(…元就…)


どこか遠くで誰かに名前を呼ばれたような気がして、目を覚ました。
汗ばんだ身体を起こし、夢か…と内心で呟く。既に明るくなっていた部屋に窓からささやかな風が吹き込んで、カーテンを揺らしていた。
ふと、手に何かが触れた。
はっとして視線を向けた次の瞬間、盛大に心臓が跳ねた。
触れていたのはまるで枕のように伸ばされた元親の腕で、その元親は上半身裸でこちらを向いて眠っていたのだ。
徐々に重たい頭が回転し始め、昨夜のことが思い出されてくる。同時にカァッと熱が顔に集まるのを感じ、いたたまれずに視線を逸らしたものの、その先で既に昼前をさしている時計が目に入って再び慌てた。
元親を揺り起こして着替えを済ませ、盆の準備で忙しくしているはずの元親の母の手伝いをしようと二人揃って階段を下りた。豪快に欠伸をする元親に続いてリビングへ入ると、予想に反して母親はソファに腰掛けてじっと何かを見つめていた。


「…何してんだ?」
「あら、いいところに来たわね」


元親と顔を見合わせてから手招かれるまま近付いてその手元を覗き込むと、何通かの古い手紙がそこにあった。更に疑問符が浮かぶ。


「ねぇ、あなたたち知ってたの?」
「は?何を?」
「あんたが毛利君のことを元就って呼んでるのを聞いてね、何かずっと引っかかってたの。そうしたら偶然見付けたのよ、これ」
「手紙?」


見覚えのない手紙に、首を傾げたのは元親も同じだった。これが何か自分に関係があるものだとも思えない。
母親は気にせず続ける。


「そう。確か十歳頃だったかしら…ほら、あんたが海で溺れた子を助けたことがあったでしょ?」
「…いや、覚えてない」
「まぁとにかく、近くの海水浴場でそんなことがあったのよ。ねぇ、あなたじゃない?」


そう言って手紙の文面をこちらに向け、一カ所を指差した。
よく見ればそこには確かに“元就”の字があった。頭の隅で、ちりちりと記憶が疼く気配がした。どくどくと心臓と血液が波打つ音が耳に響く。さらに差出人の名を見て、今度は息を飲んだ。
それは紛れも無い、父の名前だった。


「感謝の言葉と、その後あなたが元気だということ、それから事故の記憶がなくなっているということが書いてあったわ」


失われていたのはその時の記憶だけだったので、無理に怖い記憶を思い出させることもないと、両親はなかったことにしたらしい。そういう理由で本人からお礼を言わせることが出来なくて申し訳ないとも記してある。
続けてそう説明してくれる言葉は、混乱する頭に上手く入ってこなかった。
しかし、これで説明がつく。
何故、この街や海の写真を見て懐かしいと感じたのか。初めて見た気がしないと思ったのか。
さらに、手紙によればそれは兄が亡くなる一年前の出来事だった。それを聞いて、ぴんと記憶が蘇る衝撃が全身を駆け巡った。


「あ…」


あの日。
兄と手を繋いで出かけたあの夏の終わりの暑い日。
何をしに二人で出掛けていたのか。今まで全く思い出せなかったけれど、あれは二人で海に行こうとしていたのではなかったか。
それから元親の瞳を見た時。
海のようで綺麗だと思った。
それを初めて見たのは、きっと溺れた海の中だったのだ。そしてその時も、同じ事を思ったに違いない。


「今まで完璧に忘れてたけど…そう言われてみればそんな事があったな…」


隣で元親が呆然と呟く。
手紙には更に事の詳細が綴られていた。
沖に流されて足を攣ったらしく溺れていた元就を、たまたま近くにいた元親が助けてくれたということ。浜に引き揚げると駆け寄った両親に引き渡し、名前も名乗らず立ち去ったこと。両親はその後、近くで成り行きを見ていた地元の人に聞いて元親を探し出し、感謝したこと。


「あぁ…多分親に怒られると思ったんだな…って言うか、」



元親と目が合った。
こんな、信じられないような偶然に、言葉が何も出てこない。
二度も、助けられた。


「運命とか感じちゃうな」


今はまだ、次々と自分の中から生まれ、溢れそうな感情に戸惑うけれど、それでもこれは許された想いなのだと実感する。


「それじゃ、お互い知らなかったの?あ、でも毛利君にとってはトラウマなのよね…ごめんなさい、余計なことしちゃって…」
「い、いえ…!そんなことないです…寧ろ、知ることが出来て嬉しいです。溺れたことは、聞いた今でも思い出せないですし…」


良かった、と文字通り胸を撫で下ろした元親の母親を見て、心から安心した。この人に暗い顔は似合わない。させたくない。


「それに…」


自分の知らない所で、父も母も兄も、大切に想ってくれていた。


「海は、すきです」










広く穏やかに全てを包み込むような海は、まるで貴方たちのようだから。
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