03.印象 -- 突然現れたふたり

 キルアは木の上に寝そべっていた。

 太い枝の上にゲームやお菓子などが散らかっている。
 下から見えない程度に高く、葉の茂った大木のこの位置は案外広くて頑丈で過ごしやすい。秘密基地のようなものだった。

 キルアは退屈していた。
 先週買ったゲームはクリアしてしまったし、今日やるべきことも終わった。
 兄イルミが外出しているおかげで、地獄のような修行も少なかったのだ。
 執事たちはそれぞれに仕事が決まっている上、頭の固い人間ばかりだ。
 退屈だからって、下手なことをいって勉強でもさせられたら最悪だ。

 彼の日常は暗殺の仕事と、拷問のような修行、そして稀に訪れる退屈の三つからなっていた。
 友達と遊び盛りのこの年頃にしてはあまりに特殊な環境だ。
 しかし、普通じゃないことは理解しているが、キルアは他にどうすればいいのかわからない。

 暗殺一家、ゾルディックの名は、期待に目を輝かせる母親は、才能は、日々の修行は、仕事は。
 重い鎖で確実に彼を縛りつけ、蝕んでいた。

 キルアはいっそ昼寝でもしようかと、あくびをして目を閉じた。
 眠くはないがさわさわと森が揺れる音がする。


 パリィィン!


 突如、何かが弾けたような大きな音がした。
 まるでガラスのコップが内側から割れたような音が。
 そして、何かが ダンッ、と地面に落ちた。
 それはキルアの真下だった。

 キルアは飛び起きて、警戒しながら下を覗く。
 そこには、さっきまでいなかったはずの二人組が倒れていた。
 キルアは驚きに目を見開いた。その瞬間まで全く気配を感じなかったからだ。

 その二人は男女のようだが、侵入者にしては何かがおかしかった。
 女を庇うようにして倒れている男。
 雨なんて降っていないのに、二人はバケツの水をかけられたみたいにびしょ濡れだ。
 男も、明らかにか弱そうな女の方にも武器を所持している様子は見られない。
 それどころか女の服装は動くことを前提としていなそうな桃色のワンピースだった。
足元は、男が裸足、女はスリッパだった。
 目立つ怪我をしている様子はないし、誰かに追われているようでもなさそうだ。
 なら何故、倒れているのか。此処にいるのか。 判断できなかった。

 わからないものには近寄るな。 キルアは幼い頃から兄、イルミにそう教えられてきた。
 だから多少の好奇心と息を潜めて、二人の様子を伺っていた。

 「いたぁ……あれ、ここは?」

 すると、女の方が目覚めてしまった。
 キルアはその声に場との不釣合いさを感じた。
 少女は暫く辺りを見回したあと、隣に倒れている男に気付いた。

 「彼方ちゃん、彼方ちゃん!」

 必死で声をかけている。外傷がないので、すぐに目覚めるだろうと思っていると、案の定、男も目覚めた。

「香恋?」
「彼方ちゃん! ああ、よかった!!」
「ええと、何から訊ねるべきだ?」

 男は、その女と同じように周囲を見渡して呟いた。

「うーん、香恋に言われても……」
「俺たちはなんで此処にいるんだ?」
「ええと……」

「もしかして、この状況は俺のせいか?」

 男は急に深刻そうな顔をして、水見式の、とかグラスが割れた、とかわけのわからないことを捲くし立てた。
 女は静かにそれを受け止めていた。

「わかんないよ。だって『この状況』もわかんない。でも今は、この力が本物だったってことだけで十分だと思うんだ。あとはこれから考えよ? ね?」

女が微笑むと男は目を優しくして そうだな、と笑った。

 刹那、遥か遠くから何かの気配が、物凄いスピードでこちらに近づいてくるのがわかった。
 執事か、仕事帰りのイルミかのどちらかだろうとキルアは思う。

 咄嗟に男は臨戦態勢を取り、その方向を睨みつけた。女は守られるように男の後ろに下がる。
 それは、イルミは姿を現すと同時に、背後から男に手刀を喰らわせた。

「っ……!」
「チッ、」

 男はほぼ反射的にそれを避け(イルミは此処で舌打ちをした)、と同時に肘を使い、回し蹴りを喰らわせた。あのイルミに、だ。キルアは驚きで目が離せない。男はそのまま怒涛の攻撃を喰らわせる。避けながらイルミも合間合間に反撃する。

 男の頬に赤い線が走った辺りから、段々目で追えなくなってきた。それほど二人は速く、強いのだ。
 武器を持っているイルミが有利かと思いきや、男の、一瞬見えた横顔は笑っていた。まるで、戦いを楽しんでいるみたいだった。

 男を取り巻く空気の感じが変わった。イルミが放つようなあの嫌な感じ……禍々しい何かが男を中心に渦巻いていた。
 イルミは驚いたように一瞬停止し、そして素早く距離を取った。しかし男は地面を蹴り、左手をフェイントにして右手で思いきり……

「 彼方 ち ゃ ん 、 止 め てぇ ! ! 」

 忘れられていた、女の叫び声に、思わず男は停止する。そして振り向いて、女を見た。

「なんだ、どうしたんだよ」
「どうしたじゃないよ! 彼方ちゃんはどうしてそう、すぐに喧嘩を始めちゃうかなぁ!?」
「おいおい、少なくとも今のは正当防衛だろ?」
「嘘、楽しんでたでしょ。過剰防衛だよ。後先考えないで、状況が悪くなったらどうするの?」
「状況って……」

そんな会話をしている男の背後に回ったイルミは、あっさりと男の腕を掴み、三本の針をこめかみにつきたてた。

「お前たちは何者? 突然現れたように感じたけど」
「お前こそ何者、だ!」

 男はイルミの腹に蹴りを入れて拘束から抜け出した。イルミは、軽く吹っ飛んだ。

「彼方ちゃん!」
「うわ……ワリィ」

 思わず謝るが、謝って済むなら警察は要らない。
 しかしイルミはあっさり立ち上がって、キルアのいる木の上に向かって叫んだ。

「キル、いるんでしょ? 下りてきてそっちの女を拘束して」

 キルアは ばれてたのか と少し焦る。
 しかしどうしようもないので、わかったよ、と返事をして下に降りた。
 侵入者の二人は、驚いてキルアを見た。

「香恋、これはどういうことだ?」
「香恋もわかんないよ。でも、つまり……そういうことみたいだね」

 また二人は意味のわからない会話をしている。
 イルミも、それを訝しげに見る。
 キルアは命じられた通り女の腕を掴んで人差し指の爪をその首筋に当てた。人体操作したその爪は、ナイフよりよく切れる。
 香恋は息を呑んだが、抵抗する様子はなかった。
 キルアはキルアで、その腕の、首筋の細さに驚いた。とてもゾルディックに侵入してくるような人間とは思えない。

「香恋!!」
「大丈夫だよ、彼方ちゃん」

 女は殺されるかもしれない状況で、男に声をかけた。男の方が慌てているようだった。 イルミは「お前がおとなしくしてればその女も怪我しないよ」と言った。
 すると男は急に黙って、了承した。イルミは腕を掴んで男を拘束する。
 女がおずおずと聞いた。

「あの、香恋は香恋といいます。そっちは彼方ちゃんです。あなたたちのお名前は?」
「俺はイルミ。こっちはキルアだけど、それが?」
「いや、なんでもないです」
「……まあ、いいや。キル、こいつらを親父のところに連れていくから、手伝って」
「了解」

イルミは男、彼方の腕を掴んだまま歩き始める。キルアたちも後に続いた。
香恋は首に刃を当てられていたが、不思議なくらい抵抗しなかった。
けれどキルアは、その腕がかすかに震えていることに気付いた。


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