花宮くんのお母さんのお葬式が終わってから、数日後。花宮くんは、私の家に来ていた。というのも、花宮くん一人で急にアパートで一人暮らしは、私が心配だったから、私が無理やり呼んだのだ。
これでも私は一年以上一人暮らしをしてきたので、生活スキルはあるつもりだ。このスキルを、新しい生活が安定するまでの間に、叩き込もうと思ったのだ。
それに……今、花宮くんを一人にしておいてはいけない気がしてならなかった。
「この部屋、自由に使っていいから」
なにもない四畳半を花宮くんにあてがった。
ここはもともと、お母さんが使っていた部屋だ。お母さんはある日突然いなくなった。男の元に行くという手紙一つだけを残して、なにもかもまっさらにして、この家を出ていった。
お父さんはきっと、このことは知らない。知らないまま、私に月十万円振り込んでいる。知らないというか、きっと、興味もないのだろうけれど。
「みょうじ……いいのか? 本当に、これで」
「ん? なにが?」
「俺を家に連れ込んでだよ」
「なにか不都合がある?」
「いや、常識的に考えてだ。俺とお前は年頃の男と女なんだ。なにかあったらどうするつもりだよ」
「大丈夫だよ。花宮くんが私との信頼関係を軽率に崩すだなんて思えないもの」
「あのなあ……」
「あ、わかった。もしかして、遠慮してる? 通称悪童≠フ花宮くん」
「なんでそこで悪童≠フ通称が出てくるんだよ。つーかなんで知ってんだ」
「瀬戸くんに聞いた。なんか同学年に花宮くんと同じくらい天才の子があと四人もいるって話も。すごいよね」
「とりあえず、その話はここまでだ」
「ふふ。了解」
「まあ、じゃあ……世話になる。母さんの生命保険が下りたら、生活も安定すると思うから、それまで」
「うん、わかったよ」
そうして話はまとまって、私はアルバイトに、花宮くんは部活に行くのであった。
仲良く自転車を押しながら。
バイトが終わったのは、夜九時だった。コールセンターとは言っても、括りとしては営業だから、夜九時までしか電話をかけられないからだ。
まあ、もっとも、高校生は夜九時までしかアルバイト出来ないのだけれど。
時給は千円以上でとてもよい。
それで選んだと言っても過言ではない。
明日は居酒屋のバイトが夕方から入っているので、日中はフリーだ。勉強をするいい機会。
花宮くんも明日も部活。
なんて言ったって、バスケ部強豪校の主将兼監督だからね。忙しいし、休めない。一応、土日は休みみたいだけれど。
「ただいまー」
灯りの点いた自宅に帰るだなんて、一年ぶり以上だ。
玄関を開けると、花宮くんが居間で勉強している姿が見えた。
「みょうじ、おかえり」
「ん、なんかいい匂いする。もしかしてご飯作ってくれた?」
「ああ。美味い保証はないけどな」
「そんなこと言って、花宮くんなんでも出来ちゃうからなー。料理も出来るんでしょ。無理やり連れてきちゃったけど、実際生活スキルありそう」
「まあ、なくはねーよ。でも、落ち着くまで一緒にいてくれるって言ってくれたのは純粋に嬉しかった」
「そっか。へへ」
「なに笑ってんだ?」
「いや、なんかこうしてると、花宮くんと……」
結婚したみたい――
そう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
「俺と、どうした?」
「な、なんでもない! 手洗いうがいしてくる!」
危ない、危ない。変なことを口走ってしまうところだった。こんなことで、十年近く秘めてた想いが伝わってしまったら、元も子もない。
そうして、二人で花宮くんの作ってくれたご飯を食べて、食後は勉強した。
花宮くんは勉強なんかしなくてもそこそこ良い点数が取れるのだけれど、私は勉強しなかったら悲惨なことになる。まずは、夏休みの宿題を片付けてしまわなければ。
初日から手をつけていたのと、花宮くんが教えてくれたこともあり、今晩中にはなんとか終わりそうだ。
「花宮くんは、宿題終わったの?」
「ああ。とっくにな」
すごいなあ。お母さんのお葬式や遺品整理もあったのに。毎日部活とバイトをしているのに、私とは偉い違いだ。
宿題を終えて、次は自習、というときに、今朝の新聞のことを思い出した。
「そうだ、花宮くん」
「なんだ?」
「これこれ、今朝の朝刊。将棋しようよ」
「ああ、いいな。なんなら数日分あるだろ。全部持って来いよ」
「うん! 休憩がてら、ちょっとくらいいいよね」
新聞の将棋欄を切り抜いて、私は新しいノートを取り出した。
「なんだ。メモでもするのか?」
「うん。ここにね、切り抜きを貼って、解説をメモするの。それを暗記して、私も将棋強くなるの」
「へえ。楽しみだな。いつか俺と対局してくれよ」
「花宮くんとやったらつまんないよ。だって絶対負けるもん」
「なに言ってんだ。強いやつとやるから楽しいんだろ、勝負ってやつは」
「そんな少年漫画みたいなこという人だっけ、花宮くんって」
「ふはっ、冗談だよ。弱いやつをいたぶるのが楽しいんだよ、勝負ってやつは」
「それでこそ悪童=I」
「やめろよそれ」
「えーなんで? 強そうでいいじゃない」
なんだろう。こんなに楽しいのは、いつぶりかな。
お母さんと二人暮らしのときも、こんなに楽しいことってなかったかもしれない。こんな家だから、人を呼ぶこともないし、っていうかそもそも、私は毎日バイトと勉強ばっかりで、ろくに友達もいないんだけどね。
花宮くんは、一番古いものから順に、将棋の駒の運びを解説してくれた。
「すごーい! さすが! メモしなきゃ」
「今度、将棋のセット買ってこようか」
「え、でも高いんじゃない?」
「百均に売ってる」
「まじか! それならいいね。うん、買おう」
「で、俺と対局な」
「えー……うん、わかった」
「すげえ嫌そうにするな」
「そんなことないよ」
それから、私たちは結局朝まで将棋で盛り上がってしまった。
「そろそろ寝なきゃね」
私がそう言うと、花宮くんは
「名残惜しいけどな」
と答えた。
本当に、名残惜しい。
でも、明日も帰ってきたら花宮くんに会えるのだから、それでいい。それだけの事実があれば、いい。
「なあ、みょうじ」
「なに?」
「このまま、結婚しねえ?」
「え?」
花宮くんは、髪を耳にかけて、机に前のめりに寄りかかって、再度言った。
「結婚しようって言ってんだ」
勢いに任せて、に聞こえたかもしれない。しかし、そんなことはない。俺はいつでも、理知的で、計画的であるつもりだ。
今晩を賭けて、みょうじを口説き落とせると確信した。
俺はみょうじのことが好きだ。
もうずっと昔から。いつからだったかは忘れた。少なくとも、物心のついた十年前には好きになっていたと思う。
こうして同じ家に、一時的でも住むようになって、もっと一緒にいたいと思った。
「えっと……き、急だなあ、花宮くんってば。どうしたの? 眠たい?」
「はぐらかすなよ。本気だぜ、俺は」
「……私と結婚したいって思ってるってこと?」
「ああ、そうだ」
「それって……私のことが好きってこと?」
「そうだよ」
そう答えると、みょうじは黙り込んでしまった。そうして、しばらくの沈黙を置いて、みょうじは口を開いた。
「わ、私もね、花宮くんのこと、好き、だよ。ずっと前から」
「知ってた」
「え? なんで?」
「見てりゃわかる」
「ええ……そんな、なんか、恥ずかしいなあ」
「両想いである確証がなくて、この俺が結婚しようだなんて言うかよ」
「それもそうだね」
「で、どうなんだよ」
「したい……けど、花宮くんが18歳になるまで、あと一年半もあるよ」
「将来の確約だよ。18になったら結婚しようっていう、言ってしまえば予約だ」
「予約……うん、うん。わかった。する。私、花宮くんと結婚する」
深く頷いて、それから、赤くなった顔を隠すためか、少し俯いたみょうじ。
そう。俺がしたかったのは、こういうこと。
愛に囚われている、と言うのは、「みょうじを好きで、今ある幸せを崩したくなくて、何事にも臆病になってしまう」と言うことである。
愛があるから、弱くなる。
ここで、将来の幸せを確約してしまえば、俺は強くなれると考えた。
「じゃあ、みょうじ」
「なに?」
みょうじとの幸せを、今ここで――
「俺に抱かれろよ」
(こんなことをしてるうちは、まだ子供で)
20200403