玄関のドアを開けると凍えそうな程に尖った空気が露出した顔の皮膚を刺した。いつ雪が降り出しても不思議ではない寒さに、首を竦める。普段より街が明るい気がするのは気のせいではないはずだ。今、ちょうど年が明けて三十分程度過ぎようとしていた。年に一度の特別な高揚感でふわふわと空気中に浮いたような気分を楽しみながら元親は後ろを振り返って声を掛ける。


「準備できたか?」
「ちょっと、待て」


玄関に座り込んだ元就は、靴を履くのに手間取っていた。手袋をしたまま紐のある靴を履こうとしているからだ。元親は口元を緩ませながら、けれど黙ってそれを眺めた。そしてようやく立ち上がろうと顔を上げた元就に、すかさず手を差し出す。すぐに伸ばされた手を掴んで立ち上がらせ、玄関を出て鍵をかけた。


「あ、マフラー」


また靴を脱がなくては、と思ったのだろう、元就が困ったような顔をして元親を見た。今度は堪らずに笑うと、元親は自分のしていたマフラーを外して元就の首に巻き付けた。


「行こうか」
「…ん」


普段は出歩くことのない深夜の道は見慣れた昼とは全く違って見える。空には冬の星座が輝き、その一方で重たい雲も広がりつつあった。乾いた道に、こつこつと二人分の足音が響く。
学校が休みの日以外は元就は今も一人であのマンションで暮らしている。あれから、元就の父親が去ってから、四ヶ月程経っていたが、連絡はまだなかった。
冬休みに入ってからは、元親のアパートで寝泊まりを共にする日が増えた。そして大晦日の夜、つまり数時間前、狭い炬燵に入って蜜柑を食べながら近くの神社に行こうと言い出したのは元就だった。二人とも特別に神様を信じている訳ではなかったけれど、初詣をすることは多くの日本人と同じように自然に馴染んだ感覚だった。


「願い事って、人に言ったら叶わなくなるんだっけ?」
「そんなものは願えば叶うということを前提にしている点で破綻している」


元就らしい答えに、元親の笑い声が夜道によく響いた。
神社に着くと、意外にも多くの人達で賑わっていた。と言ってもすぐに順番はやって来て、二人は手を合わせて目を閉じた。そして計ったように同じタイミングでそれを終えると、元親は元就の手を引いて器用に人混みを抜けた。
そうやって互いに何を祈ったのか口にしなかったけれど、それがほとんど違わないということもまた、二人にはわかっていた。
目的を終えてアパートへの帰路の途中、何処からか笑い声が漏れ聞こえてきた。そんなことも、今夜は珍しくない。


「でもさ、俺たちって最強だよな」
「何だ、いきなり」
「元就は綺麗だし頭いいし、俺は馬鹿だけどスポーツと料理くらいは得意だし。な?」
「…意味が分からん」


そのつれない反応に苦笑した元親は、街灯の下を通り過ぎようとした所で緩やかに歩みを止めた。繋いでいた手に引き止められるようにしてそれに気付いた元就が振り返る。


「そういや元就と初めて話した時もさ、」
「あぁ…」
「寝顔きれーだなって思った」
「…見ていたのか」
「うん。全然起きねぇし、起きたら怒って帰るし」


その時の情景を思い出したかのように、元親は優しい目をしていた。元就はそんな眼差しから逃れるように視線を逸らし、少しだけ逡巡してから「何故、放って置かなかった」と口にした。一瞬虚を衝かれた元親だったが、それでもすぐに表情を緩めると、真っ直ぐに元就を見つめた。


「だって、そんなの無理だ。正確にあの時の気持ちを言葉には出来ねぇけどさ…お前の目を見た時、声が聞こえた気がしたんだよ」


訪れた一瞬の静けさの中で、冷えきった空気がミシッと音をたてた。


「元就…お前が今何を考えてるか、俺にはわかる」
「…別に、何もない。ただ…」
「例えばさ…理由は知らねぇけど、炬燵には蜜柑って決まってんだろ?上手く言えねぇけど、何かそういうのだと思うんだよな、俺たちも。だからさ、」


それまで繋いでいた手を離し、儀式めいた恭しさで今度は両手を繋ぎ直した。その時、ついに空高くからふわりと白い雪が舞い降り始めた。その、まるでプロポーズでもするかのような雰囲気の中で、元親は続けた。


「俺の為に、俺の側にいてくれよ」


元就はこの寒空の下、自分の身体が熱くなるのを感じた。視線さえも搦め捕られ、身動きが取れなくなってしまう。
今まで自分の気持ちを言葉にするという事が極端に少なかった元就は、けれどそれを試みようとして唇を震わせた。
それを、分かっていると言うように身を屈めた元親は、元就の頬に自分のそれを添わせるようにして硬直したその体を抱きしめた。外気に晒されて感覚の鈍った耳朶が触れ合う。


「…いたい」


小さな声だった。
けれどそれは直接骨に響くようにして、元親に届いた。
「やっぱ迷信だな」と呟けば、元就もまた小さく笑った。








帰宅してすぐ、冷えた身体を温める為に二人は熱い風呂に入った。足先や指先などは、湯に触れると痛い程だった。今だに消えない傷跡や冷えなどよって引き起こされる鈍痛も、けれど元就にとって苦痛ではなかった。湯上がりに習慣になった手当てを終えると、元親はきまって元就にキスをする。毎回背中や首筋や額だったりと様々だったが、今夜はその全てに唇を寄せ、最後に口付けもした。ベッドに入ると、元親の身体に元就が背中を預けた。布団の中で繋いだ手が熱を持つ。


「日の出前にちゃんと起きられっかな」
「このまま起きているか?」
「そうしたいけど無理っぽいな…気持ち良過ぎて眠い」


今にも眠ってしまいそうな声を出しながら元親は欠伸をした。それに元就も同意して、外の世界を思った。今も深々と雪は降り続いているだろう。この小宇宙のような部屋に朝日が差し込むまでには、まだまだ時間がある。


「桜が咲いたら、見にいこうな」
「気が早すぎないか」
「すぐさ」
「…そうだな」


すぐに、優しく穏やかな眠りが二人の元にやって来た。
夜明けに向かって、静かに時は進む。
雪はゆっくりと、溶けるだろう。
そこに花が咲くだろう。
やがて春が、来る。




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