「うー、寒い」
ここ最近、本格的に冷え込んできた。
もしや雪が降るのではないだろうか。
小さいころ北海道に旅行に連れて行ってもらって雪まつりを見たけれど、東京の雪の比じゃなかったなあ。
健ちゃんを起こすために、瀬戸家の合いかぎを使っておうちにあがる。
階段を上ると、急に健ちゃんの部屋のドアが開いたので、驚いて後ろに転んでしまった。
つまりそれは、頭から階段を転げ落ちるということで……
「うわああああ!」
「なまえ!?」
ひっくり返って落ち始めるとき。
最後に視界に映ったのは、健ちゃんの焦った顔でも天井でもなく、スカートがめくれて丸見えになった自分のパンツだった。
ああ、やだ。
こんなことで死にたくない――
「……ってなわけで、なまえを病院に連れて行ったから遅れた、すまん」
健太郎が今日部活に遅刻したのは、どうやらなまえのすっとこどっこいのせいらしかった。
しかし無断遅刻には変わりないので、今日は部活後の掃除を全部こいつに押し付けようと思う。
「連絡ぐらい入れろよな。で、なまえの様子がおかしいが、なにかあったのか?」
呆れながら訊ねると、健太郎は少し戸惑ったようにして、答えた。
「いや……派手に転げ落ちたのに、怪我は奇跡的に大丈夫だったんだけど……ちょっと記憶が」
「は?」
「いやだから、ちょっと記憶がな」
「記憶がなんなんだよ。まさか記憶喪失か?」
「まあ、そんな感じ」
本当にあるのかよ、そんなこと。
すると、なまえが近寄ってきて、健太郎の袖をつかんだ。
「健ちゃん、この人だあれ?」
俺の中で今、なにかがはじけ飛んだ。
「は? 健太郎のことは覚えてて、俺のことは忘れてる? だと? は?」
「落ち着いて花宮」
「落ち着いていられるかこんなの! なんだそれ! ずりいな!」
「大丈夫忘れられたのは花宮だけじゃないから。俺と自分のじいちゃんばあちゃんのことしか覚えてないだけ。っていうか、小学生くらいのときの記憶になっちまったってわけ」
「そ、そんな……」
俺が椅子に座って落ち込んでいると、なにやら一哉と弘、そして康次郎もやってきた。
「主将がこんなとこでなにしてんのー。練習は?」
「うるせえ俺は今傷心中だ」
「なまえにハートブレイク」
「古橋それ古いよ。ってか前カラオケで歌ってたねそれの元ネタ」
「Ohマイマイマイマイ……」
「歌わなくていいって」
「古橋最近だいぶキャラ崩壊が激しいよな」
「キャラとか言うなメタい」
「メタいもくそもねーだろ」
「で? なんで花宮はハートブレイクなワケ?」
一哉がそう言うので、健太郎に一連の流れを説明するように目で促した。
「え、じゃあ俺らのことも覚えてないの? なまえ、俺一哉っていうの。よろしくねん」
「かずや……かずくん!」
「そーそー。で、こっちはザキ」
「ザキ!」
「なんで俺は苗字なんだよ! なまえ、違う。俺は弘だ。弘」
「ひろくん?」
「そう!」
「なまえ、俺は康次郎だ」
「こーじろ……うーん……」
「なにを迷っているんだ?」
「こうちゃんでいっか!」
「ぶっ」
康次郎がぶっ倒れた。
「おい健太郎、どういうことだ。なんでなまえの奴、全員にあだ名つけてんだ」
「いやあ、なんか昔はそういう子だったんだよね。俺の健ちゃん呼びもその名残」
「じゃあ俺は? おいなまえ、俺は真だ。ま・こ・と」
「まこと!」
「は? キレそうなんだが?」
「落ち着け花宮」
「ドンマイ花宮」
「クソ!」
「ねえ瀬戸ー、これどうしたら治るとか言われた?」
「様子を見るしかないですね、とだけ」
「ま、これはこれで前より可愛いしいいんじゃね?」
「原のこういうとこほんとアレだよね」
「誉めてる? 貶してる?」
「貶してる」
と、そんな会話をしている最中。
「あ! 危ない!」
その声に振り返ると、こちら――正確に言うとなまえの方に、ボールが飛んできていた。
やばい――
そう思ったのもつかの間。
誰しもが気づいていただろうが、誰しもが動けなかった。
その刹那。手を伸ばして防ぐことが出来なかったことを、みなが後悔しただろう。
固いバスケットボールはなまえの後頭部に直撃して、なまえはその場に倒れた。
「なまえ!」
脳震盪を起こしているかもしれないから、むやみに動かしてはならない。
健太郎が頭を動かさないようにそっと体勢を仰向けに変えたので、俺はジャージで枕を作った。
そうして寝かせること数分。
目を覚ましたなまえはこう言った。
「花宮=c…?」
記憶がないことにかこつけて、下の名前を呼ばせて見せたけれども、この呼び方がやっぱり一番なじむ。
と、いうことで。
とりあえずは騒動が落ち着き、俺たちは練習に戻ることが出来たのだった。
20200412