35.刹那 -- 望んだものすべて

 彼方が一通り旅の話を終え、次に遥が自分の話をした。
 音楽活動で認められて有名になったこと、家を出て一人暮らしをしていること、彼方がどこに行ったのか探す活動していたこと。
 高校は活動に寛容なところを選んで今も仕事の合間に通っていること。

「そういえば桃桜ってお前と同じ"天宮"なんだな。知ったときはマジで驚いた」
「……なんでそれを遥が知ってんだ」
「"神隠し"の件で桃桜の家とも交流を持ったんだ、当然だろ」

 香恋の家族に失踪の状況説明をしても、遥が想定するほど狼狽えなかったという。
 力を与えられるせいか、天宮には自己責任の意識が強い。
 すでに自ら家名を捨て、自分で道を選択することができると認識されている香恋も同様だったという。
 彼方は俯いて告げる。

「俺も香恋のこと ずっと知らなかった。帰り際に教えてもらったんだ」
「へぇ……。まぁせっかく隠したんだろうしな」
「なんで隠してたんだと思う?」
「話題に触れてほしくなかったのと、知ったら見る目変わるからかな。
"守ってあげたくなるような可愛い女子"で通ってたんだし、そうしたかったんじゃね」

 曲者だとは思っていたけどそんな過去があるとは知らなかった、と遥は軽く言う。
 強さが絶対的な尺度として育った彼方には、積み上げた努力をわざわざ白紙に戻す気持ちというのが想像もできない。

 そのとき、退室時間を知らせる電話が来た。
 話は一通り終わっていたので、延長せずにカラオケ店を出ることにした。
 結局全く歌わなかったが、「また別のときに来よう」と遥は言った。

 この世界に久しぶりに降り立った彼方にはやることがいくらでもある。
 「送る」と行った遥と共に天宮の家へ向かう途中、歩きながら喋る。

「そういえば、今はヨークシン編だったんだよな?」
「あぁ。正確にはまだオークションは始まってなかった」
「ふうん……ヨークシンがあって、次はグリードアイランド、その次がキメラアント編か」
「キメラアント編っていうの、俺読んでねーな」
「へぇ……」

 遥はそう呟くと、ふと考えるように黙ってしまった。
 彼方は不思議に思って覗き込む。

「どうした?」
「桃桜はキルアが好きで一緒にいるんだよな?」
「そうみたいだけど、それが?」

 漫画の中に留まるという選択は最後まで彼方に理解できなかったが、香恋の選んだ道だから応援したい。

「いや、なんでもない。多分」

 やけに歯切れが悪くて意味深な言い方をする と思った。

「なんだよ、はっきり言え」
「……彼方。今度うちに来て『HUNTER×HUNTER』の続き読むか? そうしたらわかる」
「じゃあ 読む」

 キルアと漫画の続きに関係があるのなら、漫画の中でキルアに恋人ができるとかだろうか。
 たとえそうでも、香恋はすでに許嫁となっているのだから、状況が違う。
 たいていの女の子と比べて香恋が負けるなんてことはよっぽどないだろうと親友贔屓で思って、彼方は思考を打ち切った。

 大きな門が見える。

 といってもゾルディックのそれとは比べ物にならないし、様式も違う。ただ現代日本においては大きめの門だ。その前で遥と別れた。付いて行こうかと言われたがそこまで甘えられない。ただ実家に帰ってきただけだ。

 足を踏み入れると馴染み深い風景。
 いくら世間一般とは違う家庭でも、2年半 何も言わずに家に帰らなかったのは異常なことだ。
 不慮の事故というには自力で原因を引き起こしたことだし、自分勝手に生きてきた。咎められてもやむをえない。

「彼方様!?」

 彼方を見留めた門下生が声を上げる。
 その姿に、些細な変化の積み重ねに、遥と再会したときと同様 "二年経ったんだ"という実感を湧かせた。
 肯定を示すと、動揺と心配と世話を焼いてくれたあと、当主を呼びに駆けて行った。
 それを追いかけて歩む。
 早朝のひんやりとした空気のような緊張感を吸い込むとすがすがしささえ感じた。

 門下生に声を掛けられて、当主は彼方を黙って見やった。
 冷徹な視線から感じるのは畏れだ。
 強くなって帰ってきたはずなのに、この緊張感は以前と何も変わらない。
 彼方はその場で膝を折り、叩頭した。

「長らく留守にして申し訳ありませんでした」
「……鍛錬は怠らなかったようだな」
「はい」
「わかった、もう下がって良い」

 返事をしたが、踵を返して去った当主の気配がなくなるまでは頭を地面につけていた。
 親子の会話としては異常だが、彼方にとっては正常だった。
 立ち上がった彼方に、嬉しそうに門下生が寄って来て、「ご当主は彼方様が帰ってくると信じて疑わなかったんですよ」なんて口々に報告してきた。

 翌日遥と約束して香恋の家へ行った。彼方にとっては初めての訪問になる。
 香恋が彼方の家に行くことはしばしばだったが、その逆はなかった。

 服装は遥が用意して持ってきてくれたのでそれを着た。
 身長が伸びて昔の服が着られず、あやうく道着で出かけるところだったので遥には案の定と言われた。
 内容は香恋が最後に選んでくれたものとイメージが近い。
 紙袋には明日――ライブに行く分の服も入ってるから と指示を受けた。

 香恋は戸籍の上では養子という形で、母方の祖父母の家に居候していたそうだ。
 そこで香恋の母親にも会うことになった。
 彼方は他の"天宮"に行くには道場の名を背負わずにいられない立場であり、香恋が家を捨てているということもあって、実家に赴くのは微妙だったからだ。
 あくまでも香恋のひとりの友人として来たという体裁で、居間に通されて、彼方はできる限りの説明を始めた。

 突然同じ神隠しに遭ったこと。香恋は健康で、生きる手段も目標も得ていること。自ら望んで戻らない選択をしたこと。

 守り続けることができなくて申し訳なかったと言えば、元々守られるべき立場ではなかったと返された。
 生きていてよかった と涙拭った後、香恋の母は穏やかに言う。

「あの子はいつも誰にも相談せず自分で決めてしまって、絶対に考えを変えない頑固者です。説得に応じなかったのが目に見えますから、彼方様がお気に病むことはないですよ」

 目を細めて語られるのを複雑な気持ちで見ていた。

「自由に道を選んでどこに行ってもいい というのは8年前にすでに約束したことです。あの子が積極的に自分で選んだことなら客観的な間違いがあっても失敗ではないでしょう」

「――はい。きっと幸せになってくれると思います。俺……私は、願っています」

 それから香恋の母は少しだけ昔の話をしてくれた。
 かつて香恋は 自ら好んでいたわけではなくとも家名の期待に応えるように鍛錬していたこと。
 一度だけ彼方と手合わせしたことがあるということ。
 姿や印象が全然違うから気づかなかっただけで、たしかにその頃同世代の子と手合わせしたような気がする。
 隠していたことを勝手に暴くようで悪いと思って、写真などは乞わなかった。

 別れの瞬間まで 香恋がこの世界の親兄弟友人に対して伝言一つ託さなかったことが、未練のなさを象徴しているように思う。最初から"向こう"を選ぶことに対して迷わなかった。
 あるいは中途半端な未練を残さないためだったんだろうか。
 消去法でなく、最後にはあちらのほうがより素晴らしいから選んだのだと信じたい。

 桃桜家は香恋の失踪届けを取り下げて鬼籍に入れると言った。
 証拠品の何もない彼方の証言が信用されるのは、ひとえに天宮だからというやつだろう。
 何か もっとできたんじゃないかと、言いようのないわだかまりが彼方の胸に残った。
 それらを受け止めて進まなくてはいけない。

 さらにその翌日は遥のライブを聴きに行く約束をしていた。
 彼方は指定の服装で指定の時間に指定の場所に行き、預かっていたチケットを渡して中に入った。
 予想よりも規模が大きく、馴れない人ごみに一人だったが、ステージが始まると居心地を忘れた。
 まるで魔法だ。
 遥の歌声に、音楽と興奮の熱気に包まれた空間に圧倒された。

 中学の頃も凄かったが、ますます洗練されて研ぎすまされている。
 自分には縁のない分野でも、天才だと信じられる。
 音だけじゃなく、歌っている遥は凄絶にかっこよく見えて、みとれた。

『 水溜りの海から抜け出せずにいた  凍りついた世界の中  僕を待つ君の元へ 僕を待つ君の元へ 』

 あれ と呟きそうになった。
 知らない曲が続いたのに、それだけはどこかで聞いたことのある歌だった。

 違和感を覚えて、反射的に"凝"をするとあることに気づいた。
 歌っている遥は一般人よりも垂れ流すオーラが多いのだ。
 練のような様子で、歌声に乗って散布する。音がオーラとして目に見えているかのようだった。

 偶然見えてしまっただけだったが、なるほど 素晴らしい音楽にはオーラが宿るのか と思った。
 無意識で作品にオーラを込められるのはその分野の達人の証拠だ。
 凄いなぁと素直に感嘆した。見蕩れて、聴き惚れて、尊敬する。いとしくてたまらなかった。
 それで、先ほどの違和感は忘れてしまった。


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