そういえば漫画で見たことがあった。
本邸とは比べ物にならないが、 執事専用にしてはデカイ屋敷。
「ごめんね」
沢山の執事に不審の視線を浴びせられながら行き着いた部屋で、ふいに香恋が呟いた。
大切な決断を一人で決めてしまったことに対する謝罪だ。
「俺は香恋の決断はいつも正しいと思ってる。けど、大丈夫なのか?」
「わかんない。けど、やってみるしかないよ」
「此処で仕事っていうと、殺しの手伝いだろ?」
「うん、わかってる」
香恋が複雑そうに笑うから、彼方はもう何もいえなくなった。
守るべき相手だと思っていても、自分の能力外のことには手が出せない。
「にしても、香恋のオーラが特質だってどうして今まで気付かなかったんだろうな」
「一瞬で見抜いたシルバさんはやっぱり凄いと思う。けど、ね、やっぱり変だよね。
だって彼方ちゃんに触っても、彼方ちゃんのオーラが消えたことなんてなかったもん。
それに、不思議なことは、それだけじゃない」
そう言って、香恋は人差し指をピンと立てた。
彼方が反射的にオーラを眼に集めて視れば、香恋のオーラが綺麗なハートを形作っているのがわかる。
「相変わらず巧いな」
彼方は褒めたが、 香恋は首を振る。
「気付かない? 前よりもオーラを操るのが楽になってること。
まるで、今まで邪魔していたものがなくなったみたいに」
邪魔していたもの? と更に聞き返す代わりに、彼方は自分でも試してみることにした。
まず纏は、意識せずともすでに身に付いている。呼吸をするのと同等に、オーラは彼方の身体に留まり続ける。
――けれど、前のような乱雑さがなかった。
どんなに頑張っても一部は湯気のように空気に溶けてしまっていたオーラが、今はピタッと彼方に貼り付いている。気を抜こうとしても揺るぐ様子はない。
次に絶。 ゆっくりと息を吸って、そして吐いた。
「ほら、彼方ちゃんが完璧に絶してる!」
「……なんでだろうな」
驚きを隠せない。
あれほど苦手だったはずなのに、こんなにも簡単に、ぴたっとオーラを絶つことが出来る。
香恋の『邪魔していたものがなくなった』という表現は的を射ていて、
肩から余計な力が抜けたのか、それとも余計な力が必要なくなったのかわからないが、とにかく突然にコツが掴めた。
「香恋、ずっと考えてたんだけど、この世界は根本的なものがあの世界と違うんじゃないかな?
念は本来、この世界のものでしょ?
あの世界が彼方ちゃんのオーラに耐え切れなくなったから、香恋たちはこの世界に飛ばされたっていう考え方はどう?」
「つまり、水見式の結果で飛ばされたわけじゃないってことか?」
「直接の結果じゃないと思うよ。多分。世界の理(ことわり)が違う故の悲劇、っていうのかな。
あの世界で、例えばグラスに入っている水の量がひとりでに変わるなんてありえないから、ありえる世界に移動させられた、とか。
まあ、一つの仮定でしかないけどね」
別にその仮定が正しかろうと、正しくなかろうと、大した違いはなかった。
飛ばされた理由よりも重要なのはこれからどうするか、だ。
「とにかく、今はやるべきことをやるしかないね。彼方ちゃんだって、折角だもん。強くなりたいでしょ?
この世界は念の修行するのにぴったりだよ。強い人も沢山いるしね」
「そうだな」
頷いてみたものの、彼方はどこか躊躇っていた。不測の事態に対する戸惑いが大きい。
根がまっすぐな分、困難の壁に行き当たると柔軟な対応ができないのだ。
むしろ、そういう場合に無理やり困難の壁を壊してしまえるように強さを求めた。
一方で、香恋はこの状況を楽しんでいるように見えた。どうなるかわからないのに?
疑問には思うけれど、彼方が強くなりたいというのは本当。意見に従わない理由はなかった。
イルミはあのとき、キルアが近くにいることを知っていたのだ。だから、念を使おうとしなかった。
( もっと強くならなきゃな )
彼方がそう誓った、ちょうどそのとき、部屋の扉をノックする音が聞こえ、男の声が「食事だ」と簡潔に告げた。
男に案内された部屋に入ると、大きなテーブルを囲うようにして座っている黒いスーツの執事たちが、二人を見た。 しかし、一瞥するとすぐに自分の食事に戻ってしまった。沈黙が痛い。
( なんだ? この重い空気は。なんで俺たちこんなに嫌われてんだ? )
それから並んだ席を示され、
そこに座ろうとして、彼方は顔を歪めた。
( げ、洋食…… )
執事がこんなでいいのか? と思うほど美味しそうな、高級そうなディナーだった。
テーブルの上にはナイフとフォークがずらりと並んでいる。
彼方の家は純和風で、ゆえに洋食のテーブルマナーが苦手だった。
香恋はそんな彼方を気遣いつつ、黙って席に着くと「頂きます」と一言声をかけて食事を始めた。
彼方も香恋に習い、香恋の真似をしながら、食事を進めた。
五分ほど経つと、急に香恋の様子がおかしくなった。
ナイフとフォークを手に持ったまま、動かなくなってしまったのだ。
ついには零れ落ちるように二つを落としてしまった。
本人さえも目を見開いている。
「香恋、どうした?」
「わかん、ない……身体が動かなく……」
香恋は震えていた。身体を動かそうとしているみたいだ。
彼方が手を伸ばそうとすると
「ほう、男の方には効かないか」
ひどく冷たい呟きが耳に届いた。
彼方は振り返って叫ぶ。
「香恋に何しやがった!?」
「食事に薬を混ぜた。ただの痺れ薬だ。二時間もすれば完全に効果は切れる。
言っておくがお前の食事にも含まれている」
その言葉に彼方は驚くが、すぐに抗議する。
「どういうことだ!? どうしてそんなことをする必要がある」
「これは当然だ。イルミ様はお前たちを客人だとは仰らなかった。
いくら貴重な念能力で役に立つ可能性があるとしても、所詮は侵入者。警戒するのは義務だ。
現に、お前にはこの程度の毒が効かないことがわかった」
「だからって……!」
「いいの、彼方ちゃん、大丈夫」
辛うじて動く唇で、香恋はしっかりと言った。
「香恋!」
「これくらいは覚悟しなきゃ。やるべきことをやるっていうのはそういうことだよ、彼方ちゃん」
「ほう、女の方は馬鹿ではないようだな」
「こンの野郎っ!」
彼方は再びきつく男を睨み付けた。
この男だけではない。きっとこの部屋にいる全員が二人を面白く思っていないのだ。
「明日から、お前たちは自分の『やるべきこと』をするんだな。
彼方とか言ったか? お前は俺たちと同じように働いてもらう。敷地内の警備だ。もちろん、不審な動きがあれば女の命はない。
女、お前はイルミ様に言われたように除念の修行をしろ。必要なものがあれば言え。ある程度自由にして構わない」
香恋の方が条件が緩かったが、その分、結果を要求される。
それをわかった上で香恋はしっかりと返事をしたから、彼方は舌打ちをした。
早くも波乱の予感だ。