「わ」
雪が降った。
この東京の狭い空から。
「雪だねえ」
「ああ。何年ぶりだろうな」
花宮と、部活帰りに喫茶店に寄り、その帰り道のことだった。駅までぶらぶらして話そうか、と歩いていると、はらはらと小さな白い綿が舞い落ちてきたのだ。
冬なんて寒いだけだからイヤだとずっと思っていたけれど、今年からは違う。
なんて言ったって、私の好きなひとの生まれた季節なのだから。
生まれてきてくれたのが、この冬なのだ。
尊い季節だ。大事な季節だ。
今ならそう思える。
「花宮、冬好き?」
「嫌いだよ。さみいだけだしな」
「前までの私と同じこと考えてる」
「前まで? じゃあ、今はどうなんだよ」
「好きだよ」
「なんで」
「花宮が冬生まれだから」
「……」
「え、なんで黙っちゃうの」
「お前、平然とそういうこと言うようになってきたよな。いや、もともとアホだとは思ってたけど」
「アホなんてひどい!」
そんなに変なこと言ったかな。
花宮が心なしか少し早足になったので、なんとか合わせてついていく。
ちらりと顔を覗き込むと、なにやら顔を赤くしていた。寒さのせいか、それとも、照れのせいか……
「寒い?」
「寒い」
「照れてる?」
「……照れてる」
どうやら両方だったみたいだ。
「昔、雪が降ったときにね、こうやって上向いて口開けて『かき氷!』って喜んで食べてたの。お母さんにすっごく叱られてね」
「……お前が親の話するなんて、珍しいな」
「え? ああ、うん。……別に、思い出が少ないから語ってないだけで、話題を避けてるわけじゃないんだよ。ほんとに」
「そうか。まあ、この先人生長いんだし、追い追い色んな話聞かせてくれよ」
「うん。もちろん。大した人生送ってこなかったけど」
「そんなことはねえだろ。健太郎との思い出話だってたくさんあるんだろ?」
「うん、ある。あ、そうだ! このあとまっすぐうちに来ない? 晩ご飯食べて行きなよ。それにアルバムもあるし、一緒に見よう?」
「ああ、いいな。行く」
そうして一緒に歩いて、一緒の電車に乗る。
なんだか、寒いからか知らないけれど、やたらと手を繋いでいるカップルが目に入る。
仲良きことは良きことかな。
ちょっと憧れはあるけれど、たぶん花宮って、そういうの嫌いだよなあ……人目のつくところでイチャイチャするの、たぶん嫌だよね。
いや、私も抵抗あるんだけどさ。
抵抗こそあるけど、こんな雪の降るロマンチックな雰囲気の街で、大好きなひとと手を繋いで歩けたら、幸せじゃない?
「ううん、うーん、うーん」
「どうしたんだよ」
「いや、あのね……ううんやっぱりいい」
「なんだよ、言いかけたなら最後まで言え」
「い、いい」
「よくねえ」
「や……あの……手」
「て? ……ああ、手か。ほら」
「へっ!?」
「お前が言い出したんだろ。ほら、手」
電車で横並びに座ってる中、手をこちらに差し出してくる花宮。
いや、でもここ電車の中だし……なんて思ってる間に、花宮は私の右手を大きな左手で握ってきた。
「あう……」
「なんだよ。文句あんのか」
「な、ない」
「なら黙って繋がれてろバカ」
そんなこんなで、私の家の最寄り駅で手をそのままに降りて、手をそのままに家路についた。
さすがにおばあちゃんやおじいちゃんに見られたら大変だから、家の前ではほどいたけれど。
「まあ、花宮くん。孫がいつもお世話になってるわね。どうぞあがっていって」
「いえ、お世話になっているのは僕の方ですよ。じゃあ、お邪魔します」
「晩ご飯も食べて行くでしょう? ねえ、なまえ」
「食べて行ってもらおうと思ってました」
「なら、ちょうどよかった。ねえあなた、花宮くんに将棋の相手でもしてもらったらいいんじゃないかしら。なまえ、晩ご飯の支度を手伝ってもらえる?」
「はい。じゃあ花宮くん、おじいちゃんの相手して待ってて!」
「わかったよ」
毎度思うけれど、花宮のこの、うちに来たときの猫かぶり具合やばいよなあ。
いや、まあ、学校の通りの性格でいたら、おじいちゃんもおばあちゃんも私に今すぐ別れなさいと言ってくるかもしれないけどさ。
あ、健ちゃんにも声かけないと。
最近、健ちゃんが気を遣ってるのか知らないけれど、よくご飯いらないって言われるのが地味にショック。
「おばあちゃん、健太郎くんの分も作らないと。今日は来てもらってもいいですか?」
「あらあら、いいわね、にぎやかで」
よし。これで健ちゃんも断れないはずだ。スマホで健ちゃんにラインを送って、私は料理を再開した。
「やあ健太郎くん」
「……やあ花宮くん」
なまえの家の居間に行くと、なぜか花宮がいた。
いつもなまえの家で飯を食うときの流れでラインが送られてきたから、花宮がいることに気づけなかった。
いや――まあ、玄関で注意深く靴の数を見ていれば、わかったのだろうけれど。
ぜんぜん知らされてなかった。
花宮がいるなら来なかったのに。
嫌ってるとかではなく。普通にな。
彼氏彼女の時間があるのだろうし。
「さ、みんなでいただきましょうね。健太郎くんもここ、座ってちょうだい」
「あ、はい……」
って……なんで俺が花宮の隣で、花宮の向かいはおばあちゃんなんだ? 俺の向かいはなまえで、上座におじいちゃん。おかしくないか? この図は。
花宮に目配せをすると、花宮も読めていない事態だったのか、少し困惑しているようだった。
食事の間は、おじいちゃんが晩酌をしていて、おばあちゃんがお酌。
花宮はいつもより遠慮しているらしく、常識の範囲内でおかわりしていた。おかわりを持ってくるのはなまえなので、一杯あたりの量は多い。
そのまま食卓を囲んで、食べ終えたら俺と花宮で食器洗い。
いつもは俺となまえで行うのだが、花宮も「ごちそうになりましたから」なんて言って手伝ってきたのだ。
「おい」
「なに」
「あいつ、なまえどういうつもりだ」
「俺に訊かれても」
「あ……なんかアルバムがどうとか言ってたから、それか? なまえの小さいころってことは、お前も写ってるんだよな、もちろん」
「まあ、だいたいの写真は一緒だと思うよ。母親同士が仲良くて、生まれたときから一緒だったし。なまえが夏生まれだから、11月に俺が生まれてからだね、厳密に言うと。保育園のとき、お雛様とかも一緒に写真撮ってたはず」
「へえ……」
おいおい、小さいころの思い出なんて変えられないんだから、過去に嫉妬されても困るぞ。
「花宮は、そういう子いないわけ。俺にとってのなまえみたいな」
「いねえな。俺ん家、昔から親が仕事人間で、親が別れる前までは、家政婦の曜子さんとばかり遊んでた」
「家政婦なんていたんだ」
「昔はお坊ちゃんだったんだよ」
「想像つく」
「で、他には」
「ああ、エピソード? まあ、どうせあとでアルバム見るんでしょ。そのときでいいんじゃない」
「ちげえよ。お前が、なまえに気があった時期はねえのかって言ってんだ」
いや、言ってなかったですよね。
わかりにくすぎるんだ、この男は。
とりあえず、問われたことについて思考を巡らせる。
「んー、まあ、ほんとに小さいときは、たぶん、お互いがお互いと結婚するんだって、漠然と考えてたと思うよ。正直ね。でも、もうその未来はない。花宮と結婚するんだよ、なまえは」
「なんだ、それ」
「好きとかは、考えたことないから知らない。今は花宮となまえが両想い。それでいいでしょ」
「……まあ、そう、だな」
なにか不服そうだが、まあいいだろう。
俺はわざわざ面倒なことは考えたくない。
それが自分の感情や思想に関することでも。
すべて片付け終えたので居間に戻ると、なまえがおじいちゃんとおばあちゃんと三人でテレビを見ていた。
「あ、戻ってきた! 片付けありがとう。じゃあ、おじいちゃん、おばあちゃん、私たちは私の部屋に行きますね」
なまえの部屋はこの日本家屋に似つかわしくない唯一の洋室だ。というのも、年頃の女の子は布団ではなくベッドで眠りたいだろうと、おじいちゃんが企画して、なまえが中学生になった年にこの部屋だけ改装したのだ。
収納も押し入れではなくクローゼットで、床も畳ではなくフローリングだし、おじいちゃんの思惑通り、きちんとベッドが置かれている。
「あった! これこれ。これたち≠ェアルバムだね」
「ずいぶんあるな」
「私のお母さんと健ちゃんのママが写真好きだったからねえ。健ちゃんの家にもおんなじくらいあるよね」
「あるね」
「たぶんお母さんが生きてたら、最近の写真もあったんだろうけど、最近のは学校行事のしかないね」
「……生きてたら? なまえの母さん、亡くなってたのか」
ああ、そうか――
花宮は、知らなかったんだっけ。
「うん。両親が離婚して、お母さんに引き取られてこの家に来て、でもお父さんに連れて行かれて、お父さんが女のひと連れてきて私を育児放棄したから、いろんな親戚たらい回しにされて、最後はこの家に戻ってきたの。でも、お母さんはそのときには死んじゃってた。小学5、6年生のときだね」
そう。なまえは結構大変な思いをして生きてきている。
よく「悩みなさそう」だとか「ストレス知らず」なんて言われるような性格と振る舞いをしているけれど、実際のなまえは案外脆くて、繊細で、闇があるのだ。
「あ、ごめん。なんか喋りすぎたあ。へへ」
「……」
「花宮?」
「……俺が、幸せにするから」
「へ?」
あ、だめだこれ。
花宮、スイッチ入っちゃったよ。
性格悪いけど根は案外悪い奴ではないものだから、たまに変なところで正義感が湧くときがあるのだ、花宮は。
あー。やっぱり帰ればよかったな。
「俺が幸せにする」
「え……えっと……う、うん。お願いします」
「お願いしますは違うんじゃない?」
「え? ありがとう?」
「そっちの方がしっくりくる」
「じゃあ、花宮。ありがとう」
まったく、二人そろって不器用だなあ。
「だから、お前も。なまえも、俺を幸せにしろよ」
「わかってるよ」
「約束だ」
約束の指切りをした二人。
それから、3人でアルバムを見て、ああでもないこうでもないと、話し合ったのであった。
花宮も俺も、なまえの家に泊まる羽目になったとさ。
20200412