25.蜘蛛 -- 求めるのは強さだけ

「ただいまー」
「ハンター試験帰りか」

 シャルナークがアジトの入り口で帰りを告げれば、侍みたいな格好をした男から返答があった。
 見たことのあるようなないような顔だ、と彼方は思った。

( 誰だっけ? )

 名前が出てこない。名前も顔もわかった上で平気で会話していたにも拘らず、シャルナークが幻影旅団の一人だということに気づかなかったような記憶力と認識力だ。
 アジトに連れてこられても、そこにいるメンバーにはイマイチぴんとこない。
 ただし、そこにいる者の強さだけは敏感に感じ取っていた。

「そっちは誰だ?」
「彼方。試験で会ったんだ。面白いから連れてきた」
「次の旅団候補か?」
「いや、今のところ俺のパシリになってもらう予定。ただ働きで」

 シャルナークが自慢げに語ると、男ことノブナガは目を丸めた。

「……おいおい、なんだよそれ。操ってるわけじゃないんだよな?」
「利害関係の一致だよ。だってさ、俺も大変なんだよ? みんな地味な仕事とか情報収集はやりたがらないしさー」

 『みんな』には自分も含まれているので、ノブナガは押し黙った。
 代わりに彼方と紹介された男に同情の眼差しを向ける。シャルナークは明らかにこき使う気満々だった。

「お前、それでいいのか? そこそこ強いんだろ?」
「俺は行くあてもないし、シャルが約束を守ってくれるなら」

 彼方は旅団になりたいとは思わなかったが、生きていくために『雇い主』は必要だとは思っていた。
 香恋はあてがあると言ったが、彼方にはない。
 あるとしたら、鍛え抜いてきた強靭な身体と念の才能だけだった。
 情報を得るために力を貸す、帰るために力を借りる。そんな契約関係が望ましかった。


 盗みや殺人を肯定するわけではない。
 しかし、此処にいれば少なからず加担することもあるだろう。
 それが手段ならばしかたない。

 たとえば、目の前で車に轢かれそうな人がいれば、可能な限り助けるだろう。持つ力に価値があるなら、通りすがりの他人でも守ってみせる。
 たとえば、全力で放った一撃が相手を死に至らしめたとしても、後悔はしないだろう。それが戦いというものであり、いつでも本気で臨んでいるからだ。 それが、彼方の価値観だった。

 けれど、この世界に来てから、異質な理屈が一つ加わった。

 たとえば、この先誰かを殺せと命じられることがあるかもしれない。
 それは見ず知らずの相手かもしれないし、人畜無害な一般人かもしれないし、もしかしたら寸前まで会話していた相手かもしれない。
 それでも、彼方は思う。

( 此処は漫画の世界だ )

 自分たちがいた場所とは違うのだ、と思う。
 だから無条件に強さを求めることを許されるし、帰らなくてはいけない。
 そのためならなんでもする。


 まっすぐ答えた彼方に対し、ノブナガは、人それぞれの事情があるのだろうと納得した。
 もともと常識を振りかざすような性質でもない。


「じゃあ、団長のところにつれていくね」
「ああ」

 シャルナークの後に続いて歩みを進める彼方は、幻影旅団の団長という男はどんなやつだろうかという想像に支配されていた。どれほど強いのか。

 香恋を失い、帰る目標は当分成り行き任せの状態となった今、彼方が唯一意欲的になれるのは他人と自分の強さについてだけだった。
 そういえば、漫画にはヒソカとかいう変なピエロがいたが、似ているのかもしれない。狂わしいほど戦いと強さを求めているところが。
 現に、彼方は共感した。クロロ=ルシルフルに出会った瞬間、戦いたいと思ったのだ。

「そいつが例の奴か?」
「名前は彼方。強化系で、オーラのコントロールは雑だけどパワーは抜群。体力バカで怪力。でもそのわりに動きが速くて正確。念を除いても体術は一流だよ。
ああ彼方、こっちが団長ね」

 偏見の入り混じった、かなり失礼なシャルナークの解説に彼方は特に異議はなかった。むしろ聞いていなかったのかもしれない。
 ただ、クロロを見ている。凝視している。殺気ではなく純粋な燃え盛る闘志の宿る瞳で。クロロも彼方を見定めていたから、目が合う。
 そして笑った。

「いいだろう。こいつを手伝いとして仕事に参加させることを認める」

 彼方は頷いてから、我慢できなくなって申し出る。

「なあ、アンタ強いんだろ? 手合わせ願いたい」
「それは『念』の手合わせか?」
「ん。そういうことでいいぜ」
「だったら断る。無意味に手の内を見せびらかすような真似はしない」
「じゃあ念無しでもいい」

 念を覚えてから一年経たない彼方にとってはむしろそっちのほうが都合がよかった。
 しかし、あえて相手の得意分野で戦ってやるほどクロロは親切でもない。

「俺にメリットがないな。言っておくが、旅団同士のマジギレはご法度だ。一緒に仕事をするならそれを守ることが条件の一つ目だ」
「一つ目?」

 ということは二つ目があるのだろう とは、さすがに彼方でも思い至った。

「もう一つは、実力の証明だな。メンバーの誰かと直接戦わせるのは面倒なことになりそうだな。……B級以上の賞金首を10狩って来い」
「なにそれ! 聞いてないよ!?」

 なぜかシャルナークが残念がっているのは、彼の中ではすでに彼方にやらせたい仕事というのが山積みになっていたからだった。
 けれど、すぐに『B級以上の賞金首』のリストが頭に浮かんで、それもいいかと思った。

 彼方が判断を求めるようにシャルナークを見ると、彼は偽りの親切心で笑みを浮かべた。

「敵の名前と所在地は俺が調べてあげるよ」 と。


 月の出る夜に、彼方はそこに立っていた。
 全身を何の変哲もない黒い服に包み、何一つ武器は持たず、手ぶらだった。黒い手袋をしているものの、他に装備品もない。耳元で銀色だけが光った。
 普段体重の何倍もの付加をかけている錘さえもなかった。だから信じられないくらい身体が軽い。
 彼方にとって、身一つこそが最大で最強の武器だった。


 素早く、全力で練をする。
 空間を支配するようなオーラが立ち込めて、敵が彼方に気づく。

 地を蹴る。それだけで、もう間合いを詰める。
 目にも留まらない速さで鳩尾に拳を入れる。それだけで、敵は気絶する。
 銃弾に狙われる。鋭い感覚で察知して、虫を追い払うように手の甲で叩き落す。
 背後からの攻撃も避けて、絶妙な蹴りを入れる。それだけで、敵は吹っ飛んだ。仮にも念能力者が、である。
 単に気絶しただけなのか、それとも死んでいるのかはわからない。 次々と倒していく。数が多すぎて、いちいち確認するのは諦めた。

 ここは地元では名の知れたマフィア。
 単身で乗り込むなんて、あまりにも無謀なはずなのに、

 たった一人。
 強化系とはいえ、武器も持たず。
 身を守る鎧すら持たず。
 壁のようなオーラ、触れるものをすべて吹っ飛ばすほどの力強さでありながら、美しいほどの洗練された動き。目で追えないほどの素早さ。
 まったく無駄のない、手本のような型。
 闇夜の月光の下で、耳に銀のピアスを光らせて、彼――彼女は笑う。

 強さを求めて。


「これだよな? ついでに盗ってきてほしい資料って」
「合ってるよ。初仕事おめでとう」
「まだ入門段階だろ。
 ……それにしても 賞金首(ブラックリスト) ハンターってぼろい商売だな。たったあれだけで金もらえんのかよ」

 本気でそう言っているらしい彼方に、シャルナークは若干寒くなった。
 実力を見るためにあえて単身乗り込ませた。 死にはしないだろうとは思っていたが、まさか無傷で帰ってくるとは思わなかったのだ。本人曰く、かすり傷くらいはついたらしいのだが、強化系を100%発揮しているうちに消えてしまったらしい。正直、腕一本くらいはなくなるかもしれないと思っていたのに。
 本来は賞金首ハンターが結託して、束になってかかるべき組織である。本職が聞いたら怒るというものだ。

「まあ、久しぶりに暴れてすっきりしたけどな」
「暴れ足りない彼方には向いてるんじゃない? 賞金首ハント。ライセンス持ってれば手続きもスムーズだし」
「だな。たまにはこれで稼ぐか」

 そう宣言した彼方が、これから所属しようとしている幻影旅団は、言わずとも知れたA級賞金首である。
 正義感よりも自分の都合を大事にするつもりなので、見境なく旅団の首を狙ったりはしない。いつか手合わせ願いたいのだけれども。
 賞金首ハントは、あくまでも暇つぶしで金稼ぎだ。

 空虚を感じては、夜な夜な犯罪者のアジトに赴いた。
 行き場のない思いを、強さを求めることでぶつけたかったのだ。
 そんな矛盾した立場でありながら、彼方が賞金首ハンターとして名を馳せるのはそう遠いことではなかった。

 彼方は、蜘蛛の巣に自ら飛び込んだ。


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