俺の数歩後を小さな足音がついてくる。
小さな肩に俺が無理矢理かけたブレザーを羽織り、それを胸の辺りで前を合わせて身を隠すようにしていているせいで元から小柄な身体はますます小さく見えた。俯きながら自分の数歩後ろをゆっくりと歩く毛利の、そんな姿を振り返り見る度に沸き起こる表現し難い感情を振り払いたくて、俺はバカみたいに一人で喋り続けた。
それでも何がコイツの琴線に触れるか分からないため、慎重に話題を選ぶのに普段使わない気を最大限使って。
今日放送のドラマ超泣けるんだよー、とか。あのスーパー金曜日が安いんだー、とかなんとか。
さすがにスーパー寄って買い物していい?なんて聞けるはずもなく、真っ直ぐにアパートに向かった。


…こういうの、苦手なんだよ俺は。


部屋に上がる前にまた少し抵抗した毛利を無理やり押し込んでベッドに座らせた。それから救急箱とも言えない、ただ薬を詰め込んだ袋を取り出す。それはどういう訳か実家を出る際に大量に持たされたものだ(いまだにケンカしていると思われているに違いない)。
それから未だ俯いたままの毛利の前に膝をついた。
とりあえずは、だ。


「素人だし、とりあえずの手当てしか出来ねーから勘弁な」
「……」


返事がないのは目の前の憔悴しきった様子からしてみれば仕方のない事だと思い、気にせず言葉を続けた。


「服、脱げるか?」
「……っ…やっぱり、いい…悪かった、帰る」
「ちょっ、と待て待て」


立ち上がった毛利を引き止めようとして思わず細い腕を掴んで強く引いてしまった。
痛さに顔を歪ませた毛利を見た瞬間、ヤバい!とすぐに手を離す。


「…っ!」
「悪ぃ!つい!…だけどほら、やっぱ見た方がいいって」
「……」


そうしてようやく観念したのか、毛利は再びゆっくりとベッドに腰掛けた。








「おい、お前これ…」
「……」


言葉が、出なかった。
想像以上のそれは、とにかく酷かった。
服を脱ぎ、現れた体には無数の痣と傷、内出血から軽い火傷のようなものまであった。新しいものから時間が経っているであろうもの、様々だった。左脇腹の痣が特に酷くて、考えたくはないが、でも明らかにこれは…ちょうど人の足が付けたようなそれで。


「…とりあえず消毒だな」


心の中で落ち着け、を繰り返した。
ここで俺が動揺してしまっては先程と同じことに毛利がなってしまうな気がしたからだ。
しかしあまりに酷い様に、何故か自分の体が軋んだように感じる。
一体何がどーなったらこんな怪我すんだよ…。
こんな…これはもう決定だろうと思った。
誰かに…
悲痛な顔をした毛利を目の前に、自分の中で沸々とした静かな怒りが沸き上がる音を聞いた。
誰に…


聞きたいことは沢山頭を巡ったが、今は手当てに専念した。



消毒はなるべく傷に染みないように優しく。
軟膏は塗り込むようにゆっくり。
包帯は外れないようにしっかり、でも痛まないように。
たっぷりの時間をかけて目についた全ての傷に手当てを施し、ようやく終わって息をつけば、1時間ほど経過していた。
その間、毛利は泣き言を言わなかったし、俺も何も言えなかった。
…疲れた。


「ほい、終わったぞ」
「……」
「どした?」
「……すまない」
「…いや、それはいーんだけど」
「……」
「もしかして眠い?」
「い、いや…」
「寝てろよ。それとも何か飲むか?」


そう言えばまだ茶も出してないということに気付き、返事をまたずに湯を沸かしに台所に立った。
湯が沸くまでのしばらく沈黙も、ぐるぐると頭を占める問題のせいで忘れる程だった。
沸騰したヤカンの音で我に返り、二人分の茶を淹れてからベッドを見れば、毛利は先ほどから寸分違わぬ格好でいた。その前にある低いテーブルにカップを置いて、自分も床に腰をおろした。


「粗茶ですが」
「……すまない」
「構わねーよ」
「…すぐに、帰る…」
「だからいーって」
「……」
「なぁ、聞いていいか」


肩が揺れ、体が強ばるのが分かった。その内、目に見えて呼吸が荒くなってきた。が、続けた。


「誰にやられた」
「…っ…」
「こういうのは黙ってたら駄目だぞ」
「ちがっ……はっぁ…」
「おい…」
「もっ…かえっ…る…」
「…わかったよ。わかったから落ち着け、な」
「っは…ぁ…」
「聞かねぇから」


今は。今は聞かねぇ。


荒い呼吸をする毛利の背を擦ってやりながら、俺自身も平静を取り戻そうとした。やがて呼吸が落ち着いた毛利はゆっくりと立ち上がり、そのまま玄関に向かった。


「おい…」


チラッとこちらに向けられた頼りない瞳が、何かを訴えている気がして。でも俺は咄嗟には何も言えなくて。


「……すまなかった…」


言葉にならなかった。
ドアが閉まる前に見えた毛利の、今までで一番泣きそうな横顔に打ちのめされた。










忘れられそうに、なかった。
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