薄暗い廊下を抜け、裏口から病院を出た所で今だ涙を流し続けている元就を強く抱きしめると、体に顔を押し付けるようにしてからようやく声を上げて泣いた。


「よしよし、頑張ったな」


そうするしか術がなく頭を撫でると、元就の嗚咽が一層酷くなる。それを聞くうちに熱くなっていた目頭から、我慢していた涙がとうとう溢れた。
今、元就が流しているこの涙はどんな涙なのか、厳密にはわからない。今まで、辛いなんて言葉では足りない程の思いをしてきた元就の世界が、ようやく崩れたのだ。喜びや安堵はもちろんだろう。しかし泣き声をあげる元就にはそれよりも、戸惑いや、焦燥みたいなものを感じているようにも思えた。
漠然とそんなことを考えていると、腕の中にいた元就の異変に気付いてはっとした。


「…っあ…はぁ…っ」


元就の呼吸が段々と短く、浅くなっている。すぐに過呼吸だと分かった。次の瞬間、病院に引き返そうかと考えて、けれど止めた。そして上を向いて喘いでいた元就の顔を固定すると、開いた口に自分のそれを合わせた。体はびくりと反応したけれど、すぐに酸素を求めて必死になる。酸素の代わりに二酸化炭素を送り込み続けていると、徐々に肩が下がり始め、落ち着いてきた。


「いいか、ゆっくり息を吐け」
「…っ…はぁ…」
「もう一度、今度はゆっくり吸うんだ」
「…っは…」
「よし、いい子だ」


ゆっくりと背中を摩りながら涙を湛えた瞳を覗き込むと、元就は今度は自分から抱き着いてきて、再び胸に顔を埋めた。


「…元親は…いなく、なっ…」
「ここにいるじゃねぇか。お前を一人にするかよ」


すぐに以前のような関係に戻るのは無理でもこれからは父親だっているのに、何故今、元就がそんな心配をしたのか、その理由は分からなかった。
その後、医者に見てもらうかという問いに頭を横に振った元就の体を支え、通りに出てタクシーを捕まえた。アパートに戻ると、明かりも点けずにベッドへとなだれ込み、ようやく一息つく。それでも、まるで抜け殻のように身体を横たえた元就に不安を感じずにはいられなかった。今まで元就を支配していた世界のすべてが崩壊した今、一番不安定なのは元就自身なのだ。


「もう寝るか?」
「……」
「おい、元就」
「……」


聞こえては、いる。
それが証拠に、声をかけたタイミングで瞳が揺れた。けれど、涙と一緒に喉も枯れたのか、返事はなかった。
水を飲ませた方がいいと判断し、ベッドから離れようとした時だった。元就の手に手首を捕まれ、驚いて振り返ると何も言わずにただ不安げな眼差しがこちらを向いていた。


「どこ、いく…」
「…水を取りに」
「あ…すまない…」


その、一瞬の表情を見逃さなかった。咄嗟に引っ込めようとした手を今度は逆に掴んだ。これまで何度も味わった切なくやるせない想いが、また胸を覆った。深い。本当に根深いものなのだと思い知らされる。


「もっとわがままになれ」


驚きに大きくした目を真っ直ぐ見返して顔に手を添えた。そして目の下をゆっくりと親指で撫で、そのまま口づけた。冷たい唇が熱を持つまで、続けた。薄暗闇で確かな温もりを確かめ合う為に。不安だと言うのなら、何度だってそうする。


「いてくれるだけで、いい…側に」
「いるよ」


けれど、元就の目はまた虚空をさ迷った。


「…たぶん、父は……いや…父は、救われるだろうか」


咄嗟には、何も答えられなかった。あの涙も言葉も、嘘ではないことは分かっている。しかしそれで今までの罪が無くなる訳ではない。そんなことは本人が一番理解しているはずだ。恐らく一生背負って生きていくのだろう。
けれど、


「お前がいるだろ」


そう。今元就自身が言ったように。そして自分と同じように元就という存在が在るならば、それが、それだけで、きっと救いになる。
縋るような視線が向けられ、半ば願いのような言葉が確信になる。


「いるだけでいい、お前が」
「…遠くでも…?」
「そう、そういうもんさ」


その問いに少しの疑念を抱きながらも、頷いた。










そうして何かを受け入れたかのように、元就は静かに眠りについた
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