかけていた。それでも戦はいまだ盛り上がりを見せていて、生徒達は不安定な木の上でそれを観察していた。俺は先生からの伝達や状況報告を貰うために、すぐ近くにいて一心に戦の成り行きを見ていた兵助に声をかけた。
そしてあの瞬間…。
兵助が足を滑らせた時、俺の呼び掛けに異常なまでの反応を見せたのを覚えている。なぜ、という疑問がまず頭を占めた。優秀で座学だけでなく実技もそつなくこなす兵助が、聞きなれているはずの仲間の声にどうして…。もしかして体の調子が悪かった?そう思えばそのように見えたかも知れないかった。しかし、何か他に原因があったとは考えられないだろうか。
寧ろその可能性の方が高い気がした。俺にはそう思い当たる節があった。あの時、兵助はまるで俺から逃げるように身を避け、そのせいで落ちた…ように、俺には見えた。咄嗟に伸ばした腕も、兵助が掴もうと思えばきっと間に合っていたはずだ。しかしこいつはそうしなかった。それでも、落ちただけならまだ良かったのだ。あの瞬間、すぐ近くで小規模だが爆発が起こり、動けない兵助の体はその閃光と爆風に簡単に煽られ吹き飛ばされた。一瞬呆けていた俺は、それでもすぐさま飛び降りて必死に兵助を抱え上げ、仲間と共に撤退したのだが…


「どうして…」


俺の中で様々な疑念が頭を巡り、目の前の兵助へと投じられていた。初めて感じるこの、はっきりとしない気持ち。すごく気持ち悪くて、なのにどこか切なかった。一体どうしたんだよ、兵助。


「竹谷、君も少し休んだ方がいいよ」
「……はい」


善法寺先輩に言われたのもあるが、堂々巡りするこの思考をどうにかしたくて、立ち上がった。医務室を出ると、廊下の柱に寄りかかって腕を組む青い装束が目に入る。遠くの色付いた空を眺めている、三郎だった。しかし俺は構わず自室へと足を向けた。今は誰とも…特に、三郎とは話したくはなかった。


「お前らしくないなぁ、竹谷」
「……」


背中に掛けられた三郎の声にも振り返らずに足を進める。それどころではないと、思い続けていた。けれども奴は続けた。


「俺はさぁ…兵助の考えてる事とか、あいつの気持ち、分かっている自信がある」


少なくともお前よりは、と続いた言葉に足が止まった。沸々と言い知れぬ感情が高まる。二日前の昼休みのあの時…お前は兵助の何なんだと、一瞬口走りそうになった言葉と感情がまた思わず顔を出しそうになって堪えた。この感情は怒りではないはずだ、そう言い聞かせながら握った拳に力を入れた。


「何の話だ」
「俺は兵助を見ているからな」
「だから何だ」
「お前はどうなんだ」


反射的に後ろを振り返って、三郎を見た。その視線は今は空ではなく、しっかりと俺の目を捉えていた。何時もの飄々とした、人をからかうような目ではない。そこに何かが、何かは分からないが確かに何かが宿っていた。


「お前はどうなんだよ、竹谷」
「……俺は…」


すると、ずっと厳しかった三郎の声色がすっと気の抜けたように変わった。


「あいつは何でも優秀だからな…お前も騙されたか?」


はっとした。同時に焦りとも怒りとも似つかない感情が体の中で生まれ、渦巻いた。そしてそれを今の今まで気にも留めなかった自分に愕然とした。どうかしていたのは、俺の方だったのかも知れない…。















兵助の本物の笑顔を、最後に見たのはいつだったろう。

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