歪む気持ちはあなたが欲しい



 虚しい――みょうじを抱いて、そう思った。
 俺はみょうじのことが好きだ。愛してる。その気持ちに間違いはない。しかし、みょうじは違うのだ。

「私、花宮くんの役に立てた?」

 行為が終わった後、みょうじが口にした言葉だ。
 これはいったいどういう意味で言われたのか。おそらく、実のところみょうじは俺を気遣って俺に抱かれたのだ。
 俺が好きだというのは、本当だろう。
 しかし、俺に抱かれた理由は、俺が好きだから、ではなく、きっと、俺の寂しさを埋めるため、なのだろう。
 利用しているみたいだと、俺は自分で言った。
 それはその通りだった。

「ああ――立てたよ。ありがとう」

 みょうじの愛情を抱きたかった。
 この件は、俺の心に深い傷を残した。



 花宮くんに抱かれてから一週間。あれから花宮くんは私を求めるでもなく、二人で淡々とした日々を過ごした。
 別に、そこに愛情がなくなったわけではないけれど、なんだか、どこかもの寂しい気持ちだった。
 なんだろう。なんて言えばいいのかな。たぶんあのとき、本当は、私は花宮くんに抱かれるべきではなかったのだと思う。早すぎたのだ。
 結果として、花宮くんの傷を埋めるために私たちは肌を重ねたような形になってしまった。
 そこで残ったのは虚しさだけ。きっと、花宮くんはそれを気にしている。ゆえに、花宮くんには新しく傷が増えたはずだ。

「ねえ、花宮くん」
「なんだ」
「私たちさ、お互い好き合ってることはわかったし、近い将来結婚しようってことになったけれど、今って、付き合ってるってことなのかな」
「なんだよ、急に」
「大事でしょ、そういうのって」
「まあ、付き合ってるものだと、少なくとも俺は思ってたよ」
「そっか、よかった」
「どうしたんだよ」
「ううん。なんでもない」
「なんでもなくないだろ」
「……ちょっと、不安になったの」
「不安?」
「うん。花宮くんは将来の確約≠チて言ってたけれど、あれ≠ナ本当に、未来の幸せが確定したのかなって。それとさ、前に愛に囚われている≠チて言ってたでしょ? あれってどういう意味で言ったの?」
「あれは……そうだな、なんて説明したらいいんだろうな。端的に言うと、お前が好きだから、今ある幸せを崩したくなくて、なにごとにも臆病になってしまう……って感じだな」
「うーん、難しい。どういうこと?」
「確定した愛がなければ弱くなるって意味だ」

 花宮くんが言うことはいつも難しい。

「そっかあ」
「お前、わかってないだろ」
「理屈はわかったよ」
「……離れないでくれよ、頼むから」
「どうしたの? 花宮くんがそんなに弱気になるなんて。らしくないよ」
「俺はみょうじを手に入れておかないと、弱い人間になるんだ。前にみょうじ、言ったろ。俺みたいな人間が大きな舞台に立てるって。違うんだよ。俺みたいな人間は、誰かがそばにいないとダメなんだ。愛する人がそばにいないと……」
「大丈夫。大丈夫だよ、花宮くん。私、どこにも行かないよ。私はもう、花宮くんのものなんだから」
「ああ……ごめん、取り乱した」

 なんだか、花宮くんの弱いところを見た気がした。不謹慎かもしれないけど、少しだけ嬉しい。
 弱さの共有は、愛に匹敵すると思うから。

「花宮くん」
「なんだ」

 花宮くんは、私の呼びかけに、俯いていた顔をあげて目を合わせた。

「好きだよ」



 俺はもしかしたら、あえてみょうじからは離れた方がいいのかもしれない。少なくとも、今は。俺たちが大人になるまでは。
 みょうじと一緒にいることで強くなれると思っていた。けれど、違う。肉体だけを手に入れたという虚像の安心感は、俺を更に弱くする。

「好きだよ」

 ああ、やめてくれ――これから俺は、お前を突き放すのだというのに、そんなことを言われたら。
 お前に酷いこと≠しようかと考えてしまっている俺を許してくれ。

「ああ、俺もだよ」

 言えなかった。
 結局、なにも言えなかった。俺に微笑みかけてくるみょうじの目を見たら、なにも言えなかった。
 自己嫌悪にもほどがある。

「少し、外に出てくる」
「え? どこに行くの?」
「ちょっと、散歩」
「それなら私も……」
「いや、ちょっとだけ一人にしてほしいんだ」
「そう……? わかった」

 ごめん。ごめんな。
 俺はそのまま、外に出てあの場所≠ノ着くと、そこから一通のメールを送った。

『今までありがとう。明日にはみょうじの家を出るよ。ごめん』



(別れの言葉。理由なんてそこにはなくて)



20200404



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