10.進路 -- 旅立ち

「よわっ!」

 彼方は拳に残る感触の軽さに驚いた。
 対戦相手は場外の壁に背中を打ちつけて気を失っている。
 数箇所骨折を負っているそれは、此処天空闘技場の200階クラスの猛者の一人だった。

 彼方は自分の勝利を確認してリングから下りた。
 どこか腑に落ちない表情をしてぶつぶつ何かを呟いている。

「おいおい、あんだけ自信あり気だったじゃねーか。勝ちすぎて誰も相手してくれないとか言ってたじゃねーか。弱すぎるだろ!」

 連続対戦で二日で200階まで上りつめた彼方は、本人が納得いかないほどあっさりと順調に勝ち星を挙げていた。
 余裕の勝利を嫌って、絶で戦ってみたり隠を試してみたりオーラを飛ばしてみたりしたが、それは逆に相手への不意打ちとなってしまい、そもそもの速さや体術の格が違うせいで勝つのは容易かった。

( 200階クラスっていっても、150階ぐれーの奴らが念を覚えた程度だな。
 寧ろ、どうでもいい念能力に頼りすぎて基礎がなってねえ。
 ヒソカみたいに強い奴が出場するのは漫画だけか)

 一週間以上そこに居座った彼方はそろそろ天空闘技場に見切りをつけていた。

( ちょうど香恋の仕事も終わる頃だし、もういいか。……そういえば、大丈夫かな?)

今頃友人の心配をしてみるが、すぐに打ち切る。

( 考えても仕方ないな。香恋ならどうにかするだろ。まあ、もし香恋が怪我してたら、あいつら殺す)

 一瞬瞳に殺気が過ぎった。
 それに反応して、廊下をすれ違った数人の選手が硬直する。
 何食わぬ顔をして彼方は天空闘技場を後にした。


( そういえばもう二週間か。
 学校や道場はどうなってるんだ? サボり? つーか、俺って家出娘かよ)

 歩きながらふと『あちらの世界』のことを考えてみるが、父親もクラスメートたちも、自分のことなど心配していないだろうと思えた。
 父親は何も言わないだろう。遥は約束を破って返されなかったCDを無断で回収しに来るだろう。
 道場破りの旅に出て一週間帰らなかったことがある。夏休みの最後に山篭りを始めてその後一ヶ月無断欠席したことがある。
 よく考えてみれば彼方にとって二週間は長いようで、そんなに長くなかった。

( あ、でも香恋はヤバいよな )

 実をいうと彼方は香恋の家庭環境を良く知らないのだが、一般的な家庭なら二週間も娘がいなくなって心配しないはずがない。
 あんなに可愛い娘なら尚更だ。

「帰る方法、探したほうがいいのか?」

 彼方は声を出して呟いていた。


 仕事を終えたはずの香恋が次に気付いたときはベッドの中だった。見覚えのない綺麗な天井が見える。
 気だるい体を起こして廊下に出ると、偶然歩いてきたイルミに会った。

「起きたの?」
「はい。もしかして香恋は倒れちゃいましたか?
「うん」
「ご迷惑をおかけしました」
「別に、仕事は終わったからいいよ」
「ありがとうございます」

 香恋がペコリと頭を下げているのを無表情で見て、イルミは質問した。

「そういえば、あの男は?」
「彼方ちゃんのことですか? 天空闘技場に行ったきりですけど」
「天空闘技場か。あれだけ力があれば退屈だと思うけど」
「え?」

呟くように言ったイルミの言葉に、香恋は首を傾げた。

「キルが200階まで上ったのは8歳のときだよ。200階クラスで戦ったわけじゃないけどね」
「……なるほど。じゃあ、もしかしたらそろそろ香恋の仕事が終わった頃だって気付いてくれるかもしれませんね。彼方ちゃんは一つのものに熱中すると周りが見えなくなるけど、退屈するとすぐに飽きるので」

イルミはそれを聞いてへえ、と興味なさそうに相槌を打った。

「じゃあ、迎えに行きたい? それともこの家で少し待ってる?」
「一人で飛行船に乗るのは不安なので、お言葉に甘えたいです」
「親父も俺もお前の能力は認めたからね。その部屋を使いなよ」

 執事の屋敷から解放されるということだ。ありがとうございます、と香恋が再びお礼を言おうとすると、執事の一人が足早に近寄ってきてイルミに告げた。

「あの男が戻ったそうです」


「彼方ちゃん!」
「香恋っ! 大丈夫だったか?」

 大丈夫だよ、と微笑んで香恋はイルミを振り返った。

「イルミさん、お世話になりました。除念の力が必要になったらいつでも呼んでください」
「連絡先は?」
「出来たらお知らせします」

 そして、二人はゾルディック家の敷地を後にした。
 彼方が口を開いた。

「なあ、これからどうする?」
「香恋たちには身分も戸籍もないし、まずはハンター試験受けてみない? ちょうど今は12月らしいの」
「いいぜ。金は結構貯まったと思うし、そうしよう」
「じゃあどこかの街で申し込みして、会場の場所調べて、だね」
「ああ」

 これからの道が決まり、二人は離れていた間の話などに話題を移した。
 ふと、彼方は心の中で呟いた。

( 遥の奴、どうしてるかな……。 )


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