『俺は愛に囚われているからな』
花宮くんがあのとき言った言葉は、いったいどういう意味なんだろう。
愛に囚われている?
花宮くんらしくもない言葉だ。
言ってしまえば、花宮くんにも愛情という感情があったんだな。失礼な話だけれど。
「愛に囚われている……か」
寝返りを打って、枕元に飾ってある写真立てを手に取って眺める。そこには、小さいころ、私と花宮くん、そして数人の友達と撮った写真が入っている。
いつまでも、こんな思い出を大事にとっておいているなんて、馬鹿みたいだ。
花宮くんが言う愛≠ェ、なにに向けられているものなのかわからないけれど、愛に囚われているというのは、私も同じかもしれない。
だって、私はいつまでも、この写真を撮ったころの、いろいろな人から受けていた愛という思いに、縋りついて生きているのだから。
それに、花宮くん――
私は、彼のことが好きだ。
もう、ずっと昔から。
明日から夏休み。明日の日中からはコールセンターでの新しいアルバイトも始まる。
ああ、これから、一か月も花宮くんと逢えない日々が続くのか。
厭、だなあ。
学校に行けることが、唯一の楽しみだったのに。花宮くんに逢えない孤独な日々は、きっと地獄のようだろう。
――ピリリリリ
そんなことを考えていると、スマホの着信音が鳴った。写真を眺めながらぼーっとしていたので、少しばかり驚く。
同じクラスの瀬戸くんからだ。
「はい、もしもし。みょうじです」
「なまえちゃん? 瀬戸です」
瀬戸くんとは、ときどきこうして電話する仲で、わりかし仲がいい。というか、ウマが合うというか……なんというか。
瀬戸くんは花宮くんと同じバスケ部で、花宮くんのサポート役をやっているらしくて仲もいいから、それで間接的に関わるようになって、それから、個人的にも仲良くなったというわけである。
瀬戸くんは珍しく私のことを下の名前で呼んでくる人物で、親しくしてくれるとてもいいひとだ。
「どうしたの? こんな時間に……あ、バイトがあると思ったのかな。今日私バイトなかったんだ」
「そうだったんだ。起きてた?」
「起きてたよ。なんだか考えごとしてたら眠れなくて」
「考えごと?」
「うん。ちょっと、昔のこととか」
「そっか」
「うん」
「ところで、なんだけど」
「うん?」
「窓の外見てもらえる?」
窓の外?
電灯を点けて、部屋のカーテンと窓を開けると、そこには自転車に跨った瀬戸くんがいた。
「わ、どしたの?」
私が訊ねると、瀬戸くんは電話を切って、外からこちらに向かってこう言った。
「外出てきて。連れて行きたいところがあるんだ」
連れて行きたいところ……どこだろう。というか、こんな夜中に出歩いて補導とかされないかな……まあ、田舎だし、大丈夫か。
私はスマホと家の鍵だけ持って、外に出た。
なまえちゃんを後ろに乗せて自転車をこぐ。坂を下り、しばらく自転車を走らせて、目指したのは小高い丘の上のバルコニー。
「瀬戸くん、すごいねえ。私ひとり後ろに乗せて、坂も上れちゃうなんて。花宮くんならとっくにグロッキーだったよ」
花宮くん。
ああ、なまえちゃんはいつもこうだ。なにかあるたびに、花宮くん、花宮くんって、二言目にはあいつの名前を出すんだ。
「そっか」
「ここ、すごいねえ。バルコニーなんてあったんだ。知らなかった」
「うん。演説したくなったら、ここに来るといいよ」
「演説? 大物になった気分を味わえそうだね」
「大物になる予行演習だよ」
「えー? 瀬戸くんって、そんな野望持ってるタイプだったの? なんだか意外だね」
「違うよ。俺じゃなくて、なまえちゃんの話。なまえちゃん、実は野心家でしょ。俺にはわかるよ」
「そんなこと……ある、かも」
「やっぱりね」
俺の言葉に、なまえちゃんはバルコニーの柵に前のめりに寄りかかって、遠くを見据えながらこう言った。
「私ね、将来、こういう目線に立ちたいの」
どういうことだろう。単純に高いところが好き……と言うことでもなさそうだ。
「たかーいマンションに住んで、なんでも見下ろせるような、そんな人間になりたいの。だから、私は勉強してる。霧崎第一に進学したのは、単純に近所だったから……って理由なんだけど、でもね、ここでも私に出来ることはあると思うの。将来大きな人間になるために、今、ここで」
「……そっか。十分な野心家だね」
「えへへ、そうだね」
少し照れくさそうに笑う彼女の横顔は、誰よりも大人びている。
「すごいね、なまえちゃんは。俺には、そんな野望も将来の夢もないよ。純粋に、尊敬する」
「そんな……瀬戸くんは、どうなりたいとか、こうしたいとか、なにもないの?」
「ん―……強いて言うなら、だけど」
「うん」
風が、なまえちゃんの髪の毛をなびかせる。
そして俺は、唯一の夢を口にする。
「なまえちゃんの、旦那さんになりたいかな」
(振り絞った言葉、それは曖昧で)
20200402