※陰陽師パロ








月が出ていた。鈍い明かりの三日月だ。
不破雷蔵は辺りを見回し、持っていた行灯を足元に降ろした。そうすると一層の闇が広がった。丑の時である。目の前で、不気味に柳の木がその葉を生暖かい夜風に靡かせていた。その向こうは川がある。せせらぎと風の音だけが闇の中にあった。


ごとり、と音がした。


突然の何かが落ちたようなその音に、情けなく心の臓が跳ねる。
それが何なのか、すぐには分からなかった。しかし足元の火の明かりが届く、その端に何かが転がるのを目にした。途端、脳が理解する。
どこからか落ちて、ごろりと地面を転がっていたのは首であった。首から上の、それは人の頭であった。


「…来たな」


風と共に耳に届く微かな音と血生臭い匂いに、一気に気を張る。


「手土産は気に入ってくれたかい?」


不思議に澄んだ声が空気を揺らした。瞬間、落ちた首の横の暗がりに何かが現れる。その曖昧な輪郭は人であるように見えた。
いや、しかしこれは人ではないと確信する。纏う空気がそれを否定していた。


「残念だが私は人の首は食べないよ」
「そうか、あんたは人の子だったな」


まるで私を知っているかのような台詞。それから一歩、その足が前に出た。足元の明かりがその体と顔を照らし出すと現れたその姿に、言葉を失った。
それは正に見馴れた自分の顔だった。まるで鏡を見ているかのようにその髪型も体格も同じ。写し取られている。ただ違うのは狩衣を着ている自分に対し、男は白に赤い縁取をした水干を身に纏い、高下駄を履いていた。覗く肌が白い。
(─…何の冗談だ)
今まで遭遇したことのない妖気が顕になる。強い。気圧されそうになるのを必死に堪える。
それでも努めて平静を保つと、その人でない者はくくくっと喉で笑ってみせた。


「何が可笑しい」
「いいや、少しからかっただけさ」
「…その顔もそれの一端かい?」
「おや…」


気が付いたかい?と冗談めかした奴は、にやりと口端を上げて嬉々とした表情を見せた。それが腹立たしかった。奴の思う壺にだけはなるまい。


「気に入ったんでね、借りているのさ」
「許可した覚えはないよ」
「あぁそれは悪かった。しかし許してくれ、こうしてばかりいたせいで元を忘れてしまったのだよ」


許してくれ、か。
これは何を言っても無駄だろう。
大体こんな芸当が出来る程の奴だ。今の自分では到底敵うとは思えなかった。
それにしても、と思った。
今までこれほど人間と変わらない姿の妖を、見たことがなかった。こうして普通に会話をするのも、若しくは初めてかもしれない。
しかしこいつは間違いなく妖だ。それもかなり高級の。
そんな考えを感じとったかのように、奴はくくっと笑った。
こちらは逆に口をきっと結び、足元に転がった首に目をやって話を本題に移した。


「最近、この辺を彷徨いているようだね」


すぐに目の前の奴は面白くないというよな顔を見せた。自分のそんな表情を見たのもきっと初めてだ。なんとも言えず心地の悪さを感じた。


「いけないことかい?」
「そんなことはないさ。ただ、」
「ただ?」
「人を襲うのであれば問題だ。私も仕事をしなければならないからね」
「陰陽師、不破雷蔵」


きっかけだった。びりっとした空気が皮膚を刺す。思わず身構えた。
(─…やはり、か)
近頃私の周りを彷徨いていたのはこの妖だと確信する。その上こちらの素性まで知られている。
しかし奴は我慢していたというように、あはっと破顔した。


「そんなに構えないでよ。感づいていたんだろ?だから今宵ここに来た。違うかい?」
「…お前は、」
「最近ここらを生成りが荒らしてたんでね、首を取ってやったんだよ。なに、礼は要らない。私とて目障りだったからね」
「まさか…」


はっとして首を見た。女のものと思しきそれは虚空を睨んでいた。
その生成りのことはもちろん雷蔵の耳にも入っていた。
嫉み妬みや憎悪が膨らみすぎて溢れ、狂った結果、その人間は次第に鬼へと姿を変える。その人間でもなく、鬼でもない中途半端な姿こそが生成りである。
最近この界隈を賑わせていた事件や噂、その原因がそれであった。
そして今、地面に転がっている首がその女だと言うのか。
すると妖が頭を蹴った。ごろりと転がったそれと目が合った。よく見ればその頭には小さな角が生えていた。


「これはもう殆んど鬼だ」
「…まだ戻せたかも知れない」
「おや、また随分と甘い考えをしているものだなぁ」
「…なぜそう言える」
「それは無理な話だよ。これの攻撃対象の首を同じように落とすなら話は別だが。それともあんたにそれが出来たかい?」


確かに奴の言う通りであった。生成りになった者を抑えるには憎しみの対象を除くしかない。しかしその対象もまた例外なく人間なのだ。女の場合、ほとんどは愛した男である。それでもその生きた人間を消すことなど、もちろん出来ない。しかし、だからこそ陰陽師がいるのだ。


「それ以外に方法がない訳じゃない。現にその為に私のような者がいる」
「…ねぇ、知っているかい?」


この話題にはもう興味がないというように、奴はくるりと翻った。次の瞬間には柳の木の上に座っていた。高下駄履いた足を投げ出して、夜風に揺れる葉と同じようにぶらぶらとさせている。鈍い月明かりを背負って微笑む姿は、何とも面妖な光景であった。


「人の世を…いや、人の性というものをさ」
「…何が言いたい」
「人間はこの世の支配したかのように振る舞い、自らを神や仏やと勘違いしている。どうしようもない程に傲慢で愚かしい。その上嫉妬に狂い、憎悪を募らせ、自我を失う。このように醜くなってもだ。なぜ他人のために自分を捨てられるのか。愚か者のすることだ、不思議ではないが。故に人間とはこの世で一等、滑稽な生き物よ。なぁ、そうは思わないか?陰陽師よ」


くいっと首を傾げ、その妖はこちらを試すように見下ろした。
陰陽師。それが自分を指す名ならば、私は、


「そうだね。きっと人間も君たちのことを似たように見ているだろうね。だが私はどちらの意見も分かるし、どちらの意見も分からない。君たちの姿が見えるからなのかは分からないが…護りたいと思うのは人間だけではないのだよ。ともすれば一等滑稽なのはこの私かもしれないね」
「ほう…それは面白いな」


奴はまるで玩具を与えられた童のように笑った。全くそうしていれば、まさしく無邪気な人間そのものである。その姿は自分のそれであったが、とにかく。
(─…こいつの目的は何だ。何故私に、)


「時に、」
「…なんだい」
「あんたには分からないだろうが、堪らなく旨そうな匂いがするんだよ」
「人間か」
「あぁ、君だよ」


確かにそういうことだろう。妖が人間に近づく目的はそれしかない。
(─…しかし私は今、何を勘違いしていた…?いつの間に奴を人間として物を考えていた…?)


「私がわざわざ鬼退治をしてあんたに誉めて貰いに来たとでも思ったかい?」
「…私の顔をして私を喰う気かい?趣味が悪いよ」
「あぁ、それは有難い。最高の誉め言葉だよ。しかしそうだな…夜はそう長くはない。またの楽しみにとっておくとするよ」
「待てっ…!」


ふわりと木から降りるのを見た次の瞬間には、一寸もない距離にその顔があった。はっと息を詰める。にやりとした顔が耳に近付き、息が吹きかかった。


「いいか、よく覚えておくことだ。私を除こうとすれば容赦なくお前を喰らおう。それは私にとって造作もないということを」


ぎりっと緊張が走った。体が固まったまま、何も言葉が出なかった。


「とはいえ、どうやら私はあんたを気に入ったようだ。また会おう、人の子」


そう言うとその存在はふっと闇に消えた。
結局あの妖は何故私に近づくのか、その理由も分からないまま、どういう訳か奴とは再び会うことになりそうだった。


「一体なんなんだ…」


生暖かい夜風が頬を撫でるのを、ただそうやって立ち尽くしたまま感じていた。





夏夜の闇に紛れた妖は思った。
やはり私の目は間違っていなかった。なんと愉快な時間であったことか。なんと興味深い人間であったことか。
しかし危なかった。あと一歩のところで喰らい付きそうになった。腹はそうそう空かないのに、あの男はそれも関係なく大いにそそる。人ごときに煽られるとは。だが簡単に喰う気はない。きっともっと楽しめる。
例えば…私があの男を鬼にしたいと言ったら、どんな表情をするだろう。どう反応するだろうか。最後の驚きに満ちた顔もなかなかに面白かったが…。
そう思って己の…否、あの男の顔を撫でた。
(─…成る程)
恐らくそれは、笑いの形をしていた。








(妖と陰陽師)

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