37.出発 -- 扉が閉じる

 後ろ姿が光の中に溶けて、扉がしまった。
 それを見送った香恋は手を口にあてた。
 具現化し続けるには重い門が 霧散する。

 押さえた口元から嗚咽が漏れる。意識せずに涙が頬を伝って地面に落ちた。
 声を上げて泣きたくなって、歯を食いしばる。
 誰も見ていないというのに 気の弛みを自分に許すことができなかった。
 それでも涙だけは止まらない。鎧の剥がれたような無防備感を味わった。

 誰か 抱きしめてくれる人がいればよかったのに。
 抱きしめてくれる誰かの前で泣くことのできる自分ならよかったのに。

 自分が自分の意のままにならないなんて、いつぶりのことだろう。
 けっして綺麗な泣き方じゃない。
 見られることに気を配らない、らしくもない泣き顔だ。

 ――彼方はすべて知った上で、親友と呼んでくれた。
 失った物・手放した物の大きさを痛感した。

 それ以上の絆をこの世界で築くことなんてできるんだろうか。

 ――できなくても築くんだ。
 道はもう選んだ。退路は絶った。
 14年分はリセットした。2年分だけがこの小さな手の中にある。

 香恋だって、未来が怖くないわけがない。別れが寂しくないわけがない。
 選ぼうと思えば選べたはずの物を手放す強さと弱さ、
 器用さと不器用さを兼ね備えているだけだ。
 帰る場所・待っている人を持つ彼方が妬ましくて、
 死なせたくなくて、干渉してほしくなくて。

 迷わずに元の世界を拒絶したのは香恋の強さでも弱さでもない、仕方なさだ。
 同じ条件を与えられても選ぶものが違うのだから、人間の違いとしか言いようがない。
 帰りたくないのだって、誰かが憎いわけじゃなかった。
 可哀想な境遇というわけでもなかった。
 ただ、望む物を得られなかったという我が儘だ。

 他人の強さを渇望していたのは香恋のほうだった。
 無防備を補うように、香恋を普通の女の子として 守ってくれる人がよかった。
 コンプレックスなく "かよわく"あるためには並大抵の、
 この目に動作の粗が見えてしまうような相手では駄目だった。
 それは向こうではとても難しい。だからといって"天宮"は論外だ。
 この世界なら愛せるかもしれないと思った。

 彼方に対してはあえて否定しなかったが、ここは漫画の中なんかじゃない。
 念があり死があり痛みがあり愛があり喜びがあり悲しみがあり、
 香恋がこれから生きていく世界だ。

 冷たい風に煽られて涙は乾いた。
 すべては、ここから始まる。

 これからも 自分を守って自分で選んで自分で生きていかなければいけない。
 怖い……とても怖いけれど、やりがいはある。
 希望だけを見据えたような明るい笑みを頬に貼付ける。

 誰もが必死で行きていく冒険の中、一緒に生きていきたいのなら、
 もう守られることにこだわるべきじゃない、そんな余裕はないのかもしれない。
 寄生するのじゃなくて支え合いたいから、自衛のすべは高めるべきかもしれない。
 格闘技は嫌悪対象ばかりだが、取ろうと思えば受け身くらいは取れる。
 無防備さを少し減らそうと思った。頑なになろう と。

 オークションの間はヨークシンに近寄らないようにして、
 代わりに毎日キルアに電話をかけた。
 内容はたわいもない話で短い時間だが、幸せだと思えた。

 旅団の件が片付いたとたしかめて、ようやくヨークシンに戻る。
 クラピカと会うと、除念師のことを聞かれた。
 たしかに除念は可能だが、香恋は休業中だと告げる。
 "あなたが香恋を裏切らずキルア君の味方である限り、香恋は旅団に対して除念を施さないと約束します”と。
 自分の安全を買うために打算は惜しまない。

 グリードアイランドに参加するためにはバッテラのオーディションを受けた。
 高名な除念師であることと その実演が幸いして無事合格を果たした。
 舞台はグリードアイランドというゲームの中へと移る。

 これは、始まりの終わり。


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