「疲れたーあ」 今日も今日とて毒虫が脱走し、生物委員のみならずそこら辺にいた生徒も巻き込んでの捜索が遅くまで続いた。日も暮れ、一年生を長屋に送り届けてから自室に戻り、バタリと倒れこんだ竹谷は珍しく疲れ果てていた。今日は授業で一日中ハードな実習をこなして体力を消耗しきったところに毒虫捜索。いくら体力バカと言われていても限界だった。風呂に行かなければならない時刻ではあるが、いかんせん体が動かない。夕飯も食いっぱぐれたのだから仕方ない。もう少しだけ休んでから、と自分を甘えさせていると、ふと気配を感じた。それは少しの気まずさをもたらしたけれど、正直それ以上に嬉しかった。ゆっくりと戸が開いて、兵助が顔を出した。 「竹谷ー…、が死んでる」 「兵助ぇー」 「あ、生きてた」 「いや死んでるるる…」 「どこに埋めて欲しい?」 「兵助の部屋の下」 「…お断りだ」 で、どうした?と無精しながら問えば。ほら、と差し出された握り飯に思わずガバッと体を起こした。 「うお!」 「…差し入れ」 「さすが兵助!ありがとう!」 「豆腐と交換です」 「あはは!次出た時な!」 「…おー」 「あれ?でも何で?」 「あー…生物小屋の方が騒がしかったからこんな事だろうと」 「なんだそっか!悪いな!」 「いや、別に…」 こうやって何日ぶりかに兵助と普通に話せればもう、当初の体や心の具合なんかいつも通り、すっかり忘れていた。だから竹谷はその分、浮かれていた。 「兵助、いい匂いだな」 「は…?」 「風呂上がりだからかな」 「別に…普通だろ」 竹谷の突然の言葉に、戸惑った。確かに自分は格好からしても風呂上がりだが、何故急にそんな事を言い出すのかと。今まで普通に…いや、なるべく普通を装って会話していたのに。いつもこうやって心を波立たせていく竹谷の無邪気は兵助にとって複雑なものだった。それを何ともないという態度で繕う事も、大変なのに。 「ちょっといい?」 「ん?」 何が、という言葉は出なかった。竹谷が腰を浮かせたかと思えば、おれを正面から抱き締めてきたのだ。この状況は何なのだ。ちょっと、よくない。 「なっ…!」 「んー」 「なん…!なに…!」 明らかに動揺して動けないでいるおれに、竹谷はそれを気にした様子もなく、今度は首筋に鼻をつけて思い切り息を吸い込みやがった。その行動に、心が、体が、血が、把握できない程に乱れた。 「今日さ一年坊主達がしてくれたんだー。こうやって元気注入ー!って」 「…そ、うか…」 「だから兵助の元気も取り込み中」 「…勝手に奪うな」 「あはは!」 竹谷にとってこんな行動はそんな理由で出来てしまうのか…。でもおれは、普通ではないくらい胸が鳴って、おかしくなるくらい嬉しいとか思っちゃうんだぞ…バカ竹谷。 「でも本当可愛いよなーあいつら」 「…あぁ」 「んー…さんきゅ、兵助」 そう言って、竹谷の体が離れた。瞬間、それをおれは惜しいと…働かない頭で、つまりは本能でその時そう思ったのだ。 「竹谷、」 思わず手を伸ばしていた。 そして、訪れた沈黙。 目の前の竹谷は見るからに固まっていた。 ああ、どうしよう。何やってんだ、おれ。 自分の行動に思考がついていかない。それより何より。目の前の竹谷の反応が兵助の頭を真っ白にさせていた。長く感じたがそれでもすぐに弾かれたように立ち上がった竹谷は笑って着替えをひっつかんだ。 「ごめん…俺、風呂行くわ」 「あ、…ああ…」 「じゃ、差し入れ本当にありがとな!おやすみ!」 そして一度もこちらを見ることなく出ていった。 ああ…絶対、おかしいって思われた。 不自然に伸ばしていた手は、ようやく膝に落ちた。 「…おやすみ…」 どうすりゃいい、おれは。 竹谷に下手な演技をさせてしまった。何とか無かったことにしてくれた様な。それなのに。それを、繕ってくれたことを、喜べるような考えに至る余裕はない自分は何て欲深いのだ。明日からも竹谷は兵助という友人に対して普通に接してくれるだろう。彼は優しいから、きっと。それなのにこの感情のせいで勝手に浮かれたり傷付いてしまうなんて。醜い嫉妬とか浅ましい期待とか、そんなぐちゃぐちゃに汚れた黒い塊が自分の中には確実にある。なりたくないと思っていた人間に、なっていく。そんな自分に耐えられない。 もう、どうすればいいか分からない。 ああ…そろそろ限界かも。 どうして、止まらねぇのかな。 どうして、捨てたはずの感情は止まるどころか増してんだろ。 自分のことはとっくに嫌いになってるのに。竹谷のことは…。どうにもならないのに。意味なんてないのに。邪魔なだけなのに。どうして… 「バッカみてぇ…」 人知れず溢れた涙は止まらない。 |