「祭には浴衣じゃねぇと!」
「そんなルールなど…」
「いや、ある!あるぞ元就!」


大声でそう断言した元親の手には既に藍色の浴衣が用意されてあり、どうしてもそれから逃げられそうにはないな、と元就は抵抗を諦めた。考えようによってはこれはこれで身体の傷や痣をちょうど良い具合に隠してくれそうでもある。けれどそうして仕方ないと腹を括って手に取ってみたはいいものの、よく考えてみれば着方が分からない。そこで部屋を出て行こうとした元親を呼び止めて手伝いを頼むと、一瞬ぽかんとした後に何故か躊躇いがちに頭を掻いた。その時はそんな反応を不思議に思った元就だったが、服を脱いでいくうちにその理由が分かってしまった。普段している傷の手当とは違う状況に、変に緊張してしまう自分に気付いたからだ。けれどそれを意識しないようにと努め、素早く浴衣を羽織った。


「やはり少し、大きい…」
「いや、すげー似合ってる」


嘘の響きなくそう言って笑う元親の顔を正面から見ることは難しかった。胸がきゅっと締め付けられるような、嬉しいような、それでいて切ないような、元親に出会って初めて感じた気持ちで一杯になる。そうした秘めたる想いと、良くなりつつあるとは言え普通ではない身体とを隠すように、浴衣は元就の肌に馴染んだ。
家を出る頃には日が沈む前の空が不思議な色に染まる時間になっていた。辺りには沢山のトンボが飛び交っている。結局元親は体に合う浴衣がないという理由で普段着のままだった。ずっと浴衣を着るものだと思っていた元就としては騙されたような気分だったが、知っている人間に会う訳ではないと割り切ることにした。
玄関を出て下駄を鳴らしながら歩くと、歩幅を合わせるようにして元親が隣に並ぶ。手と手が微かに触れ、自然と手を繋ぎかけた時だった。


「そうか今日は祭か」


突然背後からかけられた声に驚き、咄嗟に手を引っ込めて振り返るとそこには元親と同じような背丈の父親が何か納得したように腕を組みながら頷いていた。元親がそれに対し、忘れてたのかよ、と何事もなかったように呆れたような声で返す。帰宅するには遅い時間なので恐らくどこかで呑んで来たのだろう。日に焼けた顔がますます赤くなっていたが、元就の中に怖いという感情は生まれなかった。


「お…お帰り、なさい」


二人の視線が一斉に突き刺さるのを感じながら、それにどうにか耐える。すると一瞬の驚いたような反応の後、父親はすっと優しい表情になった。


「おう、ただいま。浴衣、よく似合ってるな」
「え、あ…」
「んなの当たり前だろ。じゃ、行ってくる」
「おぉ、遅くなるなよ」


手をひらひらと振りながら家へ入って行くその後ろ姿を見送り、玄関のドアが閉じた後も、元就はしばらく呆然としてそこから顔を離すことが出来なかった。
思い出していた。
優しい父の姿を。


「行こう」


元親の差し出した手を握って頷くと、力強く引かれて暮れ泥む街へと歩き出した。








何処からともなく太鼓の音に混じって、風鈴の音が聞こえてくる。家から歩くこと十数分。行き交う人もだんだん多くなり、小さな街全体が祭の雰囲気に染まっているようだった。目的地である立派な神社の境内には提灯が幾つも吊られ、色んな出店で賑わっている。流石にもう手は離して歩いていたけれど、それに気付くような人はいないように思えた。誰もが笑顔で、今日の日を楽しんでいるのがわかる。


「俺りんご飴食いたい!」
「甘いものが好きだな」
「え〜嫌い?」
「……嫌いではない」
「じゃあ好きって事で!」


その言葉に苦笑しながら、元親の後ろをぴったりと付いて歩く。苦手だった人混みも、元親の大きな体の後ろにいれば平気だとさえ思えてくるから不思議だった。本人はそんなことには全く気付いていないだろうが。


「そういえば、弟は一緒でなくて良かったのか?」
「それがあいつあれで結構モテるみたいでさ、今日も…」


突然立ち止まった背中に、元就はしたたか顔を打ち付けた。


「元親?どうした…」
「あ、やっぱお前かぁ。長曽我部クン」


突然の不穏な言葉に、背中越しに前を見ると、同じ歳位の体格の良い男が元親と対峙していた。その口元に歪んだ笑みを浮かべた男に一瞥され、思わず固唾を飲む。


「なぁんだ。女連れかと思えば男かよ」
「……」
「どっちにしろ見掛けねぇ顔だなぁ」
「……」
「あぁ…そうか、大切なお友達か」


それがきっかけだった。今まで口を噤んで微動だにしなかった元親の体がぴくりと反応した。次の瞬間、元親に腕を掴まれた元就は訳がわからないままその手に引かれ、男の隣をすり抜けて、境内の更に奥へと連れて行かれた。その痛い程の強い力に、胸がざわめく。



「なぁ待てよ。久々なんだから楽しもうぜ」


男はにやにやと卑しい笑みを浮かべながら付いて来た。その挑発的な声が聞こえないはずはないのだが、元親は一切無言でひたすらに足を進めるだけだった。そのうちに本堂の裏まで来ていた。先程までの人々のざわめきが遠くに聞こえる。そこで元親はようやく立ち止まると、元就を背中に隠すようにして男と向き合った。


「やぁっと相手してくれる気になったか?」
「どうして俺に関わる」
「理由?んなもんねぇよ。まぁ、目についてウザい!ってのはあるけどー」
「だったら俺はもうここの人間じゃねぇから安心しろ」


余裕ある笑みで妙に抑揚をつけた言い方をしていた男の顔が一気に引き攣ったのを、元就は見た。けれど元親の顔を見る勇気は持てなかった。ただ、繋がれていない左手を元親の腕に添える事しか出来なかった。


「その態度がムカつくんだよ!」


びりっと空気を揺さぶった怒声によってフラッシュバックのように元就の頭を駆け巡った記憶がその身体を震わせた。けれどすぐに、大丈夫だと言うように、元親の手がしっかりと重ねられる。


「黙れ。大声を出すな」
「はっ!おい震えてるぜ、そいつ」
「黙れ!」
「だったら本気出せよ」
「…元就、少し目閉じてろ」


繋がっていた手が、離れた。
その拍子に頼りを失った身体が揺らぐ。
呼吸が浅くなり、元親を止める言葉が出て来ない。
そして、殴り合いが始まった。
見たくはないのに、目を離せなかった。
元親の拳が男の頬や顎に入る。
必死に声を出そうとするが、初めて見る元親の強暴な姿を目の当たりにした身体は強張り、喉は萎縮し、少しの声も出なかった。
けれど。
形勢が変わってその目に飛び込んできたのは、元親の迷いのある拳と、苦しげな表情だった。


「元親やめろ…!やめてくれ!」


それは半ば叫び声になって喉を震わせた。
その瞬間、はっとしたのは元親だけではなかった。


「…元就」
「水差すんじゃねぇよ!」


一瞬気を取られた元親の顔に男の拳が入り、その体がよろめいた。けれど元親は何事もなかったかのように男に背を向け、まるで悪い夢から覚めたかのように戻って来る。
そしてもう一度、手を握った。
もう離れていかないように、元就もそれをしっかりと握り返した。


「ごめん…ごめんな」
「おいこら!まだ勝負は着いてねぇだろ!」


男が肩で息をしながら怒鳴る。けれどもう、身体は竦まなかった。元親は顔を歪めたまま、再び男に向き合った。


「鼻っから勝負なんかしてねぇよ。もう二度とお前の前に現れない。それでいいだろ」
「逃げんのか!」
「二度は言わねぇからよく聞けよ」


そして言った。


「俺はお前を許す」










いつか元親が言ったように、知りたいと思った。何も出来ないかもしれないけれど。
それでも、知りたい。

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