長い不安



「ねえ、どうして私なの」

私の問いかけに、恋人は眉を寄せた。
彼の名は花宮真。
美しい響きの名前からは想像も出来ない程歪んだ性格をしているけれど、彼は昔からとても優秀で、所謂天才に近しい存在であった。
そう、これは、ちょっとした出来心。
そんなデキる彼が何故この7年という月日を、私と共に過ごしてきたのかという、ふとした疑問だったのだ。
不機嫌です という言葉を発さずとも見事に体現した彼の表情と、合ってしまった視線に内心後悔しながらも、後には引けない気持ちから、私は次に言葉を繋いだ。

「だって、私、花宮と何にも釣り合ってないじゃん」

すると今度は盛大にため息を吐かれ、おい と声をかけられる。
ああ、そういえばここ2年くらいは、まともに名前すら呼ばれてないよなぁ。
呼ぶとしたらセックスの時くらいかな。
あはは、花宮とセックスなんて、いつからしていなかっただろうね?
なんて、皮肉の一つも吐けない私は、おそらくきっと確実にチキンなんだと思う。
まあそういう私も、学生時代の癖が抜けなくて、ずっと彼の名前を呼べないでいるわけだから、どちらにせよ、これに関してあまり強くは言えないのだけれど。
彼は今、ソファで苦いコーヒーを飲みながら明日の仕事で使うという書類に目を通していたのだが、それを乱雑にテーブルの上に置いたかと思うと、細い銀縁の眼鏡を外して、立ち上がった。
そうして目が合ったかと思うと、キッチンにいた私の方へ歩み寄ってきて早々、カウンター越しに一言。

「つまんねえこと言ってんじゃねーよバァカ」

つまらないこと。
ただそれだけの言葉で、会話は終了した。
私の疑問はつまらないことだったのだろうか?
いや、しかし割と本気で悩んでいた今日この頃だと言うのに、まさかそんな無下にもされるだなんて予想だにしていなかったと言うか…

「…何、泣いてんだよ」

次々と溢れ出る感情に耐え切れずその場に座り込むと、花宮はさぞ当たり前であるかのように自分もしゃがみ込み、私の肩を抱き寄せて、優しく宥めるように背中に手を回した。
おかしいなあ。
足で踏んで歩く床に衣服を付けるなんて信じられない なんてよく分からない潔癖を発揮して、いつも家の中じゃスリッパを履いているくせに。
何、キッチンの床に膝なんて付いちゃってるの?
いくら私が座っているからって、そこまで我慢しなくってもいいのに。

「っごめ…あの、私…っ」
「ん」
「花宮、にっ…何にも、してあげられてないっ、し…」
「……」
「私、何にももってないのにっ…」
「…ん」
「一緒にいて、っいいのかなって…」

こうして私の話を黙って聞いている彼は、私のことを何だと思っているのだろう。
ちゃんと、恋人だと思ってくれているのだろうか?
すると彼は一旦私から身体を離し肩を掴んだかと思うと、いいかよく聞け と念を押すような声音で言い、それに続けた。

「まず一に、釣り合ってるとか釣り合ってないとかは誰が決めたんだ」
「…私」
「ああそうだ。次に、お前が何にもしてないだとか何も持ってないだとかは、お前の勘違いだ」
「…なんで?」
「俺がそう思ってねえから。それに毎朝俺のスーツにアイロンかけて、飯を用意して、家の掃除をしてんのは誰だ?」
「私…」
「だろ?そもそも、何も無かったら好きになんてなるかよ」
「…うん」
「最後に、」

ここにきてやっと照れ始めたのか、彼は一つ咳払いをし目を伏せたかと思うと、私の目を見つめてこう言った。

「好きな奴と、出来ることならずっと一緒にいたいと思うのは当たり前だろ」

日に二度も、彼の口から好きという言葉を聞くことが出来るなんて、今日はなんて吉日なんだろう。
耐えかねて彼の首に腕を回して抱きつけば、彼も抱きしめ返してくる。

「…でも花宮、最近私のことおい とか お前 とかばっかり呼ぶよね」
「そうか?」
「最近忙しいのもよく分かってるけど、その…エッチもしてないし」
「…ああ」
「…キスだって…」

そこまで言ったところで、私の口は塞がれてしまった。
それこそ、セックスの時にするような、愛を確かめ合うねちっこいキスではなくて、本当に触れるだけのもの。
花宮に言わせれば、これは、黙らせるためのキスらしい。
いつもいつも、喧嘩の後の仲直りや私の我儘を聞く時は、よくこうして私の口を塞いでいたものだ。
これもいつぶりだったか。
懐かしむ程には、久しいものなのだろうと考えたら、なんだか複雑な気分だ。

「ん…」
「…不安にさせて悪かった。つーか、何もしてやれてねえのは俺だろ、バァカ」

そう言って、花宮はもう一つ私にキスを落として、優しく抱きしめた。



「っていう、夢を見たよ」
「夢かよ」
「何かねえ、夢の中の私ってば花宮と同棲してたよ、しかも交際7年目」
「バカじゃねーのか」
「バカだと思うわ」
「お前俺のキスなんて知らねーだろ」
「知らないよ、っていうかエッチまでしてる設定ってどんだけーっていうね?恥ずかしいわ」
「何が恥ずかしいって、お前がそれを俺に話したあたりが恥ずかしいよな」
「…あ」
「今気づいたのかよ」
「いやでも夢の中の花宮は現実離れしてイケメンだったよ。もはやアレは花宮じゃないね」
「…わかんねえだろ」
「へ?」
「恋人になった俺を知らねーだろ、お前は」
「え?ああ、うんそうだね。なになに、夢の中と大差無いような甘い花宮もいるの?」
「…うるせーよ、バァカ」

この時の二人は、まさかそれが遠い未来、正夢になるとも思っていないのだろう。
今は、まだ。

20140211



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