忍足侑士は驚愕する

無人の家に帰るのは随分久しぶりだ。

忍足侑士はコートの胸ポケットから鍵を出しながらふと思った。
普段は鍵など使わなくとも家に入ることができるからだ。
同居人がつけた、星とイグアナという奇妙な組み合わせのキーホルダーが、鍵を回す動作に合わせて揺れる。
買ったときより薄汚れたそれは削れて幾分か丸みをおびていた。

侑士は同い年の恋人と同棲をしている。
同棲と言ってもラブラブに甘いものではなく、元々侑士が独り暮らししていたマンションに、相手が上京と同時に強引に転がり込んできたのだが。
悪く言えば居候されたのだ。
ついでに言えば恋人と言える関係になったのもその初日の夜の事で、これまた強引にいろいろなはじめてを奪われたからである。

侑士はロマンチストだった。
だが、それと同時に寛容な人間だった。

だから、安定した職について恋人が出来たらどこか夜景の見えるところでしようと取って置いた初キスを奪われ、更にその次の行為まで奪われても、侑士は相手を殴らなかった。
追い出しもしなかった。

要するに侑士は受け入れたのだ。

自分の従兄弟であり、同じ男である忍足謙也の愛情を。
性別を気にすることなく一心不乱に愛を貫く彼を。

忍足侑士は同性愛にも寛容だった。
それと同時に少々面倒事を嫌った。


鍵を差し込みドアをひく。
ドアノブはひどく冷たくなっていた。
「今日も寒かったしなぁ」
独り言をつぶやきつつ両手にはぁ、と息を吐きかけた。
玄関の電気をつけると、我が家に帰ってきた感じが強まって、
安心からか空腹を感じた。
そういえば、と侑士は唐突に思い出す。
昨日、謙也と半分食べた濡れ煎餅が半分残っていたはずだ。
濡れ煎餅に目がない中学時代の後輩からの貰い物だけあってとても美味しかったのを覚えている。
部屋についたら暖房をいれて、お茶を入れて食べよう。
夕飯の献立を考えながら。
そして謙也を待とう。

侑士は小さく頷くと、そのままの足でリビングに入った。


その直後、
隣人に壁を叩かれるほどの悲鳴が轟いた。

もちろん侑士の。

侑士は硬直していた。
ついでに彼にしては珍しい滑稽な表情をしていた。
それほどまでに驚いていたのだ。
無人だと思っていたリビングに人がいたことにも、
そいつがとっておきの濡れ煎餅を食べていたことにも、
そして、そいつが自分と瓜二つだったことにも。

「だ…」
「あ、おかえり」
同じ顔をした男は、まるでそこが自分の定位置だとでも言うように、平然とソファから手を振った。
「お…」
「な、これむっちゃうまいな。日吉やろ」
「な…」
「やっぱこっちの日吉も濡れせん好きなんやな」
「え…」
言葉を続けられない侑士に、男は頬を膨らませたかと思うと、吹き出した。
「なんや、その顔。ドッペルゲンガーに会うたみたいやで〜〜〜wwwww」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

侑士はひどく動揺した。
ドッペルゲンガー。
もう一人の自分に出会うこと。
もし、ドッペルゲンガーに出会ってしまったら、
待っているのは『死』

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ悪霊退散悪霊退散悪霊退散」
「ちょ、ちょぉ待て!悪霊ちゃうわ!」
「イヤやイヤや死にたないねん!!!」
「待て待て待てて!辞典投げたら俺が死ぬて!」
「この世界には忍足侑士は一人でええっちゅーねん!死ねっ死ねっ!」
「やめや!俺が死んだら自分も消えてまうかもしれへんで!?」

侑士はピタリと動きをとめる。
『自分が消える』なんて勘弁して欲しい。

「…お前誰やねん」

にっこり笑った侵入者は、「忍足侑士や。よろしゅう」と予想通りの答えを述べた。



「パラレルワールド?」
「せや」
聞きなれない言葉に侑士が問いかけると侑士2は大きく頷いた。
「俺もお前も忍足侑士なことは確かなんや。
せやったら俺らは別次元の同一人物っちゅーことになるんやないかなて」
「別次元の同一人物…」

侑士は改めて侑士2を見据える。
見た目はそっくり…いや、生き写しと言えるだろう。
ただ、着ている服だけが違う。
さっき保険証や免許証も確認したが、彼が忍足侑士であることは紛れもない事実。
だが、自分も忍足侑士なのである。

「ま、とりあえず握手しよ握手」
答えない侑士に、納得したと思い込んだ侑士2は勝手に頷き、侑士の手をとった。

「なんやねん」
「いや、なんか感動や。もう一人の俺に会えるなんてな!」
「…はぁ」

どうやら侑士2は自分より少々テンションが高いようだ。
流されるまま手を握り返すと上下にぶんぶんと振られた。
「いや、なんかすごいな!自分と握手やて!」
「…確かに記念にはなるわな」
ため息混じりに呟くと、侑士2はニヤリと笑って
「ほな次はキスしとこか?」なんてほざいた。
「は!?」

侑士は咄嗟に後ずさったががしりと腰を捕まれてしまう。
自分と同じ色をした瞳が近寄る。
「ちょ、何すんねん!」
「ええやん、ええやん。自分とキスだなんてめっちゃ記念になるで」
「イヤや!」
「暴れんなて。よう漫画でもこういう展開あるやん」
「知るか!」
腰を捻り、逃げ出そうとしたが逆に押さえつけられ、ソファーに縫い付けられてしまう。
聞きなれた自分の声で耳元で囁かれるとゾクッと背筋に緊張が走る。
「どうせ自分も男とつきあっとるんやろ?平気やて」
急な展開に頭も体もついていかない。
自分も、と言うことはやっぱりパラレルワールドの侑士も同性愛中なのか…と少し落ち込む。
でも、だからと言ってキスする理由にはならない。
侑士は侑士2の腕を押し返し、上体を起こす。
力は同じくらいのはずだ。必死で抵抗すれば…。
「イヤや言うてるやっ…う!?」
と、その時、突然みぞおちを押されぐらりとバランスを崩した。
咄嗟に受け身をとるが、それよりも早く頭のしたに滑り込んだ手が頭を持ち上げる。
「あっ」
「隙ありやで」
「やめっ…ん!」
目を瞑る隙も与えられずに唇を奪われる。
重なっていたのは一瞬だったが侑士には何十分にも感じられた。

「っさいあくや…」
起き上がった侑士は侑士2をどつき、唇を拭った。
謙也とのキスだって、まだ慣れないのに。
「無理矢理して記念になんかなるかい…」
しかし侑士2はなにも答えず俯いたままで。
「おい」
軽く肩を揺さぶるとようやく彼は顔をあげる。
その顔はうっすら赤く染まっていた。
一瞬自分ながら気色が悪いと思ってしまう。
「…聞いてんのか」
「なあ」
ところが侑士2は真剣な顔つきで侑士を見つめた。
「なん」
「お前エロいな」
「は!?」
思わずソファーから落ちた侑士に気もとめず侑士2はうっとり続ける。
「俺てこんなにエロい顔でキスするんやな」
「おい」
「なんや、こう、服従させたなるような…せやから受け子なんかな…」
「…お前も受けかいな」
うすうす感づいていたが現実を突きつけられ落胆する。
「せやでー、あー、なんか恥ずかしゅうなってきた」
「…なにが」
すっかり落ち着いた侑士に、侑士2は照れつつ言った。
「せやって、こないな顔毎回白石に見せてる思たら〜!」
「は!?」
侑士は目を剥いた。
侑士2の口から予想もしていない人名が出た気がしたからだ。
「すまん、ちょぉ聞いていいか」
「ん、なんや?」
「お前は白石と付き合うてるんか」
今度は侑士2が目を剥く番だった。
「お前は…て、どういうこっちゃ?」
「俺は…謙也と付き合うてるんやけど」


白石蔵ノ介。
正直なところ忍足侑士は白石が苦手だ。
幼稚園からの幼なじみで、現在は同じ医大の違う学部に通っているのだが、
彼は会うたびに悪態をついてくる。
『おう、侑士。今日も暗いな』やら『今日謙也補習やてな。お楽しみできんくて残念やなぁ』やら。
昔は仲がよかったのだが、大人になってからはつるんでくれなくなったのだ。
侑士の何が不満なのかは不明だがとにかく仲がいいとは言えない。

そのことを話すと侑士2は意外そうな顔をした。
「俺にしてみれば謙也のが意外や」
「そうなん?」
「あいつ絵にかいたようなツンデレやで」
「はぁ?」
侑士の知っている謙也は侑士にベタ惚れで暇さえあればキスをねだってくる。
そしてはねのけられれば分かりやすく拗ねる。
そんな謙也にツンデレのような器用な真似が出来るわけがない。

「同じ俺でも恋人が違うんか…」
侑士の言葉に侑士2は顔をあげる。
「なぁ」
「ん?」
「俺たち入れ替わってみいひん?」
「…どうやって?」
侑士2は立ち上がり部屋を出るとまっすぐ侑士の部屋に向かう。
「俺な、自分の部屋のクローゼット開けて、奥の方の荷物とろうと覗き込んだらここにいたんや」
「は?」
「なんや知らんけど、俺とお前の次元は今クローゼットで繋がっとるみたいや」
「嘘やん」
そんなドラマのような話信じがたい。
しかし、侑士2の顔は嘘をついているように見えなかった。
侑士はごくりと唾を飲んで、ドアに手をかける。
この先にもう一つの世界がある。
もう一人の俺がもう一人の白石と暮らす世界が。
「行ってみるか?」
「…あぁ」
侑士2はまた侑士の腕を引いて頬に口付けた。
「おま…」
「俺の恋人とらんといてな?」
「…自分もな」
侑士は侑士2に笑い返すと、クローゼットに足を踏み入れた。
「とりあえず一日。明日の九時にこっち戻ってこいや」
背後から聞こえた声に軽く手を振って、侑士は中に飛び込んだ。


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