「図々しい役立たずが!」


飽きたからなのか疲れたからなのか、最後に脇腹を一蹴りして、父は自室へと戻って行った。ドアの閉まる音を聞いてから床に横たわったまま居間の時計を見ると、1時を回ったところだった。それからゆっくりと体を起こし、そこらじゅうに散らばったガラスの破片やら自分の血やら倒れた椅子やらを片付ける。そうせねば、明日はまだ酷い暴力が待っていることを知っていた。
父の出勤は早いため、朝に顔を合わせる事はない。帰宅するのはいつも10時過ぎで、大抵酒を飲んで帰ってくる。それに合わせて風呂を沸かしておかなければならない。そして部屋から出ずに父が眠りに就くのを怯えながら待つ。それが元就の日常だった。運が良ければ何事もなく一日を終えることが出来る。それは父が元就の存在なんか忘れている時。運が悪ければ今日みたいな事になる。例えばそれは部屋から出ている時に父と出くわしてしまったり、父の機嫌が悪い時だ。
綺麗に片付けを終えた元就は、痛む体を引きずりながら風呂場に向かった。汚れた服を脱ごうと腕を上げた時、執拗に蹴られた脇腹に激痛が走った。


「…っ!」


しかし何とか声を漏らさずにゆっくりと服を脱ぎきり、明かりもつけずに風呂に入った。蓋が開けっ放しにされていたせいで湯が冷たい。しかしその冷たさにほっと息をついて、ゆっくりと目を閉じた。涙なんか、もう出ない。










その夜、夢を見た。それはほんの十数年前。優しい父と母、そして兄がいた頃の光景だ。母に抱かれていた。父も兄も優しい笑顔だった。


(元就は甘えん坊だなぁ)
(ふふ、本当にね)
(遊ぼう、元就!)


朝、目を覚ますと泣いていた。どうしてだろう。こんな幸福な夢を見たのは、久しぶりだ。しかしすぐに身の程知らずを自覚した。自分にはそれを望む資格など、ない。振り払うように涙を拭い、時計を見ると大幅に寝過ごしていることに気付く。しまったと素早く支度をしてすぐに家を出た。やはりまだ左の脇腹が痛んだが、骨は折れていないことに安堵した。そうして足早にマンションの玄関を出た時だった。大きな欠伸をする銀髪が目に入り、思わず足を止めた。驚きに声も出ないでいた元就に気付いた元親が、片手を上げて笑った。


「よっ!おはよ、元就」
「貴様ここで何を…!」
「迎えに来たんだよ。つーか名前で呼べよなー」
「勝手に来るな。頼んでない」
「実はこの道通った方が近道なんだよな」
「…もういい。お前と話している時間はない」
「だよな、遅刻する」


元親の理由は答えになってなかったが、もう反論も面倒だと思い、諦めて歩き出した。すぐに隣に元親が並んだ。道中、昨夜放送されたというドラマについて熱く語る元親の話を聞き流しながら、誰かとこうして登校するのは初めてだと気付いた。もしかするとあんな夢を見たのも、この男のせいかも知れない。自分の横の存在に慣れることが出来ずに、そんなことを考えながら歩いた。時折また脇腹が痛んだが、それを悟られないように振る舞うことには、慣れていた。










夏の気配に満ちた空気が、身体にまとわりついた。夢の中の幸福は、溢れ落ちたまま。
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