まだ人気のない街中、薄暗い朝に、彼方は走っていた。
四肢につけたそれぞれの錘は自身の体重を上回るが、恐ろしいスピードで風を切る。
距離は日に日に増えていき、今ではそれを聞いた誰もが耳を疑うほどだ。
――また疲れなくなってきたな……。
つぶやいて、ふと、立ち止まってみる。
既にノルマの半分近くの距離を走ってきた。
足が動かなくなっても不思議はないようなペースだが、その気配はなく、それどころか、整えるほどの息切れもない。
微かに動悸が速まっているだけで、トレーニングにしては不足だった。
――もう少し距離を増やした方がいいのか? それともペースをあげるか、錘を追加するか……。
そんなことを考えながら再び走り始めるが、ノルマは三日前に増やしたばかりだった。
だから思う。これ以上走って、一体どこに行き着くんだろう。
伝統ある道場の跡取りとして育った彼方にとって、強くなることは義務だった。これまでの人生を全て費やしてきたと言ってもいい。
速く猛々しく、日に何千という拳を突いた。型はスローで見ても正確無比で優れた手本のようであり、蹴りは僅かにも軸が乱れない。蹴り、鋭い一撃は容易に人の絶命を誘う。時には滝に打たれ、常に強さを求めて、貪欲に自分を磨くことだけを望んできた。
けれど、彼方は強くなりすぎてしまっていた。すでに道場の中で匹敵する者はいない。対峙して気づく。誰もが遅すぎて、弱すぎて相手にならない。持久力や脚力、筋力、破壊力だけでなく、素早さも動体視力も敏捷性もずば抜けていた。傍から見て強烈らしい蹴りも止まって見える。
日に日にハードルを高くする己を磨くための筋トレも、そろそろやりつくしてしまった。手応えのない訓練は退屈なだけである。
たしかに、早朝のランニングなどはただの小手始めの準備運動に過ぎない。
けれど、走るのをやめればいいかといえばそうではない。今より少しでも衰えることに我慢ならない。
向上しないからと言って、毎日のやるべきことが減っていくことが怖かった。強くなる術がゼロになったらどうすればいい?
怖れるのは、毎日がルーチンワークの繰り返しになることだ。だから疲れを感じるまで限界速度で走ってみる。
――喧嘩も道場破りもやりつくしたしな……。
中学に入りたての頃、洒落にならないほど荒れていた。湧き上がる闘志のやり場を探して、ストリートファイトを繰り返した。
けれど、一対多数だろうと、多勢に無勢だろうと、彼方は勝利してしまうからいけない。それも圧倒的に。
まるで弱い者イジメだ。基本もなっていない素人相手では赤子の手を捻るようなものだ。屈強な集団も、彼方にとって弱者の集まりだった。
(誰もが、ってわけじゃないけどな)
たしかに、彼方は自分より強い者にも心当たりがあった。
例えば、自身の父親である天宮流の現当主。彼も人外的な強さを持っている。
しかし、彼方は当主に手合わせを申し込むのには抵抗があった。
なぜなら真剣勝負で当主に勝つ、それは道場を継ぐということになる。
彼方はまだ中学生だ。
それに、もし、唯一自分より強いと認識している相手に勝ってしまったら、次は何を目指せばいい?
彼方はまだ頂点に立ちたくなんかなかった。
まだまだ自分は強くなれるはずだと信じていたいから、ゴールを置きたくなかった。
限界を定めたくなかった。だからどこまでも走るのだ。
どこまでも強くなれるはずだ。
足りないのは、彼方を取り巻く環境の方である。
驕りではなかった。彼方は心から退屈していた。
強さに飢えているのに、強くなりたいと血が騒ぐのに、――強さをもてあましている。
それは存在意義に関する重大な矛盾だった。
彼方は研ぎ澄ました牙が錆び付いてしまうことを強烈に恐れていた。
たった独りで自分を磨き続ける日々に飽いていた。
それでも、まだ大丈夫だ。強くなる術はゼロじゃないと、自分に言い聞かせることで、心をこの世界に留めたかった。
時々、あまりに遠くを目指しすぎて、帰って来れなくなるんじゃないかと思う瞬間がある。
それを望んでいるような気がしてしまう。
毎日、果てしなく続く道を走っている。
大海原を泳いでいるような、砂漠の中で座禅を組んでいるような、草原で演武しているような、気分になる。
駄目だ。
この世界は退屈だけれど、大切な人がいる。
強くなる方法なんて、きっとどこにでもある。
彼方は息を吐き出して、それから前を見据えた。本気を出す。
大地を蹴り、凄い勢いで加速した。
それはまるで突風だった。
――俺は、どこに行けばいいんだろう?