ククルーマウンテンにキルアを迎えに行った後、香恋は意外にもゾルディック家に残ると言った。
安全な場所で、取り組まなくてはいけない"とっても大切な"ことがあるという。
傍から見れば茨の道だった。キルアに対する人質にも見える。
しかし香恋はそれが最善の策だと言う。
どうしても期限内に完成させなければいけないものがあるそうだ。
――キルアが今は香恋を連れていかない決意をしたように、香恋も今はキルアについていかない決意をしようと思った。
いろいろ考えたけど、"それ"が完成するまで拠点はここがいい。
それに将来を考えるとやっぱりゾルディック家との関係は頭を下げても繋ぎ止めるべきだ。
受ける依頼を減らしたとはいえ、除念師としての自分は飼う価値があるはずなのだから。
それはとっても困難なこと。着想してから今まで心血を注いできたがまだ足りない。
我が儘を叶えるための戒めなのだ。努力した分だけ報われると信じたかった。
キルアたちが天空闘技場で念の修行をしていた頃、香恋から会いに行ったことはあったが、"迎えにきてもらう"のはもっと随分先だとお互い了承していた。
キルアも、まずハンター証を取ってから という目標がある。
そのとき香恋が高名な除"念"師でシングルハンター、オーラの扱いも上級者だと知って、さらに目標は高くなった。
そのとき、香恋はこっそりとキルアに 作っているのは新しい念能力だ と教えた。
それさえ完成すれば香恋は自由になるのだそうだ。
キルアが今まで不思議だったことは念を知って解決したこともあるが、香恋についてはまだ何か抱えているらしい。
いつか全部聞き出せるだろうか。
頼られるようになりたい とキルアは思う。
それには香恋と昔一緒にいた"男"ほど強くならなくてはいけないのかもしれない。
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ヨークシンにはキルアたちと予定を示し合わせていたので、一番に合流できた。
彼らの目的はグリードアイランドだ。
香恋には除念で貯めた200億以上の資産があったが、落札には89億どころか300億でも足りないと知っている。
失うことを予測した上でゴンとキルアに最初に10億ずつ貸し、あとはゴンがハンター証を質に入れるときに1億貸そうと思っていた。
香恋はキルアたちとあまり長く一緒にはいなかった。夕食を共にするくらいだ。
原作を壊してはいけないと思ったのと、目標の"仕上げ"があったからだ。
『香恋、久しぶり』
『シャルさん。お久しぶりです』
ハンター試験のときに連絡先は聞いていた。
ホームコードに留守電を残したら通話がかかってきたというわけだ。
『彼方ちゃんは元気ですか』
『相変わらず人並み外れて健康そうだよ』
『よかった。ホームコードにも残したんですが、明日9時にKKホテルの301号室に来るよう伝えてください』
『うん、わかった』
それは、あえて泊まっているホテルとは別のホテルをしていた。
『香恋って除念師だったんだよね』
『はい。今は休業中で、依頼を"受け付けてない"し"除念できない"んですけどね』
そんなささやかな予防線がどれだけ効果を発揮してくれるのかはわからない。
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「 香恋! 会いたかった。今までどうしてたんだ?」
翌日、約束の場所に彼方は現れた。
シャルナークに発信器や盗聴器でも付けられてないかと思って、服を着替えさせた上に除念も施した。
「ゾルディック家に居候してたよ。除念師として働いてた。彼方ちゃんは? シャルさんについていって、結局旅団のメンバーになったの?」
「いや、ただの協力関係だ。本業は賞金首ハンター」
「うわぁ、矛盾してるね」
なにしろ旅団はA級首だ。
それは、正義でありながら悪にも手を貸す所業だ。
彼方は苦笑した。
「元の世界に帰るためならなんでもやるさ」
「……そっか。それを聞いて安心した」
すべてが目的のためだというなら。
目的のためには道を外すことを厭わないというなら。
「彼方ちゃん、香恋と取引してくれない?」
「取引? 交換条件なんかなくても、俺は香恋の頼みならなんでもするよ」
望みの違い・選んだ道の違いによって別れてしまったが、友達をやめたつもりはない。
彼方にとって香恋の優先順位は今でも高く、守るべき女の子だと思っている。
同じ世界から来て、この世界で唯一"同じ次元"と認めているのが香恋だ。
香恋がいなければこの世界に来たばかりの頃にもっと取り乱していただろうし、ゾルディック家とも険悪になっていただろうし、ハンター試験も受からなかった。
とても大きな存在だ。大切な女の子なのだ。
−−香恋は、変わらない彼方の態度を嬉しく思う反面、"甘いなぁ"と内心で笑う。
なによりも欲しいものはくれなかった、香恋を選んでくれなかったのに。
「じゃあ言うね。彼方ちゃんにはこれからヨークシンで起こる出来事に一切手出ししないでほしいの。できれば今すぐ街を出てほしい。香恋が生活環境を用意するから」
香恋は花が咲いたような笑顔を作った。
「それは――クラピカが蜘蛛に復讐するのを見過ごせってことか」
「うん。彼方ちゃんに蜘蛛の味方をされるとすごく困るの。規格外に強くて、未来の知識があって、しかも旅団じゃないからクラピカさんの念も通じないなんて」
彼方にとってはまったく予測していなかった事態だったらしく、動揺しながら少しでも理解しようと質問を重ねる。
「お前、クラピカとは?」
「キルア君のハンター試験について行ったときに会ったよ。それだけといえばそれだけ。重要なのは、パワーバランスが大きく崩れると、危ないのはクラピカさんだけじゃないってこと。
予定通りの未来が、香恋にとって確実で最良なの。作者さんが考えた最良の未来と、"知っている"というアドバンテージを失いたくないの。二兎追う者は一兎も得ずだよ」
要するにキルアが第一ということだ。迷いがない。
その"予定通り"は、シャルもキルアも、たしかに香恋の知り合いは全員無事だけれど。
――ウヴォーギンとパクノダがクラピカに殺されて、クロロが念を封じられ、実質上旅団が半壊する未来だ。
『彼方、お前女だったんだな』 『彼方、アンタよくシャルの言うこと聞いてるね』 『彼方、お疲れ』 『彼方、次の仕事を説明するね』 『彼方、お前結構やるな』 『彼方、ちょっとこれ飲んでみるね』 『彼方、マジギレはするなよ』 『彼方、これあげるよ』 『彼方……あなたの過去が何も見えないわ』 『彼方、特訓に行くんなら付き合ってやるよ』 『彼方、次に席が空いたら正式な旅団のメンバーにならないか?』
互いに割り切っていたし、温かい関係とは到底言えない。
けれど、慣れた分だけ居心地は良かった。
香恋と別れてから、唯一名前を呼ばれる場所でもあった。
「悪いけど その未来は俺が困る。旅団は今の俺の居所だし、帰る方法を捜すのにも必要だ。ウボーとパクも、死なせたくないと思うくらいの恩義はある。俺はクラピカのことはどうでもいいし、旅団の味方だ」
彼方にとって、この世界における優先順位(人物)第一位は間違いなく香恋だが、二番目は消去法で旅団になる。
香恋自身や香恋と親しい者の命と比較するならともかく、クラピカの復讐心を晴らすために旅団を切り捨てることはできない。
クラピカには蜘蛛の仕事が終わるまでどこかで寝ていてもらおう、と思っていた。
もちろんそれでは復讐劇は終わらず、先延ばしにするだけだが、それは仕方ないと思っていた。
もしかしたら上手く収束させる方法があるのかも知れないが彼方には思いつかなかった。
香恋なら思いつくかもしれないと思っていたが、まさか彼方が最初から旅団を切り捨てるように頼んでくるとは思わなかった。
「うん、わかってる。香恋と彼方ちゃんは大切な物が違うんだよね。だから"取引"って言ったんだもん」
その可愛らしい笑顔が、鈴の鳴るような声が、なぜだか薄ら寒く思えた。
これは自分の知っている可憐な親友だろうか。
口元に笑みを描いたまま、香恋は信じられないことを口にする。
「言うとおりにしてくれたら、彼方ちゃんを元の世界に帰してあげる」
「は……?」
それは、今更協力してくれるということだろうか。
"探しなよ" と 突き放しておいて。
情報に長けたシャルの、天下の幻影旅団の協力を得て二年間探し続けても見つからなかったのに、いくら彼方よりも賢いとはいえ−−今更香恋が手伝ってくれて何になるだろう。
"他人を異世界へ移動させられる能力"というのはそう簡単に見つかるものじゃないのだ、だから苦労しているのだと 伝えようと、彼方が口を開くよりも早く、香恋は
「香恋の能力で」 と付け加えた。
じんわりとその意味が脳に浸透して、彼方は今度こそ言葉を失った。香恋はまくしたてるように続ける。
「自分が行ったことのない異世界に他人を送り届ける能力なんて、世界中を探してもあるはずないよ。普通は異世界なんて想定しないし、作ろうと思ったらかなり厳しい制約と誓約が必要だけど、目的が限定的すぎるから、そこまでする物好きなんているわけない」
香恋はここ二年間の彼方の行動をばっさりと全否定した。
彼方にも薄々わかっていたけれど目を逸らし続けてきたことである。
そのまま、香恋はさっきと同じような笑顔で楽しそうに付け足す。
「香恋以外にはね」
「なんで……だってお前は」
「香恋の発の系統は操作系寄りの特質系だけど、具現化系だって隣なんだから使えないことはない。空間移動は むしろ特質系でしょう? まぁ、とっても難しいことに代わりないから制約と誓約で塗り固めたんだけど。異世界に行ける扉、作ったの。そういう能力を作りたくて、除念師の合間も 休業してからも、ずっとその修行してたの」
ハンター試験後にキルアについていかなかったのはそのためだ。このときのために、このときまでの辛抱だと思っていた。
ヨークシンに間に合ってよかった と香恋は思う。
彼方は混乱したままだ。
「だって、香恋は帰りたくないって言ったじゃないか」
「帰りたくないし帰るつもりもないよ。あの世界に香恋の帰る場所なんて無い。あくまでも彼方ちゃんを送り届けるだけ。強化系じゃあ無理だろうから」
香恋にしてみれば、帰りたいという気持ちのほうが理解できない。
彼方から見てもずっと欲しかった強さのある世界のはずだ。独りじゃない、親友の香恋がいる。遥なんて数年経った今ではどれだけ変わっているかわからない。
早く元の世界を諦めて、覚悟を決めればよかったのに。−−香恋を選んでくれたら、よかったのに。
それでも、この世界で生きていく覚悟のない彼方を死なせたくないというのはなけなしの友情のつもりである。
念能力を一つ完成させた代償は大きい。今まで持っていた能力が単純だったからできたことだが、多分これ以上他の能力を作ることはできない。
覚悟がないのに旅団に混じって人が殺せるのは、きっとリアリティを得てないのだ。
覚悟がないなら、彼方はこれ以上この世界でつながりを持ってはいけない。
この世界に心を許さないまま、帰るべきだ。
彼方は苦虫を噛み潰したような表情だ。
「考える時間をくれ」
「考えてる間は"予定"に手出ししないでね? 蜘蛛から連絡を絶って一人で考えてね? 約束破ったら、元の世界に返してあげないから。二度と帰れないから!」
「――わかった」
迫られた決断は、求められた覚悟はとても重い。