それから放課後まで毛利は目覚めなかった。
あの後すぐに気を失って倒れている毛利を抱えあげ、俺は昼休みの廊下をとにかく保健室へと走った。集める視線にも気付かないほど必死に。その時はもう、さっきまでの憤りなんて全く頭から吹っ飛んでいた。そしてそんな俺の不安を更に煽ったのは抱え上げた体の、その軽さだった。


「急患!」


保健室に飛び込むと、椅子に腰かけて本を読んでいた保険医の明智が珍しく驚いた顔を見せた。この相当変わっている教師は、けれど俺が授業中サボりに来ても何も言わずにこの場所を提供してくれていたりして顔見知りでもある。


「とりあえずベッドに」


すぐに冷静に状況を判断してそう指示を飛ばしてくれたことで、俺は少しだけ気持ちを落ち着けることが出来た。言われたまま毛利をベッドの上に横たえて、それからはただ見守ることしか出来なかったけれど。
そして今。
あれから俺はそのままずっと保健室に居座っていた。明智は何も言わなかったし、何も聞かなかった。倒れた原因は寝不足と精神疲労によるものだろうということで、寝ていれば良くなると言われた。
だけど俺にはその原因と、あの体の…昨日のこととが無関係とはとても思えなかった。だけど毛利が頑なに隠し通そうとするそれを、本人の意思の不存在で誰かに打ち明けてしまうのは、勝手な気がした。だから黙っていた。
頼みがある、と言われた時、俺は俺に出来ることなら何でもしようと思ったのに…
「口外しないでくれ」
あの言葉がよみがって、またぐっと拳に力が入った。



そして今から少し前、携帯で連絡を入れていた政宗が俺と毛利の鞄を持って顔を出してくれた。その時政宗は一言、大丈夫なのかとだけ尋ねてきて、俺が大丈夫だと答えるとそれ以上は何も言わずに帰っていった。
そんな周りの優しさに触れる度、俺は自分を責めることしか出来ないでいた。自分の幼稚な行動がこの結果を連れてきたことは、だって明らかだ。
再び毛利に目をやる。
いくら許せなかったとはいえ、精神的にも体力的にもきっと弱ってるはずの奴にあれはなかった。そうやって頭を冷やすにはそれは十分な時間と静寂だった。
六時過ぎ、ちょうど明智が職員室に行くと出ていってすぐだった。


「…っ…」
「毛利!?」


ベッドの上で閉じられていた目蓋がゆっくりと開いていく。それから小さく身動ぎして、その視線をさ迷わせた。そしてようやく身を乗り出していた俺と目が合った。合った途端に見開かれた目は、しかしすぐに逸らされてしまった。そんな毛利に、俺は何よりも真っ先にと頭を下げた。


「ごめん!」


その声にさえビクッと肩を揺らして、どうしていいか分からないといったような表情にはまだ畏怖が見てとれて、たまらなくなった。


「俺が、悪かった」
「……」


気まずい空気が、流れる。時計の針がカチカチと小さな音で存在を主張していた。それにまるで急かされるように、俺はあれからずっと考えていたことを口にした。


「俺、考えたんだ」
「………」
「お前の頼み、聞くよ。誰にも言わねぇ。約束する」
「……あぁ」


少し視線を外した毛利の瞳が小さくまた、しかし確実に揺れた。それを俺は見逃さなかった。それを誰にも言うなと言うのなら。偶然にでも知ってしまった俺は、


「ただ、交換条件がある」
「……なんだ」
「傷の手当てをさせろ」
「なっ……」


突飛な提案であることは承知だ。しかしこれが俺なりの妥協案。これ以上は譲れなかった。弱味を握って脅しているようにも取れるだろう。しかしどうやったって、関わりたいと思った。だってきっと、あれを知るのは俺と本人だけだ。理由は分からないし、どうでもいい。


「頼む」
「…なん、で…」
「ただの自己満足だよ」
「………」
「自己満足だから」



半ば一方的に取り付けた約束に、俺はようやく安堵した。気負わせては駄目だ。ゆっくりいかないとまた同じ事になる。もうこういうのはごめんだ。なんたって心臓に悪い。だからゆっくり、なるべくゆっくりだ。










下校を促すチャイムが鳴り響いて、それを合図に緊張が一気に弛緩していくのを感じた。
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