ぽろぽろと涙を流す姿は子どものようであるが、本当の子どもは決してそんな遠慮した泣き方はしない。嗚咽を漏らさないように空気を震わせないように、まるで誰にも気付かれないように迷惑にならないように、元就はそんな風に泣いていた。次々に頬を伝う涙を掌で拭ってやりながら、これが元就の我慢の決壊ならばいい、元親はそう思っていた。
沈黙が落ちて何分が経っただろうか。部屋の光が、濡れた瞳に入り込み、鳶色が透き通って輝いた。


「…元就の目、綺麗な色だ」


つい、思っていたことが口をついて出てしまっていた。何を言っているんだと自分自身慌てそうになるがしかし、その言葉に再びふっと元就の視線が落とされた。伏せられて見えなくなったそれを、場違いにも残念だと思った。


「あー…そう言えば、お前は聞かないんだな」


そう言ってから、元親はトントンと自らの左目を覆う眼帯を指した。そうやって無理矢理にでも話を変えたのには理由があった。
それは元就が寝ている間中、散々考えを巡らせる内に、順序として今まで間違っていたことに元親自身、気付いたからだ。けれどそんなことを知るはずもない元就はその突然の質問に少し驚いたような反応を見せたが、そこをちらっと見ただけですぐに視線を逸らしてしまった。


「……聞かない」
「気にならねえ?」
「………」


元就の顔からは、痛みに耐えるような表情が消えなかった。
それを見て、やっぱり向いてないなと元親は思った。はぐらかすような、誤魔化すような、あるものをないと言えるような、そんな性根ではない。小さく息を吐いてから、眼帯に手をかけた。


「ちょっと、ごめんな」


そして雨に濡れた為に新しく交換したばかりの眼帯をゆっくりと外した。同時に元就が静かに息を飲むのがわかった。初めて目にするのだ、無理もない。こうして誰かに、自らそれを見せるのは数年振りだった。初めての相手にそうすることに慣れることはなく、まだ少しの躊躇いと恐れがある。それでも元親は自ら元就の前で眼帯を外してみせた。その手でそこにある火傷痕を撫でる。引きつった皮膚に痛みは無いものの、視界はほぼゼロだ。


「小せぇ時にヤカンひっくり返しちまってさ、殆んどくっついちまってるけど全く見えないってわけじゃねーんだ」
「……」
「今まで聞かれなかったから言わなかった、とか言い訳しながら本当は…やっぱりまだ怖かったんだろうな…」


矢継ぎ早な言葉はそれこそ怖さに対する無意識の自己防衛にるよるものだと、いつからか元親は自覚していた。それはこの右目せいで相手に自分を怖いと、気持ち悪いと思われることに対する恐怖だ。今までそれが原因で実際に身に起こった経験が、そうやって元親を臆病にさせていた。


「やっぱり、いじめられたりとかしたし。好きなバスケも遊び程度にしか出来ねぇしさ、」
「……」
「この目も、髪や目の色も、普通じゃないからな…でもこればっかりはどうしようもないだろ?」
「……」
「…何で、泣くんだよ」
「…っ、」


初めて見た時に元就に抱いていた印象が、元親の中でどんどん崩れていくのがわかった。常に冷たい表情で他人との距離をとり、誰にもその領域を侵させない。まるで感情なんかない人形みたいな、自分とは全く正反対の完璧な人間に見えていた。しかし今、目の前の元就はどうだ。その姿はあまりに脆くて弱々しい、触れたら今にも消えてしまいそうだった。もしかすると、これはずるい方法かもしれない。けれどもう、何も聞かないという訳にはいかない。


「ごめん。やっぱり俺さ、知りたい。知って何が出来るんだって、自分でもそう思うけど…」


元親の、その何も隠さない正直な言葉に元就の強ばっていた体からゆっくりと力が抜けていった。とても疲れていた。今まで限界なんて感じたことはなかった。ただ、今は掴まるものが欲しかった。


「……兄が、いた」


そうしてぽつりぽつりと、元就が語り出した。そして今度は逆に、元親の体が強ばっていった。








頭も良く明るい兄だった。元就とは歳が離れていたせいもあり、いつも兄の後をついて回っていた。優しくて暖かい兄が大好きだった。家族にとって、兄は太陽のような存在だった。そんな兄が五年前、事故で亡くなった。わき見運転のトラックが歩道を歩いていた二人を襲ったのだ。しかしその時、兄はいち早く気付き、元就を庇っていた。兄に突飛ばされた元就は擦り傷、トラックにはね飛ばされた兄は即死だった。突然の出来事に両親は悲しみに暮れ、その落ち込みは見ていられない程だった。元就も現実を受け入れられず、両親に見つからないようにして兄の部屋で毎晩泣いた。
それからすぐに兄を溺愛していた父親が酒に溺れるようになった。そこから、家庭内暴力が始まった。その矛先は母親に向いた。父は何の罪もない母に絶望的に酷い言葉を容赦なく浴びせた。兄の死で既に心身共に弱りきっていた母は耐えられずに泣き狂った。次第にそれは恐怖に身を強ばらせて泣いていた元就にも向けられるようになった。瓶を投げつけられ、腹を蹴られる。それでも、暴力はまだ良かった。それよりも実の父親の口から吐き捨てられる、元就の存在を疎んじる言葉が一番辛かった。
母親はそんな暴力から元就を守る事もなく、むしろ元就を責めた。何故お前が死ななかったのか、と。そして母親からの暴力も始まった。しかしそれは長くは続かなかった。母親が首を吊った。兄の死から二年後のことだった。父親はさらに酒を煽るようになり、自分の暴力を棚にあげて元就を詰った。兄と母が死んだのはお前のせいだ、と。そんな謂われのない言葉の毒をずっと注がれ続けてきた。そんな酷い父親からの暴力を、今も一人で受け続けている。
そんな、話だった。
それは元親の想像をはるかに越えた内容だった。驚愕する全身は震え、完全に言葉を失っていた。
元就はそれを罪だと言った。兄の犠牲の上に、両親の悲しみの上に生きることが、許されない罪なのだと。


「父から何もかも奪った…」


助けて、とは決して口にしなかった。それは信用出来る人間がいなかったからなのか、それともそれの資格さえないと思っていたからなのかすら元親には分からなかった。けれど話をする元就はもう、泣いてはいなかった。元親は溢れた涙を、乱暴に拭った。元就の身に起こった事実の悲しさと、理不尽さに対する腹立たしさと、何の言葉も出てこない無力さとで、元親の中で渦巻く感情はぐちゃぐちゃだった。


「違う…なんでそうなるんだよ…」


どうして、そんなに哀しい顔をして一人耐えなければならないのか。元々誰にも存在しない罪を作り出して元就に被せ、それを攻撃することで辛い現実からの逃げ場を得た。元就はそんな父親を信じ続け、ありもしない罪に苛まれている。これが現実に、この目の前の元就の身に起こったことならば、狂っている。


「……ゆるして…」


元親を見てすがるようにそう呟いた元就が、誰に対して赦しを請うたのかは分からなかったけれど。


「罪なんてどこにも、何ひとつもないんだ。元就は悪くない。これは絶対にだ」


元親はゆっくりとそのか細い体を覆うようにして、頭を抱き締めた。すぐに肩の布が元就の涙で濡れるのが分かった。


「…っ…ゆるし…って」
「お前は悪くない…だから我慢するな」
「…っ…う…ぁあ…」
「頼むから…もう、一人で泣くなよ…」


打ち明けたことを後悔させては駄目だと、そう強く思った。
互いに泣き顔は見なかった。けれど響く雨音の中でも、互いの声は聞こえていた。










雨雲の向こうで、ひっそりと日は沈む。
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