お互いに警戒を解き、協力することを決めた。
これで試験の何割かはクリアしたようなものだ。
香恋とシャルナークは草むらに腰を下ろして話し合いをしていた。
「最初の議題は何色を狙うか、ですよね」
「そうだね。香恋の意見は?」
「『青』は湖付近じゃないかと思うんです。大きな湖が飛行船から見えたので」
香恋の意見に、シャルナークが頷く。
二人とも、飛行船から見下ろした光景は瞼の裏に焼き付けている。
「一番可能性が高いだろうね。他の色は草むらや林の中にあるかも」
「そうですね。でも、見かけがわからないと赤白・黄色の花を宝石花だと見極めるのは難しそうです。
『青』や『緑』を最初に見つけて、見た目を確認しないと無理かなって思うんですけど」
「俺見たことあるよ?」
「ええっ!?」
ちなみに、作戦会議に参加する気もなければ役に立つとも思われていない彼方は、二人に言われて公園内を散策している。
小さな花でも踏みつけないこと、食べられそうなものがあれば採ってくることを約束させられて、案内できるくらいこの公園の地形を把握することを目標としていた。
「見たって、どこで見たんですか?」
「美術館とか、オークションのパンフレットとか」
「じゃあ見た目を覚えてますか? 絵に描いてくださりませんか」
「っていうかケータイで画像出せるけど」
「見せてください!」
ちょっと待ってね、と言ったわりにはすぐに用意された。それほど大きな画像ではなかったが、可憐でありながら凛とした一輪の花が見える。
開いた花びらの中央には、守られるようにして宝石のようにきらきらした結晶が乗っている。きっとこれが宝石花という名前の由来だろう。
香恋は、さすが有能な人は違う、と感心した。
彼方が戻ってきて、三人は行動を開始した。
まず、湖周辺を任せられたのは彼方。
湖の中を調査するのは香恋には無理だし、シャルナークは嫌がったからだ。
彼方は泳ぐことが特別に得意ということもないが、人一倍体力はあるし、限定的なことをするだけのほうが、頭を使わなくていいので楽だった。
その香恋は、広い花畑の中に小さな花が混ざっていないか探すことにした。地道でたしかな観察眼が必要な作業である。
シャルナークは、一日目は情報収集に当てると言っていた。
湖周辺の草むらを這いつくばって掻き分けていた彼方だったが、途方もない作業に嫌気が差すと、気分転換にと水に飛び込んだ。
少しくらい勢いをつけても底まで辿り着かない、深くて大きくて広い湖だった。
光の届かない暗闇に引き寄せられるように進んだ。水は恐ろしいほど澄み渡っているのに、視界は閉ざされる。
ふいに天井を見上げると、空が水面に反射して織り成す光のヴェールが輝いていた。ゆらゆらと揺らめいて、万華鏡のように。
彼方はしばらくその光景に見とれていた。
一度浮上して、身体の力を抜き、クラゲのように水面を漂う。
しばらく仰向けに空を眺めながらぼんやりと考え出した。
実のところ、彼方にとって、ハンター試験合格というのはすでに重要な意味を持っていなかった。
元の世界に帰る方法を探すためにはハンターになっておいた方がいいと思い、とりあえず試験を受けた。
しかし、シャルナークとの交渉で、ひとまずこれからの道は開けた。
だから、合否よりもむしろ、試験が終わったら香恋と離れることになるとか、そういうことの方が重大で、試験官の話をあまり聞いていなかったのもそういうわけだった。
香恋について。
もともと、自分たちは異なる存在であるとは十分すぎるほど理解していた。
けれど、いつまでも自分の味方でいてくれると、そばで笑っていてくれると思っていた。それはエゴだったのだろうか。
帰りたいと願うこと。帰りたくないと願うこと。どちらも、お互いを裏切ってなどいない。自分に正直なだけだ。
悩んでも、彼方も香恋も、それぞれの思いを変える気はない。
覆らない事項によって、決別は確定していた。今はそのカウントダウンをただ待つだけの時間だ。
彼方が失くしたくなくて大切にしていた世界には香恋も含まれていたはずなのに、こんなにも容易く、いなくなる。
どんなに強さを求めても、大切なものだけは掴めない。
喪失感が胸をえぐる。
香恋を失ってまで、『帰る』道を選ぶことは果たして正しいのだろうか。本当に帰れるのだろうか。
あっというまに二ヶ月が過ぎた。もしも遥まで永遠に失ったら――彼方は壊れてしまうかもしれない。
それを防ぐ方法があるとしたら、強くなるしかない。
弱さに打ち勝つために強さがあるのだ。この世界での唯一の、絶対的な存在価値だ。
自分を見失わないように。
そう思って、強く拳を握った。
「それじゃ、最終試験の結果を発表するわね。心して聞くのよ」
紅く彩られた唇が満足そうに弧を描く。
青いドレスの美女の前には、赤、青、白の美しい三輪の花。
彼方は四日目に水底に輝く宝石を見た。
香恋は六日目に円の修行中にオーラの塊を見つけた。宝石花の結晶の部分には、他の部分よりも多いオーラが宿っていたのである。
シャルナークは情報という手段を使って、八日目に宝石花の中でも最も希少だという『白』のありかを突き止めた。
「第285期ハンター試験、合格者三名。
全員念能力者だから、この場で裏ハンター試験の合格も言い渡します」
アーシャがそう言うと、香恋は「やった!」と小さくガッツポーズを作った。
妹を可愛がるように、アーシャはその頭を撫でる。
それから無言の二人に対して、顔を顰めて言った。
「ちょっと、男共! ちゃんと喜ぶなり驚くなり、反応しなさいよ! 裏ハンター試験って何? とかあるでしょう?」
怒鳴り始めた試験官アーシャに、一人は煩わしそうな、一人は面倒そうな視線をやった。
「だって花見つけた時点で合格なんてわかってるし、喜び終わってんだよ」
「裏ハンター試験の存在なんて少し調べれば明らかだしね」
「つまんないわねー。そりゃあ花を見つけたことは評価するけど、もともとこの人数だものね。……合格取り消しにするわよ?」
「無理だね。一度合格したものが覆るわけがない」
シャルナークが冷静にのたまった。
アーシャは豊満な胸を押しつけるように香恋を抱きしめながら、二人をキッと睨んだ。
「ほんっと食えない奴。ライセンス貰ったんだから、あんたたちさっさと帰りなさい」
「合格者への説明は?」
「それこそ自分で調べればー?」
「そういうわけにもいかんじゃろうて」
身勝手なアーシャに、隣で見ていたネテロが苦笑気味に諭した。どうやらこの二人、親戚関係にあるらしいのだ。
だが、アーシャもさすがに会長の意見を無視するわけにはいかないらしく、三人は大した価値もない説明を聞き流す時間を過ごしたのだった。
そして、別れの時は無情に訪れた。
「じゃあ、な」
歯切れの悪い言葉は、『別れたくない』という合図だとわかっていた。
その心の中の叫び声が聞こえていたからこそ、ゆっくりと微笑んだ。
「香恋、彼方ちゃんといて楽しかったよ。楽しかったから、ずっと一緒にいたんだもん。
でも運命の形がちょっと違っちゃったから、もう一緒にはいられないね。……バイバイ」
片翼の少女が手を振る。
運命が違うというなら、それはいつからだったのだろう。
彼方にしてみれば、香恋はどこでも、誰とでもすぐに打ち解けてしまう社交的で明るい少女だった。可愛くて男子にも人気があり、女子は嫉妬さえ出来ない。友達も多かった。
――それでも、それなのにその香恋が一番一緒にいたのは彼方だったというのもよく考えれば変な話だ。学校で一緒に笑っていたとき、すでに香恋の心はそこになかったのだろうか。
最後まで本心を聞き出せなかった。
そう思いかけて、彼方は、自分が『聞かなかった』のだと思い直した。
『中学入学前に一度会っている』というヒントを貰っておきながら。
もしかしたら彼方は怖かったのかもしれない。
ずっと一緒にいた少女が、これ以上、自分の認識と違う存在だと思い知ることが。
いつまでも守ってやる立場でありたかった。
けれど、どっちにしろこの世界にいる限り、過去のことなんて調べようがない。
変わらないことを変えようとすることも、わからないことをわかろうとすることも、無意味に思えた。
ただ、香恋が違う場所で生きていくというなら、「幸せに」と願うだけだった。
「彼方ちゃん。遠くにいても、応援してるからね。どこまでも強くなって」
「――ありがとう」
溢れそうな思いをたった一言に託した。
「もう行くよ」というシャルナークの声で、彼方は背を向ける。
お互いの姿が見えなくなってから、二人はそれぞれ空を仰いだ。
( さよなら、大切な人 )
二人が再び出会うのは、それから優に二年が経った後だった。