誠凛戦が終わって、帰る準備をしに控室に戻ると、ザキがベンチを蹴飛ばした。
「クソッ! なんなんだあいつら!」
「いや、わかるけど。わかるけど物に当たらないの」
「う……」
「ザキの言う通りだよ。マジあいつらなんなの? ラフプレーで折れなかったどころか、反撃して、俺らより得点とるなんてさ」
一哉がベンチにどっかり座ると、後輩君たちがタオルやらジャージやらを渡してくれた。
私も、ちょっと動揺してて、なんて声を掛けたらいいかわからない。手が、頭が、動かない。
とりあえず、みんないるか確認……
すると、そこには花宮の姿がなかった。
「あれ? 花宮は?」
「花宮なら、ジャージ羽織ってそのままどっか行ったよ」
「え? マジで?」
結構寒いのに、変に歩き回って風邪でも引いたらどうするのか。
「ちょっと私、探してくる!」
「え、やめなよ。多分落ちてるし」
「だめ。止めないで。探してくるったらくる。ていうか、一人でもいなかったら帰れないんだからね。みんな着替えとかあるし待ってて。私なにもないからさ、大丈夫、任せて」
「なまえに任せてよかったって思ったことがほぼないんだよなー」
「なにそれ失礼しちゃう!」
そうして、私もジャージを羽織ったまま、控室を後にした。
花宮――いったいどこに行ったの?
まさか……らしくもない。しょげてるのかな。
仕方ないなー! 私が探して慰めてあげようじゃないか! たぶん花宮のことだから、頭でも冷やそうと、外にでも行ったんだろう。中でも外でも、とりあえずここから外に向かえば、トイレにでも行ってない限り、厭でも見つかる。
「花宮ー?」
男子トイレの前で名前を呼んでみる。出てこない。うん、じゃあ外だな! よし行こう……と、思った瞬間。
ごん、という音とともに、顔面に激しい痛み。
勢いよくドアが開いたのだ。
「ああ、霧崎のマネージャーさんか」
なに、私有名人? と思いながら、声のする頭上を向くと、木吉鉄平が。
「すまんすまん、今顔をぶつけたよな。痛かったな。ごめんな」
「う、ううん……大丈夫」
「迷ったのか? 送っていこうか?」
「迷ってないよ! 大丈夫。と、いうか……歩き回って平気なの? いや、平気じゃないと思うんだけどさ……痛い、よね。全身。ごめん」
「アンタがやったわけじゃない、なんで謝るんだ?」
「だって……うちのやつらは絶対謝らないし……それに、私も試合中は、うちのやつらが酷いことをしてるのを知っててなにも言わずに応援してたから。私も同罪なの。だから、ごめん」
「自分の学校のチームを応援するのは、当然のことだろ?」
「……優しい、っていうか、人間出来てるんだね、木吉君は」
「そうか?」
「うん。たぶん、うちのチームじゃそんな言葉一生かかっても聞けない。あと、最後に『またやろーな』って言ってたけど、あれは叶わないと思う」
私が半ば笑いながらそう言うと、木吉鉄平は、にこやかに言った。
「それでも、またやりたいんだ。お前たちと、バスケをさ」
ああ、こいつは――
花宮が嫌うわけだ。
「そっか。ありがとうね。……お大事に」
そうして、私はその場を後にして、会場の外へと向かった。
俺には家族が母親しかいない。物心ついたときに、父親は死んだ。会社をもっていて、金だけはあったらしいが、その反面で、家庭を顧みず、外で女と飲み歩いては香水の匂いを纏わりつかせて帰ってくる。そんな男だったらしい。
まあ、当然のことながら、母親は父親のことを大層憎んでいたから、俺はその愚痴を幼いころから聞かされて育ってきた。
ある日父親は心臓発作でポックリ逝ってしまったが、母は喜んでいた。
『これで真とふたりで幸せになれるねえ』
あの時の母親の言葉は忘れたくても忘れられない。そんな、ゆがんだ母親ではあるが、俺を大事にしてくれているのは間違いないし、父を過剰に恨んでいてそれを子供に漏らすこと以外は普通の良い母親であったから、俺は母親を一番に考えてきた。
父の遺産がまだあるとはいえ、母自身はただのパートだ。家計に負担はかけられない。
部活が忙しいのでバイトも出来ないし、せめてもの恩返しとして、俺は勉学と部活において最高の成績を持ち帰ることとしていた。
学業においてはなんの問題もないが、部活は、今年から俺が監督兼主将になったから、本格的に母親を喜ばせることが出来る。そう思っていた。
『負けたよ』
そうラインを一言送ると、
『頑張ったね』
と返ってきた。
なんだか、涙が溢れてきた。
ここまでしたのになあ。他人を傷つけてまで、勝ちを獲ろうとしたのにな。どうして負けた? 全部全部、木吉と11番のせいだ。あいつらがいたから……
「花宮!」
突然、なまえにどこからか呼びかけられて、慌てて袖で涙を拭った。
なんでここが……
というか、なんでここまで……
「なんだよ」
「なんだよじゃないでしょー! もう! 急にいなくなるからみんなびっくりしてたよ! ひとりでなにしてんのさ」
「なんでもねーよ」
「なんでもなくない! 目が真っ赤! なんですぐ嘘吐くかなあ、もう!」
小走りで俺の方にやってきたなまえはそう言って、反射的に背を向けた俺に抱き着いてきた。
心臓がどくりと跳ねる。
「……どういうつもりだよ」
「え、えっと……脊髄反射で、つい……えへ」
「えへじゃねえ」
胴に回された手に自分の手を添えると、その手はかすかに震えていた。
「なに震えてんだ」
「……なんか、緊張しちゃって……わ」
どんな顔をしてるのか、と振り返って手首を掴むと、なまえはひどく真っ赤な顔をしていて、軽く覗き込むと俺から目をそらしてみせた。
「……なんつー顔してんだよ」
「み、見ないで」
「イヤだね」
「このサディスト!」
「サディストで結構」
「う……」
「こっち見ろ」
「無理」
「無理ってなんだよ」
「ヤダ」
「それもどうなんだ」
「文句ばっかり! 花宮ってば」
「もとから俺はこんなだろ」
そう会話したのち、なまえはついに黙ってしまった。
ああ、そうだ。
俺、この試合が終わったらまたこいつに告白するって決めてたんだっけ。それを待っているのか? こいつは。
でも――俺は負けた。
あの手この手を使っても、負けた。
それで告白なんて……
「あのね! 花宮!」
すると、なまえが一言。
「……告白、してくれないの?」
ああ、やっぱりか。
どこか受け身だなとは思っていたんだ。
俺の読みは間違えていなかったらしい。
「あのなあ、俺は負けたんだぜ」
「だからなに? 負けたら告白しない、付き合わないなんて言ってなかった」
「確かにな。でも格好悪いだろ」
「いいじゃん、別に、格好悪くったって」
「汚い手まで使って勝てなかったのにか?」
「汚いのはいつものことでしょ?」
「……参りました」
なにを言っても食い下がってくるなまえ。
これ以上なにか言っても、言い返されるだけだろうと、降参した。
「降参なんて花宮らしくない!」
じゃあどうするのが正解なんだよ。
教えてくれよ。
掴んでいた手首を離して、少し距離を取る。
「なんで後ろに下がったの」
「うるせーな距離詰めてくんな」
顔が熱い。たぶん今、俺の顔は赤いはずだ。それを見られたくないから、離れたというのに。
「……はあ」
「なあに、ため息なんて吐いて」
「今ちょっと考えてんだよ待ってろ」
なんて言おう。
勝ってからのセリフしか用意してなかったから、ちょっとばかり頭を使わなければならない。
どうしよう。
焦るなんて俺らしくもない。
呼吸を整えろ。
考えろ、頭を使え。
どうすれば、嫌われずに告白できる?
「……花宮」
「……なんだよ」
「花宮が言わないなら、私が言うね」
「は?」
おいおいおい。ちょっと待て。
それはいくら何でも格好つかなすぎだろ。
「私と付き合っ」
ああ、やばい。
俺はいったい、なにをしている?
「……悪い」
手でもなんでも使えばよかっただろうが。
なんでよりにもよって、唇だよ。
結論から言えば、花宮の口から、
『好きです、付き合ってください』
を聞くことは出来なかった。
けれど、代わりにキスという方法で、想いを伝えられた。反射的な行動だろうから、きっと、それはつまり、そういうことで。
反射で再度掴まれた手首から、手が離されて、それと同時に唇も離れていく。
ああ、もう離れちゃうんだ。
なんだか、もったいない。
そんな気持ちになった。
「……悪い」
どうして謝るのだろう。今のが、告白だったのではないのか?
「なにが?」
「なにがって……お前……キスだよ。急に、悪い」
「え? だってキスするってことは『好きです、付き合ってください』ってことじゃないの?」
「いや……そういうこと、だけど」
「返事していい?」
「は? ちょ、待て」
「……届かない! かがんで!」
「いや、返事ってお前、キスでするのかよ」
「だめ?」
「だめ……ではねーな」
「じゃあ、はい」
両手で空中に頭ほどの幅を取って「ここに頭やって」と伝えると、花宮はおとなしく私の両手の間に頭を下ろした。
そこで唇にキスすると、花宮は真っ赤になった。うわ、なにこれ、ものすごいデレ? 珍しい。花宮の赤面なんて生まれて初めて見たわ。
「……それは『喜んで』でいいのか」
花宮が小声で問うてくる。
「そうだよ」
私がそう答えると、花宮はしゃがみこんで大きくため息を吐いた。
「どうしたの? みんなのところ戻ろうよ」
「お前なあ……思ったより照れないんだな」
「だって二回目の告白じゃんか。突然のキスなんて一周回って照れるもくそもないわ」
「……そうかよ」
「ほら、戻るよ―― 真」
あ、さすがに名前呼びは恥ずかしいな。やっちゃったあ……まあ、いいか。
私は花宮の手を引いて、控室へと足を進めた。
花宮もまた、おとなしくついてきた。
今日は、いろいろあったね。
明日も、嬉しいことがあるといいね。
お疲れ様、ありがとう、花宮。
晴れて付き合いましたね
20200322