06.始動 -- 始めよう、自分のために

「香恋、大丈夫か?」
「うん。もう痺れも取れてきたよ」

 二人は結局食事を殆ど食べることが出来なかった。
 正確言えば、彼方はあんなことがあった後に食べる気が起こらなかったのだ。
 そういえば昼から何も食べてないが、いろんなことがありすぎたせいで空腹かどうかの自覚が無い。

 与えられた部屋は、適度に狭かった。
 簡素なベッドが二つとトイレに小さなシャワールーム。それ以外は何もない。
 そもそも彼方を男だと思っているなら香恋と同じ部屋にするべきじゃないと思うが、侵入者にはそんな配慮さえ必要ないらしい。
 結果的には彼方は香恋と部屋が同じでよかったと思うのだが。

「なんか、不思議だよな」
「なにが?」
「だって俺たち、昼間は普通に家で修行してたんだぜ?」

 こんな都合のいい世界、あるわけがないと思っていた。
 すべての感触がリアルすぎて、逆に嘘みたいだった。

「うーん……。香恋はなんでかわからないけど、結構冷静に受け止めてるんだよね。
 状況は不利だけど、この家の人たちも意味が無いことはしないと思うし」
「あんなことされておいて?」

 人の食事に薬を混ぜることが意味のあることなのだろうか。

「だって、割り切らなきゃ。信用してもらうためにも、まずは言われたことをするしかないんじゃないかな?
 イルミさんが言ってた『仕事』が終われば、状況も変わるだろうし」
「良くも悪くも、な」
「そう。それまでに『生かしておいて損は無い』って思わせなきゃいけないよね!」

 香恋はあまりに明るく、なんでもないかのように笑うから、彼方は少し怖くなった。
 言うことがシビアだ。この世界に来てから、時折今のように強い瞳を見せていた。
 香恋はこんな人物だっただろうか? 頼もしいが、可愛らしい印象とは相反していた。
 あんな目に合わされたのに、怯えるような素振りは全くといっていいほど見せていない。

 彼方は少し言葉に困った。
 たしかに相変わらず香恋が言っているのは正論だ。
 ただ、何かが心に引っ掛かるだけで。

「彼方ちゃん、明日も朝早いんでしょ? もう寝ようよ」「ああ。そうだな」

 今ベッドに入ったところで、ちゃんと眠れるかわからなかった。
 『畳に布団』派ということもあるが、いっそ野宿のほうがマシに思えた。
 静かな部屋で、普段使わない脳内に、いろんなことがぐるぐると渦巻く。
 けれど確かに身体は休息を求めていた。

 意識が飛んだ記憶はないけれど、彼方は次の日、いつもと同じように早く目覚めた。
 時計が無くとも身体に染み付いた習慣は消えない。
 香恋を起こさないようにベッドから下り、昨日渡された黒いスーツに着替え、仕事へと向かった。

 早朝の空気はやはり冷たくて清々しい。此処は山の上で森の中だから尚更だ。

 広すぎる敷地内の警備。
 仕事は、侵入者を殺す、もしくは敷地内から追い出すこと。それは番犬であるミケと何も変わらなかった。

 けれど思いっきり戦える、修行に打ち込める環境は、彼方にとって罰でも嫌がらせでもなかった。
 念を使わないと勝てないような相手が来ればいい、とさえ思う。

( せっかくこの世界に来たんだ。まずは念の修行が必要だよな。
 絶が出来たくらいで浮かれてちゃ意味がねえ。戦闘で使おうと思ったら堅と硬は完璧にしなきゃな )

 やっとその環境に出会えたのだから、それ以外のことは少し後回しにしたっていい。

( そういえば、香恋はこの世界に飛ばされたのは直接の水見式の結果じゃないって言ってたけど、結局俺の水見式の正しい結果ってなんだ? 系統は?)

 少し考え込んでから、「まあ、強化系か」と呟いた。
 「じゃあ、香恋は?」という疑問に、イルミから『操作系寄りの特質系』と言われていたことを思い出す。
 ふと、そこでオーラの系統分析が頭に浮かんだ。

特質系――個人主義者、カリスマ性有り。

 個人主義者?その言葉に若干違和感を覚える。
 可愛い香恋のイメージと重ねることが出来なかったからだ。

( 結局そんなもんか )

 彼方はそこで思考を打ち切り、両足で地面を踏みしめて練をした。膨大な量のオーラが湧き上がり、そしてその状態を保つ。
 次に、そのオーラを脚に集め、毎朝の日課を行うために地面を蹴って駆け出した。瞬間、あまりの身体の軽さに驚いた。

 凝を使って全開のスピードで走っていることもあるし、今日は足の錘をつけていない。
 けれど、それにしても軽過ぎる。羽が生えたようで、なんだか気持ちが悪かった。

( 『邪魔なもの』がなくなったせいか? 修行用の錘ってこの家にもあるよな? あとで聞いてみるか)

 彼方は手ごたえのない修行が嫌いだ。どうせなら負荷をつけて行いたい。

 ちなみにこのとき、 彼方は気付いていなかったが、イルミを初めとして屋敷内の念を使える者殆どが、知ろうと思えばその位置と動きを把握することが出来た。膨大な彼方のオーラはとても目立つのだ。大声で居場所を宣伝しながら修行しているようなものだった。
 物理的には束縛されていないものの、彼方は確実に危険人物として認識されていた。


 さて、その頃香恋は部屋にいた。
 朝起きたらいなくなっていた彼方を、朝食も食べなかったのかと呆れてみるが、とにかく自分のやるべきことをやろうと思いなおす。

 昨日まで全く無自覚だったが、香恋には除念の才能があるらしい。
 オーラが他人のオーラを消す、ということは他人の念能力を無効にできるということである。

 イルミが出した条件は2週間以内に能力を形にすることと、自分の意志で操れるように技として完成すること。
 それらを満たすには、

「まずはオーラの量を増やさなきゃね」

 お遊びだった今までならかまわなかったけれど、オーラの特質を利用した能力を作るためには、微々たるオーラの量では話にならない。
 彼方ほどとは行かなくても、せめて今の十倍は欲しい。
 他にすべき事も考えるとそう時間は取れないが、この何もない部屋で一日中それだけに集中すれば、効果はある。
 確信は、きっと念能力においての、この世界の居心地よさのせいだ。

 香恋はベッドに腰掛けて練を始めた。
 自分の限界までオーラを引き出し、それを維持し、数分したところで止める。回復するために一分間だけ完璧に絶をし、また練に戻る。
 少しずつ練の時間と量を増やして、黙々と修行は続いた。


 その日の夕食時、彼方は見るからにへとへとになって帰ってきた。はりきりすぎたのだろう。
 香恋は彼方がこんなに疲れている姿を殆ど見たことがなかった。ただし、彼方は口だけは元気だった。

「今日は変なもん入れてねえんだろうな?」
「彼方ちゃん!」
「同じことを二度やるほどこちらも暇ではない」

 事実、香恋の食事には何も入っていなかった。
 けれど彼方の食事には昨日よりも強い薬が入っていた。
 二人は、お互いの様子に変化が見られなかったから安心していたが、彼方は危険要素でしかなく、多少不備が生じてもゾルディックにとって全く損にならなかったのだ。
 そんなことも知らず、彼方は二日分の空腹が急にこみ上げてきて、何回もパンをおかわりして、声には出さなかったが、美味しそうに食べていた。

「そういえば、欲しいもんがあるんだけど」

 沈黙が痛い静かなテーブルで、怖いもの知らずの彼方は言った。

「なんだ。」
「手足につける錘とか枷。折角動いてんのに、身体が軽くてうざったい」
「……いいだろう。言ったからには装着を義務付けるが?」
「上等」

 香恋がひやひやしながら見守る中で彼方は挑戦的に笑った。
 次の日、着替え用の黒いスーツと共に置いてあった囚人のような枷は、とんでもなく重かった。
 それまで彼方がつけていたものとは比べ物にならない。
 しかし、彼方は喜んでそれを装着した。

 一方、同じ夕食の後には香恋が頼み事をしていた。

「今すぐでなくてもいいんですが、指輪が欲しいんです」
「どんなものだ?」

 元々『必要なものがあれば言え』と言っていただけあって、対応は早かった。

「それなりに丈夫で、いつも嵌めていられることが絶対条件です。出来れば軽くて……銀色が良いです」
「わかった。イルミ様に相談して、用意しておこう」

 すぐに承諾されたことに、香恋は満足げに微笑んだ。
 必要があると認識されれば理由も聞かずに承ってくれる。
 こうもはっきりしていると一層楽だ。
 だから大丈夫。頑張ろう。


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