記念日



 学校に着いて、それから各自帰宅すると、もう日が暮れきっていて、あたりは真っ暗になっていた。私はいつものように健ちゃんと一緒に帰路について、無事家へと帰ってきた。
 なんだか今日は、いろんなことがあったなあ。

「なまえ、今日はお疲れ様」
「え、健ちゃんの方が疲れてるでしょ。私なんにもしてないし。お疲れ様、健ちゃん」
「ありがと。まあ、ゆっくり休んで。今日は晩飯とかいいからさ。適当に納豆でも食べるから」
「え……でも、それじゃ栄養が……」
「大丈夫。一日くらい。なんならこれからも、もう大丈夫だよ」
「だ、だめだめ! そんなのだめ!」
「だって、花宮と付き合ったんでしょ?」
「そ、それはそうだけど……それとこれとは関係ない。私、健ちゃんのご飯作るの趣味みたいなとこあるもん」
「なら、その料理作る対象を花宮に変えたらいいだけの話だよ」
「なんで……?」
「なんでって、なまえならわかるでしょ。ばかじゃないんだから」
zz一緒にいられなくなるのはいやだ。
 わたしのわがままかもしれないけど、ていうか、そうなんだけど。でも、健ちゃんと一緒にいられなくなるのだけは、厭だ。考えたくない。
 それとこれとは、話が違う。zz

「わかるよ。わかるけど、花宮と付き合ったからって、健ちゃんとの関係性まで変えたくない。変えるくらいだったら、私、花宮と別れてくる、今すぐに」
「そこまで言う?」
「言う。だって私、花宮のことは好きだけど、健ちゃんのことはもっともっと好きだもん。家族みたいなものなの。だから、健ちゃんとは離れたくない」
「……はあ。わかったよ」
「ほんと?」
「ほんと。じゃあ、今日もうちでご飯食べてく? って、作るのはなまえなんだけどさ」
「食べる! 一緒がいいね、やっぱり」

 折れた健ちゃんに着いていき、いつも通り健ちゃんの家にあがる。

「ただいまあ」

 そう言うと、健ちゃんは

「おかえり、なまえ」

 と決まって言ってくれる。
 健ちゃんのおかえり≠ェ、私はなによりも好きだ。



 あれから家に帰ると、母さんはいなかった。
 まだきっと仕事をしているのだろう。帰ってくる時刻はおそらく日付をまたぐ。
 暗くて寒い部屋にひとり。
 改めて、今日の負けを振り返る。悔しい――そんな感情がまだ俺にもあっただなんて、自分でも驚きだ。
 ソファに座って、しばらく。
 何度かため息を吐いてしまった。
 よく、ため息を吐くと幸せが逃げるだなんて言うけれど、ため息程度で逃げる幸せならば最初から要らない。こっちから願い下げだ。
 シャワーを浴びて、簡単な食事を済ませて自室に向かう途中。
 ああ、なんだか、なまえに会いたい。
 ふと、そう思った。

「……まだ起きてるよな」

 さっき別れたばかりなのにな。ああ、でも、いつも通りなら今頃、健太郎の家にいるだろうか。
 電話、してみるか。
 発着信履歴からなまえの名前を見つけ出し、タップする。

 ――プルルルル、プルルルル……

『もしもし。花宮? どうしたの?』

 数コールののち、なまえは電話に出た。どうした、と言われても、特に用があったわけではないので、困る。

「あー……」
『なに、花宮がそんな間の抜けた声だすなんて』
「間が抜けてなんてねえよ。今考えてんだ」
『考える? なにを?」
「……お前、今健太郎のところにいんのか」
『え、まあ、いるけど……』
「今から言うことをよく聞け」
『うん』
「デートをする」
『……え? 今から?』
「今から。……ううん、違うな。デートをしましょう……いや、デートをしろ……? デートをしてください……デートをする」
『結局そこに落ち着くんだ』
「うるせーな」
『デートをするのは構わないけど』
「構わない?」
『いやごめんさせてください』
「けど、なんだよ」
『何時にどこに行けばいい?』
「……0時に俺の家」
『おっそ。まあいいよ、わかった。じゃあ準備してくる。切るね』
「ああ、またな」
『またね』

 ――ツー、ツー……

 そうして、電話は切れたのであった。
 母さんにひとつ、頼みごとをしなければ。



 花宮の家に着いた。時刻は23時45分。まあ、少し早いけれど、15分くらいなら構わないだろう。
 インターホンを押すと、花宮が出てきて、あがれと言われたので家にあがった。

「まあ、座れよ」
「う、うん……」
「どうした」
「いや、その……なんでもない! ていうか、花宮のお母さんは?」
「ああ、もうそろそろ帰ってくる。つーか、母さんが帰ってくるのを待たないとデートが出来ねえ」
「え? お母さん同伴なの? 初デートなのに?」
「ちげえよ、送ってもらうだけだ」

 送ってもらう? こんな夜中に? いったいどこに送ってもらうって言うの? まさかホテル? そんな、そんなことって……いや、ないない。ないって。さすがにお母さんにホテルまで送らせたりはしないでしょ。
 しばらく待つと、玄関の鍵の開く音がして、花宮のお母さんらしき人の足音が聞こえてきた。

「おかえり、母さん」

 花宮のその声で私も振り返り、その姿を目にとらえる。

「お、お、お邪魔してます!」

 すっと背が高くて、綺麗な感じのお母さんだった。

「あら、いらっしゃい。あなたがなまえちゃんね。真から話は聞いてるわ」
「は、花宮! お母さんに私のこといつ喋ったの!?」
「花宮……ふうん。母さん、なまえが母さんのこと呼んでる」
「ちちちちが! 真くん! 私が呼んでるのは真くんのほうです!」
「ふん。ちなみにお前のことはさっきラインで伝えた」

 まったく、酷い意地悪をしてくるものだ。
 ああ、もう。ペースが狂わされる。
 そこで、花宮のお母さんがダイニングで軽食を摂っているのを横目に、リビングで私は花宮に向かって一つの疑問を投げかけた。

「ねえ」
「なんだ」
「今日はどこに行くの?」
「……」
「花宮?」
「内緒だ」
「内緒かあ」
「ただ、素敵なデートになる約束はしてやる」

 その言葉に胸を躍らせて、私は言われるがまま外に出て、花宮のお母さんの車に乗り込み、後部座席に花宮と二人並んで座った。

「じゃあ、母さん。仕事帰りで疲れてるところ悪いんだけど、頼めるかな」
「ええ」
「ありがとう」

 その会話をきっかけに、車は発進した。街の郊外に出て、長いトンネルをくぐり、どんどん車は進む。いったいどこに向かっているのだろう。
 時刻はもう午前一時半だ。
 少しばかり眠たくなってきた。
 花宮は昼間あんなに試合したのに、眠くないのかなあ。

「ところでなまえ」
「なに?」
「なまえは俺のどんなところが好きなんだ?」
「ブッ」
「おい、どんなところが好きなんだ。まさか、本当は好きじゃないとか?」
「いやだなあ好きじゃないなんてことないよ」

 好きじゃないところなら言えるんだけどね。

「で、どうなんだよ」
「あれ、あの、全部だよ、全部。じゃあ聞くけど、花宮は私のどんなところが好きなの?」
「優しいところ。可愛いところ。いつでも守りたくなるようなお姫様みたいなところ」
「参りましたあ!」
「ふはっ」

 ひとを馬鹿にしているときは本当に楽しそうに笑うねあなたって人は。きっと昼間「参りました」と言わせたことへの復讐だろうな、今のは。
 ひとしきり会話を楽しませられたあと、車はある駐車場に停まった。

「俺は先に行って少し準備をしてくるから、なまえは母さんと雑談でもしててくれ」

 雑談って……いや、普通さ、未来の嫁姑を付き合った初日に引き合わせる? もうちょっと気づかいしてくれない? 普通。
 すると、花宮のお母さんが先に口を開いた。

「なまえちゃん……よね」
「あ、はい!みょうじなまえと言います」
「いい名前ね。どうかしら。真は……学校で上手くやっているのかな」
「はい、とっても真面目で、バスケも強くて、みんなの憧れって感じですよ。それゆえに、たまに重圧で疲れたりしないのかなって心配になることがありますけど」
「そう。よかったわ。なんと言うか……ね。真から話は聞いてるかもしれないけれど、私は絵に描いたような仕事人間でね。あまり真との時間は作ってあげられていないの。だから、普段真にお願いされることなんて全くなくて……それが今回、初めての彼女を連れてきて、私を頼ってくれたことがとても嬉しいの」
「そう、でしたか……」

 普段から他人に頼ったりしない花宮のことだから、親にでもそうなのかと思っていたら、やっぱりそうなのか。
 すると、そこで車の後部座席の、厳密に言うと私に一番近いドアが開いた。

「行くぞなまえ。じゃあ、母さんは少し休んでてくれ。二時間もすれば戻るはずだから」

 花宮に手を引かれ、林道に入っていく。
 林道に入ってからは、頭を押さえられ、下を向かされた。そしてあろうことか、そのままの姿勢で歩くように強制されたのだ。

「この姿勢かなりつらいんだけど、まだ?」
「もう少しだ」
「そっか」

 そのまま進んで、軽く丘になっているのか、緩やかな坂道を登った。

「じゃあ、ここで止まって。目を閉じてこっちに来い」

 花宮は私の手を取って、数歩歩かせた。
 加えて、そこで寝転がるように言われたので、私は、感触からしてレジャーシートのようなものの上に寝転んだ。

「目を開けていいぜ」

 その瞬間、目に映ったのは――

「どうだ、なまえ」

 すごい。正直、言葉にならない。
 満天の星空が、そこには広がっていた。

「語彙が足りねえんだな」
「……だって、こんな……初めて見た」
「あれがデネブ、アルタイル、ベガ。有名な夏の大三角。だ。そこから横にすーっとそれて、あのあたりがへびつかい座。だから、へび座はあのあたりに並んでいる星になるな。あそこのひときわ明るい星がスピカ。だから、あのあたりがおとめ座。あっちがかに座……」

 花宮が空を指さしながら、星の説明をしてくれるけれど、正直頭に入ってこない。
 感動が、大きすぎて。
 ひとしきり説明し終えたところで、花宮はひとつ息を吐いた。
 そして、言った。

「これで全部だ。俺が持っているもの全部。バスケットに、勉強を教えてやれること。ぶっきらぼうな母さん。それにこの星空。俺が持っているのはこれくらいのもの。俺がなまえにあげられるのはこれくらいのもの。これくらいで全部……まあ、厳密に言えば、毒舌や暴言があるけどな」

 それはいらない。
 満天の星空を見上げ、寝転び手を繋いだまま、私たちは会話を楽しんだ。

「なあ、なまえ、俺のことは好きか?」
「好きだよ」
「俺も好きだよ。なまえのこと」
「ありがとう」
「俺のどういうところが好きだ?」
「全部好き。好きじゃないところはない」
「そうか。嬉しいよ」
「花宮は?私のどういうところが好きなの?」
「優しいところ。可愛いところ。いつでも守りたくなるような、お姫様みたいなところ」
「嬉しい」

 横を向くと、花宮もこちらを見ていた。
 私がほほ笑むと、花宮も笑みを浮かべた。

 こうして今日は、記念すべき日になった。私たちにとって。



化物語の星空デートですね
20200329



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