11.失踪 -- 嘘みたいな真実を垣間見る

 その月曜の午後、遥は彼方の家の門の前に来ていた。

「ったく、なんでCD返せって言った日に限って休むんだよ」

 『部活で使うって言ったのに』『先輩に借りを作ると後が怖い』そんなことをぶつぶつ愚痴る。

 急に学校を休んだ彼方のことを心配している様子は皆無だ。
 彼方は風邪を引いたことがないらしいから病欠なわけがない。
 もしかしたら身内の不幸かもしれないが、十中八九自分勝手に思いついて修行の旅に出かけているのだ。
 なんたって、一ヶ月自主停学して山篭りするくらいだ。
 『いい加減にしろ』『せめて一言くらい言え』『よりによってどうして今日なんだ』と恨み言は募る。

「そういえば土曜に修行がどうとか言ってたな……」

 ふと、そういえば今日休んでいるのは彼方だけでなく、桃桜香恋という女子もだと思い出した。
 隣のクラスだが、姿を見ていない気がする。

「まさか、巻き込んでんじゃないだろうな?」

 だとしたら迷惑な奴だ、桃桜も可哀想に。
 そんなことを考えながら門をくぐると、彼方の家の門下生が遥の姿を見つけて駆け寄ってきた。

「遥さん! あの、彼方様は本日学校にお見えになったでしょうか?」

 たしか一番弟子だと聞いたことがある。
 身長も腰も低いが、立っているだけで動きに隙が無いところは彼方を連想させる。
 彼方を尊敬しているらしく、よく話しかけるらしいが、丁寧すぎるこの口調では鬱陶しがられたことだろう。
 強ければ、嫌われてはいないと思うが。

 遥は言われたことの意図が理解できずに聞き返した。

「来てないっすよ。彼方は修行の旅じゃないんですか?」
「それが、突然お姿が見えなくなりまして」
「家に帰ってねーのか……。俺は彼方が学校休んだから、貸したCDだけ取りに来ただけです。行き先に心当たりは?」
「ございません」
「……まぁ、よくあることですよね」
「たしかに彼方様のお考えになることはいつも私の想像の範疇を超えています。けれど、今回は彼方様の部屋の様子がおかしいんです!」
「部屋?」

 彼方の家というのは無用心で、大きな門も開けっ放しで本邸にも鍵がかかっていない。
 道場にいて留守になるとはいえ 門下生のうろうろする天宮という家の屋敷で盗みなどをする命知らずはいないのだろう。
 遥も彼方に“勝手に入って良い”と言われていた。

「空き巣でも入ったんすか?」
「わかりません。硝子の破片が散らばっていて……」

 半分以上冗談だった発言が否定されなくて遥は少し焦った。
( オイオイ、マジかよ )
 と胸中で呟いて、足早に彼方の部屋に向かった。

「なんだ、これ」

 部屋に入った途端、足元で細かく砕かれた硝子の破片が光った。
 窓は割れていなかった。
 辺り一面に散らばっているそれは中央に置いてあるテーブルを中心としていた。

 不自然なことに、部屋の中の様子にそれ以外の違いはない。
 散らかっているのはいつものことだが、空き巣などが部屋を漁った様子ではない。
 いつもと同じように脱いだ服とか人が貸したものがいろいろと落ちていた。
 彼方の財布も無事だ。
 お目当てのCDは予想通り机の下に埋もれていた。

 硝子の破片と彼方本人がいないことを除けばいつもと何も変わらない。
 日常という空間から彼方を切り取って、硝子の破片を降らせたような光景だ。天井付近からグラスを落とせばこうなるだろうか? こんなに粉々になって、幅広く満遍なく散らばるか?

 遥は硝子を踏まないように恐る恐る部屋に足を踏み入れて、まず自分のCDを手に取った。
 それから訝しげにもう一度部屋の中を見渡すと、ベッドの近くに置いてある小さな鞄に気付く。

 それは明らかに彼方の持ち物ではなかった。色は桃色で、女子が好みそうなデザインだ。
 考える余地もなく、桃桜香恋の所有物だろう。

( 此処にいたのか? )

 そう考えると、玄関に女物の靴があったような気がした。
 と、また不自然な事実に気付く。
 どうしてこの家に、この場に今いないのに、靴が玄関にあるんだ?
 彼方は家に靴を残し、外を裸足で歩いてもおかしくないけど、桃桜はどうして他人の家に靴を置いてけぼりにした?
 財布も置いて、彼方は今、どこにいる?

 遥はテーブルに近づいて硝子の破片を拾った。飛び散り方が平素ではない。
 するとそこには緑色の何かも散らばっていることに気付いた。

( 葉っぱ? )

 摘まれたのが数日前なのか、すでに乾燥している上にバラバラだったが、何か植物の葉であることに間違いはなかった。

( まさか、だよな? )

 嫌な予感がして遥の内側を冷たい汗が流れる。
 金曜の二人の会話を思い出して、背筋が凍った。
 全巻まとめて貸したはずなのに、部屋中に点々としてる『HUNTER×HUNTER』の漫画に目をやる。
 この硝子がコップかなにかの破片だとしたら。
 水を入れて、葉っぱを浮かべていたのだとしたら。

( 水見式っ! )

 思いついてしまって、そんなわけないと自分に言い聞かせるが、じゃあなにがあったんだと聞かれると答えられない。
 金曜日の二人の意味深な会話も蘇り、完全に否定することはできなかった。

( 嘘だろ? いくらアイツが現実離れしてても、次元が違うだろ? )

 落ちていた本を指先でなぞる。
 こんな薄っぺらい、紙の上の世界と現実がどうやったら結びつくんだ?

 ちょうどそのとき、玄関の扉が開く音がした。
 遥は驚いてすぐに向かう。

「貴様」
「あ、お邪魔してます」

 遥は軽く会釈した。
 それは彼方の父親、つまり『天宮』の現当主だった。
 遥は武術に興味がなかったが、彼方や門下生を見ていれば『天宮』の凄さはわかった。
 ちなみに遥は何度も彼方の部屋に出入りしているせいで顔を覚えられている。

「本邸に気配を感じてきてみれば。……彼方はまだ戻らないか」
「いつからいないんですか?」
「土曜日には見た者が居る。それ以来だ。何か知っているか?」

土曜日――それは遥野の中の最も在り得ないケースと辻褄が合った。

「いいえ、俺は貸した物を取りに来ただけなんで。……置手紙とか心当たりとかないんですか?」
「無い。奴には遠出するとき一応の断りを入れるように言ってあるが、守られた例も無い」
「桃桜の家はなんて言ってるんです?」
「確認したが、彼方と同じように土曜から姿を消しているらしい」

 二人でいなくなるなんて駆け落ちのようだが、生憎あの二人にそんな様子は見られない。
 それよりも、彼方が大切な友人に度を超えた迷惑をかけているのは異常だった。彼方は自分のことはどうでもいいと言うが基本的に女子には気遣いを見せる。自分とは違う繊細な生き物だと認識しているらしい。
 事件性や嫌な予感が湧き上がった。

「警察には連絡したんですか?」
「なぜだ?」
「なぜって、捜索願いとか……」
「必要がない」
「心配じゃないんですか?」
「なぜ、心配する必要がある?」

 威圧感のある声でその人は問うた。
 あまりに冷たい言葉に、思わず声を荒げる。

「っ! 二日も行方がわからなくて、連絡もない、部屋の様子がおかしい、関係のない女子も一緒。心配するには充分な材料じゃないのか。彼方は仮にも女で、アンタの娘だろ!?」
「彼方は仮にも女や私の娘である前に、"天宮"の跡取りだ。奴は大抵のことでは死なん。そういう風に育ててきた」

 その発言を聞いて唖然とする。
 普段から彼方が女とあまり認識されていないことは知っていたし、自分も“女子”だと思って一緒にいたわけじゃなかった。
 しかし、彼方が過去をどうやって生きてきたのかを改めて実感させられた。
 一年生の頃「女らしくしろ」と言ったら、彼方が呟いたことを思い出した。

『性別は女だと知られていても、‘女らしい’俺は必要とされなかったんだよなあ』

 そのときは意味がわからなかった。

 彼方に要求されたのは“強さ”だったのだ。
 だから彼女はがむしゃらに身体を鍛え、技を磨き続ける。
 それを手に入れることに努力を惜しまず、それさえ得れば沢山の自由も許されていた。

 彼方は何食わぬ顔をしながら、たまに桃桜の服装を羨ましそうに眺めていた。
 対照的な友人は密かな願望の象徴じゃないか。
 けれど実際の彼方は、両手足に信じられないほど重い手枷足枷をつけ、飾り気はない。
 昔やった片方のピアスだけはつけているようだが。
 とにかく、女として生きることを知らない。強くあろうとするから、甘えることを知らない。
 常に今以上の強さを求めているから、自分を認めることを知らない。
 すべての運命は家と血筋とこの父親に決められたのだ。

 遥はそれ以上彼方の父に向ける言葉が見つからず、埒も明かないので、帰ることにした。
 門の前であの門下生に再び会って、彼方の父に対する愚痴を語った。
 滅茶苦茶な罵声を吐く遥に怒りもせず、彼は言った。

「御当主は彼方様の才能、努力、実力を認められております。女性を迷わず跡取りとするくらいですから。
 だからこそ、己にも彼方様にも厳しく在るのです」

 苦笑いをしながら彼は断言した。
 己の師を信じ、尊敬の念を抱いているらしい。

「だからって、強さが彼方のすべてじゃないだろ!?」
「けれどそれが欠ければ彼方様ではなくなるのも事実です。
 今は信じて待ちましょう。その内ひょっこりと帰ってくるかも知れません」

 静かに諭され、遥は自分があまりにも幼く思えた。
 いろいろと腑に落ちないことはあれど反論できず、ただこう言った。

「彼方が外泊したのは最長何日ですか?」
「山での修行も含むなら一年くらいだと思います」
「無断で、の場合は?」
「五日目くらいで一旦我に返り、焦って連絡を入れられることが多いです。
 だからといってすぐに帰るわけではなく、大体一週間くらいかと」
「今日の時点で連絡が入ってなんだよな?
 じゃあ、一週間を過ぎて連絡がなかったらアンタが警察に連絡してください。どうなるってわけじゃないが、隠しててもしょうがないだろ」

 すると彼は少し険しい顔をした。当主に逆らうことに抵抗があるのだろう。

「全部俺のせいだって言え。俺に脅迫されたと」
「勘弁して下さい。一般人に脅迫されたなんて知れたら破門です。
まったく、彼方様の姿が見えないと思い、部屋のことを聞き出すのも命懸けだったのに」

 彼は溜息を吐いたが、渋々でも了承してくれたらしい。

「大体、桃桜の家だって心配してるんじゃないっすか?」
「香恋さんの家も放任されていますよ」
「……知ってるんすか?」
「ええ、まあ」

 彼は言葉を濁したので詳しい追求はしなかった。
 普段明るい印象しかない女子の家庭環境が複雑かもしれないことに多少の驚きはあるが、関係のないことだ。


 そうして家に帰ったものの、遥はどうしてもとある考えが頭を離れなかった。
 次の日彼方の家にHUNTER×HUNTERの漫画を取りにいって、帰ってからすべて読み直した。
 思えば、この中に世界があるとしたら、それは好戦的な彼方に合った世界じゃないか。
 彼方がいくら強かろうと、現実にそんな人間は滅多にいない。
 彼方はあらゆる無茶をしてまで強さを手に入れようとしていたから、『もしも』があれば、望むだろう。

( もしかしたら有り得るのかもな )

 非現実的でも、生きているんだと、なんとか説明を付けたかった。
 けれど、危険すぎるその世界で大怪我なんかしてないことを願った。


( 嘘だと言ってくれ。笑い飛ばしに来いよ )


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