34.帰還 -- ただいま

 まばゆい光に目を閉じる。
 落下に似た一瞬の浮遊感があってから、地に足をついた。
 目を開けると、見覚えのある街並み。
 懐かしさが込み上げる、2年半ぶりの。

 周囲を軽く見渡して場所を把握した。
 ここは 何度か足を運んだことがあるが、家の近くではない賑やかな街だ。
 たしか香恋の能力は『望む場所に行ける』というものだった。
 どうしてここなんだろう? 本当に戻ってきたのか?
 扉をくぐるとき、思い描いていたのは――。
 呆けていると、視界の端で何気なく擦れ違った男が、振り返って声を上げた。

「彼方!?」

 呼ばれた名前。
 背丈も声も髪色も長さも記憶と違う。
 フレームの太い眼鏡をかけて帽子をかぶっていて、印象は地味。
 けれどどこか既視感のある顔立ちと 耳には銀の輝き。

「遥……!」
「ちょ、お前なんでここにっていうか今までどこに――はぁっ? 嘘だろ、夢?」

 まるで夢から醒めたようだったのは間違いない。あるいは今が夢の中にいるような。
 それでようやく彼方は帰ってきたんだと実感できた。長い旅の終わりだ。

「夢じゃねぇよ。帰ってきたんだ。遥、会いたかった……!」
「ばかやろっ、お前はいつも突然過ぎるんだよ。
勝手にいなくなりやがって、 どれだけ探したと思って……ああもうなんだよどこ行ってたんだよ」
「いろいろあったんだ。話すと長くなる」
「洗いざらい、聞かせてもらう」

 涙掛かった声で遥は言ってのけた。
 目を潤ませてた顔を見て、美少年ぶりは健在だ彼方はぼんやりと思った。
 彼方自身、とんでもなくなさけない顔をしているのはわかっていた。

 それから、遥は何か予定があったようだがキャンセルの電話を入れていた。
 いいのか?と聞くが、訊きたいことが無限にあるのはお互い様だ。
 人目を気にしなくていい場所、ということでふたりは近くのカラオケ店に入った。
 向かい合うような席に座り、オーダーしたドリンクが来ると遥は機器の電源を落として部屋を静かにする。上着を脱ぐのと一緒に帽子と眼鏡も外していた。

「で?」
「で、って言われても何から話せばいいんだか……。
つーか遥はその眼鏡ダテなの? なんでそんな変装みたいなことしてるんだよ」
「すっげーどうでもいいな。俺は今ちょっと有名なんだよ。お前だって服の趣味変わっただろうが」
「これは香恋が選んでくれて……有名って、賞金首とか?」
「どこの世界の話だよ。 犯罪者でもねーよ」
「あー……」

 賞金首ハンターの日常から出た言葉だったが、そういえば日本に賞金首制度はない。多分。せいぜい情報提供料程度だ。
 染み付いてるなぁと彼方は苦笑する。

「信じてもらえるかどうかわかんねーけど、俺今まで漫画の中の世界にいたんだよ。
 前に遥に借りた、『HUNTER×HUNTRE』って奴の」

 はぁ!?と一蹴されるかと思ったが、否定の声は飛んでこなかった。遥の苦虫を噛み潰したかのような表情をしている。これは詳しく説明していいのか?と彼方は思う。

「えーっと、漫画に出てきてたオーラの扱い?をやってみたらできて、念っぽいことができるんじゃないかと香恋と一緒に修行しててだな……。水見式をやろうとしたらこっちの世界では無理なことだったらしく、飛ばされた」

 というのが香恋の解釈だったので、彼方はその受け売りを話す。
 遥は重々しい口を開いた。
「桃桜も一緒にいたんだな」
「あぁ。香恋は向こうの世界に残るって言って残った」
「へぇ……そうか」

 彼方は遥の反応を窺う。言葉にするほどとんでもない話だ。
 遥はしばらくの沈黙の後、呻いた。

「くそっ、やっぱりその線を信じるのはキツいな」
「悪い」

 いくら仮定の一つだったとはいえ、それはありえないと何度も自分で否定したことだった。その理屈を乗り越えて嘘のような真実を提示されるのは苦しかった。

「本当のことなら謝んな。 お前は嘘つけるほど賢くないのわかってるし、辻褄は合うんだから」
「辻褄?」
「お前、いなくなる前に修行の成果を見せてやるとか言ってたんだよ。それが念だろ。それにお前たちがいなくなった部屋はガラスと乾涸びた葉っぱの破片……水見式の跡があった。だからって漫画の世界に行けるとか信じられないけどな!」
「そうか……」

 "信じられない"と言う一方で、"彼方が嘘をついている"とは言わない。
 目一杯譲歩しているのが伝わってきて嬉しかった。

「とりあえずお前は俺が納得できるように、この2年間何してたのか全部話せ」
「わかった。水見式の後、気づいたらゾルディックの屋敷にいて……」

 その時点で遥は更に複雑そうな顔をしたが、何も言わなかったのでそのまま続けた。
 ゾルディック家で過ごしたこと。天空闘技場に行ったこと。香恋とふたりでハンター試験を受けたこととその内容。幻影旅団の手伝いをしたり賞金首を狩りながら帰る方法を探していたこと。取引のこと。香恋のこと。
 遥は途中で口を挟まなかった。
 まとめるのが苦手な彼方の話は要領を得ないながらも、概要は伝わってきた。
 帰って来るところまでようやく話が繋がって、遥の第一の感想は「盛りだくさんだな」だった。
 彼方はサブカルチャーに疎いだろうが、漫画の登場人物がたくさん出て来る、作り話としてならありえそうな内容だ。
 そもそも自力で念を習得したという前提条件がありえない。
 彼方がいくら並大抵でないとか人外だとか化け物じみているとか思っていても、ここまで非常識な体験が許されていいのかはわからない。

「お前この話するなら相手選んだほうがいいからな。へたしたら病院連れてかれるぞ」
「……わかった」
「はぁ、俺もちょっとなぁ……。なんか証拠ない? その服も異世界の物なんだよな」

 異世界の物 というとなんだか妙な感じがするが、間違いではないので頷く。
 上着のタグを見せると、たしかにハンター文字が書かれていた。

「マジか……」

 遥は諦めに近い吐息を漏らした。
 ありえない、そんなわけない、できっこない。常識で否定された全てを、彼方は容易く肯定し直す。

「あ、あとハンターライセンスも持ってる。香恋が持ってろって言ってくれたんだ。現金は持って来られねーからって宝石も」

 これこれ、と彼方が取り出したカードはたしかに見覚えのある外見だったが、持って触ってみてもとんでもない高性能とは思えない。レプリカならこの世界にもきっと売ってる。特別な物とは思えなかった。
 ケースに入れられていたダイヤのような宝石はたしかに大きくて美しかった。大きすぎて加工品ではないかと疑うほどだ。なさけないことに 鑑定してもらわないと真贋がわからない。

「念は……えっとこれが"絶"な」

 何事でもないようなあっさりした口調で彼方は気配を消す。遥は息を飲んだ。足音とか呼吸音とかいう範疇ではない。目の前にいるのに存在が薄くなったような、オーラの遮断。まるで魔法を見ているようだった。手品でも体力でも技術でも説明できない。

「あとは……」
「もういい、わかった。信じる努力をするから念はもう使うな」
「よかった!」

 ありえない複雑なことをばかり並べるのに、彼方自身の単純さは変わらない。間違えているんじゃないかとは思っても、嘘をついているとは欠片も疑わないのはそのせいだ。

「お前は帰ってきたばっかりなんだよな。これからのことを考えよう。
まず、お前と桃桜はこの二年半、行方不明という扱いになってる」

 家に帰って無事を知らせると共になんらかの事情を説明しなくてはいけないとか、桃桜――香恋の家にも挨拶と説明に行くべきだとか、いろいろ手続きが必要だとか。
 遥は現実的なことを次々と並べていく。

「手続きとかに詳しいな」
「お前がいない間にいろいろ調べたんだよ」
「そっか。ありがとう」

 そう答えた彼方を見て、遥は盛大な溜め息をついた。
 帰って来られて機嫌がいいのか、表情が明るい。
 ずっと帰って来る方法を探していたのだという。それが当然のことだとは遥は思わない。現に、桃桜香恋は帰らない道を選んだ。
 強者の彼方が守るべき親友を見ず知らずの世界に置き去りにすることは当然ではないはずだ。

「あのさ、桃桜が向こうに残るって行ったとき、お前はそうしようと思わなかったんだな」
「帰ってこないほうがよかったって?」
「そうじゃなくて。それって家を継ぐため? 家に心配かけないため?」

 ずっと探していたから、会えて嬉しい。その一方で違和感は残る。彼方はそれでいいんだろうか と。
 だって彼方は一ヶ月くらい平気で姿を眩ませるから。
 強さのある異世界に心奪われたんじゃないかと心配になった。

「そうだな……どこまで遠くに行っても、帰りたくなったときには家に戻るもんだと思ってたなぁ」

 方向感覚は獣並みに優れて、帰る場所を見失ったりしないという自信があったからこそ、どこまでも遠くに行きたかったような気がする。

「それに またお前の歌が聴きたかったんだ」

 会いたかったんだ、という本音を 照れ隠しで二番目の理由とすり替える。
 彼方も遥も 変わったことはいくらでもある。一見しただけでもわかるし、端々から伝わってくる。
 それでも、"変わらない"と確信できる絆があった。煌めく銀色は不変だ。

「……歌ってやろうじゃねーか」

 遥は口角をつり上げて笑った。
 カラオケじゃ微妙だな と呟いた遥はこだわりがあるようで、携帯からどこかにメールを送っていた。
 ――あさってのライブチケットを斡旋してほしい、と。

「これでよし」

 彼方はよくわかってなかったが、遥に任せることにした。
 本当に目の前にいるんだな と不思議と気持ちになる。

「そうだ、言い忘れてた。彼方、おかえり」
「――ただいま、遥」

 幸せだ と思った。


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