19.正体 -- ひとりわかって、わからなくなる

 時間が経つたびに彼方は不安定になっていった。楽勝で進みながら、何度も香恋の名前を口にする。早く会って無事を確認したいようだった。だからだんだん無茶な行動が増えてくる。
 ぶつぶつと呟く姿には関わりたくないので、シャルナークは、20メートルくらい離れてついていく。
 不釣合いだと思った。強いのに、どうしてこんなに脆いのか。

 だんだんと順路がゲームのダンジョンじみてくる中で、例えば『魔王』と称した死刑囚を一瞬で倒してしまったこと。
 まあ、それは人のことを言える立場じゃなかったりするのだが。
 例えば、こんなことがあった。


 天井の高い、四方を絶壁で囲まれた部屋があった。
 遥か高い位置の壁に、出口と思われるトンネルが開いていた。
 床には武器が散らばり、暗号が書かれていた。

 また面倒な部屋に出たものだとシャルナークが思っていると、彼方はおもむろに屈んで自分の足首から何かを外した。足首だけではない。上着を脱いで、肩、腹、腕からそれぞれ何かを外した。

「なにしてんの?」
「このままじゃ無理かもしれないから。でも、外せば跳べる」

 会話が成り立たないのはここ数時間で慣れたものだった。
 理解できないのは彼方が理性じゃなく感情で動いているからだ。また無茶をするつもりなんだろう。
 もしかしたら壁を壊すつもりなのかもしれないと予想を立てる。
 どうにかなるならそれに任せることにして、シャルナークは、隣で準備運動をしている彼方が外した"何か"を拾ってみた。

「錘?」

 それだけなら別に何の変哲もない。
 ただ、特記するなら、ハンター試験中にもかかわらず、ずっと装着していたこととか、今まで散々に力技を繰り広げていたのにそれが限界ではなかったということとか、とにかくその数と各々の重さが常軌を逸していたことだ。

 シャルナークがそれに気を取られている間に、彼方は対面側の壁に待機していた。
 軽く準備運動と伸びをしてから、地面を蹴った。短い助走があり、三度目に床から足が離れたとき、彼は――彼女は速く宙を飛び越えていた。
 上半身にサラシを巻いただけの姿だから、初めて得体が知れた。
 彼女は余裕で目標地点に着地して、こちらに向かって満足そうな笑みを浮かべた。

「どうでもいいけど――どうやって俺を引き上げる気?」

あ。と間抜けな顔をした彼方は、一度紐なしバンジーよろしく飛び降りて、跳躍しなおすこととなった。


 最初からただ者ではないと思ってはいた。見ただけで降伏しなければいけないような危険性はないが、確実に鍛えられた身体は侮れないものがあった。
 強化系に間違いはないが、彼方は単なる怪力馬鹿というには、動きが洗練されていて、綺麗過ぎる。
 戦闘態勢に入ったときは、幻影旅団であるシャルナークさえ、声を掛けるのを躊躇う集中ぶりだ。
 このトリックタワー内で見てきた様々な人外的な技を思い出す。

「まさか、女だったなんて」
「別に男だとも名乗ってないだろ?」
「そうだけどさ」
「俺は女である前に"彼方"だし、"彼方"である前に『天宮』だ」

 またわけのわからないことを言う、と呆れるしかなかった。
 しかし、おそらく嘘の類は言わない人間だ。単に説明が苦手なのだろう。
 『天宮』というのは"蜘蛛"のようになにかの組織なのかもしれないと予想した。そこに彼方の強さの秘密があるのかもしれない。

「彼方は、『天宮』ではどんな立場なの?」
「跡継ぎ」
「女なのに?」
「当主−−俺の父親は強くあることしか要求しなかったから」

 シャルナークはそれまでの彼方の言葉と行動を反芻して、やっと納得した。
 彼方は強い。幼い頃からそれだけを求められてきたから、完璧な戦闘能力を持っている。
 彼方は弱い。肉体の強さしか求められてこなかったから、きっと精神面で。
 きっとそれだけのことだ。強すぎて、弱すぎて、あまりにも極端で、そのギャップがあまりにも大きい。

 それにしても、

「『天宮』、『天宮』、……うーん、やっぱり聞いたことないんだよね」

 彼方の強さを見ていると、弱小組織だとは考えにくい。
 表の世界にも裏の世界にもそれなりに精通しているつもりだが、記憶を総動員しても心当たりはなかった。

「それはそうだろ」

 すると、あっさりと肯定された。 彼方にしてみれば、世界が違うのだから当然のことだったが、シャルナークがそんなことまで知っているはずがない。
 納得のいかないまま、情報を得るために問う。

「ねえ、それってどんな組織?」
「――道場だ」


 しばらくは大したトラップもない穏やかな道が続いた。ゴールが近づいている証のように思えた。
 そして、ついに。

「香恋!」
「彼方ちゃん!」

二人は鉄格子を挟んで、対面を果たしたのだった。

「ちょっと待ってろ、今どうにかするから」
「はいはいストーップ。鉄格子曲げる気? もう目の前なんだし、壁のパズル解くからちょっと待ってて」
「でも」
「彼方ちゃん、香恋は大丈夫だよ?」

 その声を聞いて、シャルナークは一瞬手を止めた。
 一次予選などではなんとも思わなかったが、何時間も囚われていたにしては、あまりに落ち着いた声だった。
 庇護される側に回っておきながら、精神的には彼方よりも断然強いのだ。

「ねえ香恋、なんかキーワードが足りないみたいなんだけど、そっちの道にそれらしいものはなかった?」
「あ、もしかして壁に書いてあった奴ですかね? 『我、罪なくて死』って」
「 冤罪か。うん、よし」

 シャルナークが壁のブロックを最後に押すと、どこかでガチャリと音がして鉄格子が天井に上がっていった。
 隔たりがなくなって、二人の少女たちは抱き合った。
 少し前なら彼方が男だと思っていたから複雑な気分に見舞われただろうが、今はそれがない。

 一人で中に進んで、香恋がそれまでいた環境を確認した。
 薄暗いどころか殆ど光は無く、四方を鉄格子で囲まれている。床は冷たく、孤独を演出する。高い位置の通路は、この部屋に入ってきたときの道だろうか。
 こんなところに何時間もいたら、普通の少女ならきっと平気ではいられない。
 それも、いつ来るとも知れない助けを待って、だ。

 囚われたのが彼方なら、自力で勝手に脱獄していることだろう。
 念能力者ならば、不可能ではない。
 けれど念能力者である香恋が懸命に自分たちを待っていたというのは――、結果として正しかったのかもしれない。常識として、脱獄囚の道のりが楽なはずはないのだから。

「大丈夫だよ! 待ってる間は暇だからね、練とか絶とか円とか流とかの修行してたの」
「それならいいけど、」

 そんな会話を耳にして、可憐な少女は案外に図太いことを知る。
 聡いことは知っていた。コントロールに長けていること、小手先が器用なこと、彼方にはない特長をいくつも持っていること。でも、あくまで補助的な立場だと思っていたのに。

「シャルナークさんも、助けに来てくださってありがとうございました」

 その普遍の微笑みを見た瞬間、衝撃を受けた。疑惑は確信に変わる。
 どうして守られる少女だと思ったのだろう? 瞳には、こんなにも強かな意思が宿っているのに。

 彼方はその存在に気づいていないのだろうか。


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