全ての授業が終わった放課後、俺にとって一日の学園生活の中で一番熱が入るのは断然この時間だ。


「三之助!上げろ!」
「よっしゃ!」


普段は方向感覚に問題のある三之助も、サッカーにおいてはそれを微塵も感じさせない。そしてそんなこいつとは連携プレイでの相性が何故かいいのだから、ますます面白いと思う。


「作!」
「まかせろ!」


右足を振り切って蹴ったボールは綺麗な弧を描き、左ポストのネットが揺れた。すぐに長めのホイッスルが鳴り、今日の練習試合も難なく勝つことが出来た。
素人からしてみれば長く感じるらしいサッカーの試合時間を、いつも思う事だが俺はすごく短く感じる。


「ナイス作!」
「ナイス三之助!」


三之助とハイタッチをしてユニフォームで汗を拭うのも、恒例だった。日が傾いていてもそこは夏。試合をしていれば面白い程に汗をかく。しかし、フル出場ともなればそれが逆に気持ちよく思えてくるから不思議だ。
水洗い場に向かっていた途中、試合中はすっかり忘れていた存在を思い出したのはその呼び掛けからだった。


「作ちゃんすごーい!」
「お、数馬だー!」


三之助がぶんぶんと手を振った先、疎らにいる見物人の中に制服を着た数馬がいた。
今更驚きはしないが、ただの放課後の練習試合程度に毎回部員と同じように残って応援をするこいつは一体どうなのだ。何だかもう、誰よりも立派な部員だと思う。俺は一度も強制した覚えはないのだが、もはやこれが義務かのようにきちんとやってくる。


「三之助もかっこよかったよー」
「おう!」
「数馬、俺ら着替えてくっから」
「うん、じゃあ自転車置き場で待ってるね」


周りからよく、熟年夫婦のようだと評される短い会話は、そのせいで余計に短く用件のみになってしまう。そんなジレンマも結局、数馬の笑顔を見てしまえば下らないことだと思えてくるから悔しい。
そんな背中を一瞥してから、汗で体に張り付いたユニフォームを脱いだ。














「いいよなぁー作ちゃんには声援があってさー」


そのからかいにしか取れない三之助のぼやきには何も言わず、いつものように殴ろうとすればそれを察したのか、奴は素早く数馬の後ろに隠れやがった。
無駄な知恵を身につけやがって…。
しかしとにかくそれで、俺は怒りを鎮めるために溜め息をついた。


「暴力はんたーい!」
「…お前ふざけんなよ」
「数馬も何か言ってやれ!」
「黙れバカのすけー」
「ダメだよ、作ちゃん」
「は!?」
「おー!さすが数馬!」
「えへー」
「…お前らその共同線ずりーぞ」


二人から送られる理不尽な批難と憎たらしい笑みに、激しくイラッとしながら自転車を取り出す。
俺と三之助は部活の練習などで帰りが遅くなることもあって自転車通学をしているのだが、数馬は「たぶん…きっと…危ない」という理由で徒歩で通っている。その理由をちょっと、いや大分切ないと思うのは俺だけだろうか。だけどそのお陰で今じゃこのチャリの後ろが数馬のお決まりの席になっている。
早々と自転車に跨がった三之助が、いつものお決まりの台詞を吐いた。


「帰りどっか行く?」
「僕アイス食べたーい」
「あ、賛成!俺も食いたい!」
「お前ら本当に気が合うな…」


俺を置いてきぼりの会話は弾み、結局今日はコンビニに寄って帰る事になった。
数馬を後ろに乗せ、夕焼けに染まる街をゆっくりと進む。
昼よりも日射しは落ち着いてきてはいるがまだまだ体感気温は高く、蝉の鳴き声もうるさい。ささやかに吹く風も、汗を乾かすには温くて、近くのコンビニにたどり着いた頃にはまた汗が滲み始めていた。
しかし店内入った瞬間のあの快感を得るのは外にいた者のみに与えられる至福だ。大袈裟ではなく、まさにそこは天国だった。


「すずしー」
「本当、生き返るね」
「俺…ここに住むわ」
「じゃ僕もー」
「おーいさっさと選べー」


目敏く天井から送られる冷気の元を見つけ、その下であーだのおーだの言いながら涼む二人の首根っこを掴んでアイスのコーナーに引っ張れば、興味はすぐにガラスケースの向こうに移る。
まったく微笑ましい程簡単な奴らだ。というか俺は母親か。

「俺やっぱガリガリ君だなー」
「僕はチョコ!作ちゃんは?」
「俺…もチョコ」
「へぇ珍しいな」
「あれ?チョコ苦手じゃなかった?」
「いーから買うぞ」


それぞれ買って外に出ると、再び熱気が襲う。近くの公園のベンチに座って、すぐにでも溶けてしまいそうなアイスを大人しく食べ…ようとしているのはどうやら俺だけらしい。あいつらめ…。


「ブランコとか懐かしーなー」
「やっぱり小さいねー」


わざわざブランコに乗りながら食べる必要がどこにある。こいつらの精神年齢は一体いくつなんだ…という考えはすぐに、小さな悲鳴に遮られた。


「あっ…!」


いつもの不運の一端か、数馬の手からアイスがぼとりと落ちた。まだひとかじりもしていないそれが、足元で砂まみれになってしまっている。どうやら手を滑らせたらしい。


「大人しく食べるか乗るかにしねーからだろ…」
「……」
「作、数馬がショック過ぎて固まってるぞ」
「……ほら、」


未だ無惨なアイスを見ながら呆けている数馬に歩み寄って、まだ封も切っていないままだったそれを差し出す。出来れば気付かないで欲しい、そう思いながら。


「え?」
「やる」
「でもそれ……あ、」
「…いらねーなら三之助にやるぞ」
「え!いやだめ!」


何とか誤魔化してその場をしのいでから、隣で笑いを堪えていた三之助に今度こそ脳天チョップをくらわせてやった。














「じゃあまた明日な!」
「おー」
「ばいばい!」


三之助と別れて、数馬の家に向かう二人きりの帰り道。さっきよりなんとなくペダルが重たくなったのは気のせいだろうか。少しだけ分からないようにスピードを緩めて、背中越しに聞こえる声に耳を傾けた。茜色に染まる空がとても、綺麗だった。数馬も、見ているのだろうか。


「今度の試合も応援に行くね」
「…前みたいに大声で作ちゃんってのは無しな」
「それは約束出来ませーん」
「お前、面白がってるだろ」
「あはは!そんな事ないよ」


途切れる会話と去来する想い。
ブレーキの耳障りなこの音が、俺はとても嫌いだ。
重みが減った自転車に俺は跨がったまま、数馬を少し見上げた。


「いつも、ありがとね」
「…別に」
「うん」


俺らはこんな些細な事でいちいち嬉しくなったり寂しくなったりする、そんな面倒くさくて忙しい年齢らしい。だけど、それも悪くはないと思えた。


「…じゃあな」
「あ、待って…」
「ん?」
「んっ…」


瞬間、小さな吐息と共にふわりとチョコの香りが鼻先を擽った。
少し体を屈ませて目を閉じた数馬を、俺は固まったまま見た。
人影のない夕暮れの住宅街。聞こえるのは蝉の声と、心臓の音。
それはほんの、唇に触れるだけのキスだった。


「…じゃ、あね!また明日!」
「………おー」


離れた途端、数馬はそう言うとすぐに足早に家へと入って行ってしまった。俺の頭はまだ上手く働かなかったが、心臓だけは忙しく動いていた。


「…また、明日」


数馬と、こういうの…初めてではないのに。
それに俺は、振り回されるのには慣れているはずだ。
だけど…これはちょっと違うみたいだ。
とても慣れそうにない。
いつまでも慣れなんてしない気がした。
いつもの自転車に、いつもより高鳴る胸を乗せて全速力で駆け抜けた帰り道、感じる風が心地よかった。





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