02.切掛 -- 事件の始まり

 時は、土曜日の午後。
 場所は、とある由緒正しい立派な和風の屋敷。
 敷地内の巨大な道場(名門、天宮流)の方向からは、気合の入った門下生の声が聴こえる。

 けれど、そんなことはお構いなしに静かな本宅の裏庭に、二人はいた。

 一人は彼方、天宮流の跡取り娘だ。
 両足には相変わらず自身の体重より重い錘をそれぞれつけていて、現在は右手の人差し指の先だけで身体を支えていた。

 もう一人はまさに花のような少女で、醸しだす雰囲気は彼方と対極だ。
 彼方がラフな黒いジャージ姿であるのに対して、 香恋は小さなバッグを手にし、「これからデートです。」といった可愛らしい桃色のワンピースを着て縁側に腰掛けていた。
 香恋は彼方の方をじっと見つめて淡々とカウントしながら指示を出す。

「2076、2077、2078、……あ! 今ちょっと乱れたよ。集中して!」
「してる、よ! (だから話しかけるな!)」
「でもほら、言ってる側から『絶』が解けちゃってる」
「うわっ……あーあ」

 一気に崩れた集中。彼方は苦い顔をした。
 そしてたん、と逆立ちしていた足を下ろす。足元は土だが、構わず裸足だ。

 現在、二人は修行の真っ最中で、正しくは香恋が彼方の修行に付き合っていた。
 香恋が役に立つのか? ――答えは是。

 彼方は単純で不器用で、一つのことに執着するタイプ。
 香恋は器用になんでもこなす、意外と曲者。

 体術でも喧嘩でもない、念の修行だからこそ、必要な才能は強さだけではない。
 彼方がやっと纏をマスターした頃、香恋は完璧に凝を操っていた。
 そして絶で躓く彼方に、香恋が助け舟を出した。
 修行を頼んだ当の彼方は昨日まで忘れていたようだが……。

 ちなみに可愛い見た目に反して香恋は、意外と厳しかった。

 (指一本で)逆立ちしながら完璧に絶、というこの修行も香恋の指示だ。香恋本人はそれを凝で見張っていた。
 彼方にしてみれば、元々苦手な絶である。オーラを抑えるだけで精一杯だというのに、余計な作業が加わる。
 まあ、それ自体は障害だと思っていないようだが。

「うーん、絶って一番簡単だと思うんだけどなぁ……。なんで出来ないんだろう?」
「バカ。元々流れてるオーラを無理矢理止めるなんて、簡単なわけないだろ?」

 ゆらゆらゆらゆら、波のようにオーラを揺らしながら、なんとか30分ほど耐えてみたものの、一向に上達の気配は見えない。道のりは果てしなく遠そうだ。

「む……香恋、バカじゃないもん。それに、オーラは『止める』んじゃなくて『絶つ』んだってば」
「変わんねえよ」
「変わるよ! 彼方ちゃんはオーラをオーラで押さえつけようとしてるの。蛇口を締めるみたいに、元を締めるんだよ」

 何度聞かされたかわからない話を受ける。
 オーラは身体から出てるわけだから、身体に蛇口はない。
 不可能だと思うけど、香恋は出来てしまっている。

 面倒になって、彼方は話を逸らす。

「大体なあ、折角苦労して纏が出来るようになったのに、今度はそのオーラを消すなんて効率が悪い」
「纏は出来たし、練なんか彼方ちゃんは大得意なんだから、絶だって出来るよ!」
「根拠がない。だって練はオーラの量増やすだけだし、絶とは正反対だ」
「屁理屈ばっかり。そう言って、香恋の何十倍もオーラ練っちゃうよね」

 そう、彼方は、絶や長い集中が苦手な代わりに、瞬間的にオーラを練り上げる[練]は天才的に得意だった。

 湧き上がるのは、香恋が真似しようとすれば気絶してしまいそうな量のオーラ。
 単純にオーラを練り上げているだけでそう。やってみたというだけで全力でもないだろうから底が知れない。
 もし悪意や殺意が混ざったら? 技として完成されたら? 脅威としかいいようがない。

 才能の違いという奴だろうかと、香恋は冷や汗をかいて思った。
 香恋は絶も凝も使いこなすことができるが、それはどれだけ自慢になることなのかわからない。
 不器用でも、小手先の技が必要のないほどパワーがある彼方は、間違いなく自分と正反対の位置にいる。


 まあ、二人は極端なほどに得手不得手がはっきりしているだけで、
 一般から見れば 両 方 凄 い のだか。

 うーん、と香恋が唸る。

「やっぱり彼方ちゃんは強化系(単純で一途)だよね」
「……まあ、否定はしないけど」
「放出系(短気で大雑把)も捨てがたいけど、うん。強化系!」
「香恋、それ結構俺に失礼だからな?」
「だって、本当だもん」

 彼方は一途だと思う。
 強さだけを求め続ける孤高の狼。
 けっして自分に妥協せず、熱く冷たい闘志を胸に秘めているから。
 ついでに単純馬鹿という言葉が浮かんだのは内緒だ。

「じゃあ、香恋は……、操作系(理屈屋、マイペース)かな?」
「操作系かあ……」
「変化系(気紛れで嘘つき)っぽい雰囲気あるけど、違うだろ」
「香恋は嘘つきじゃないもんね」
「んでも、逆にどれにも当てはまんない気もする」
「……難しいね」

 二人は首を傾げて、それから同時に微笑んだ。

「でも遥は絶対具現化系(神経質)だよな」
「うん。絶対具現化系だね!」

何の事情も聞かされぬまま、一方的に噂をされる遥はなんと哀れなことか。
影口に似た見解を共有しあっていると、ふいに彼方が提案した。

「なあ水見式、やってみようぜ」
「あれ? 『絶をマスターするまで楽しみは取っておく!』 って言ったの彼方ちゃんだけど……まあいいか。うん、やろう!」

 香恋は指摘が意味をなさないだろうことを知って、諦めた。周囲が見えない性格なのだ。
 そして二人は彼方の部屋に移動した。


 ――ところで、

 今更だが、二人は念能力の修行をしている。
 青い空の下、二人はゆっくりと念を起こしていた。

 念能力とは、彼方 が遥に借りた『HUNTER×HUNTER』という少年漫画に登場する、いわば特殊能力だ。
 常人なら垂れ流しになっているという生命エネルギー(オーラ)を、自在に操り、様々な力を得る技術である。

 しかしそれはあくまで漫画の中の話。
 実際に修行してみようなんて無謀な提案をするのは彼方くらいだ。

 そもそも戦闘モノの典型的な少年漫画は彼方の性に合っている。
 幼い頃から厳しい訓練を受け、武術を身につけ、強さを求めてきたせいでもある。
 香恋は予想できない展開や、魅力的なキャラクターに惹かれていった。

 ――それは果たして憧れだったのだろうか。
 ――強くなりたいという願望の表れだったのだろうか。
 ――それとも何かの運命だったのか。

 なあ、俺らにもオーラが巡ってんのかな。

 単行本を途中まで読んだところで、彼方は呟いた。
 そして、そんな小さな戯言を、この二人はそれだけで終わらせず、本当に会得してしまった。

 幼い頃から染み付いた武の教えに、どこか念と通じるものがあったらしい。
 そういえば彼方の身体能力は常人ではありえなかった。
 オーラを意識した瞑想を繰り返せば、いつしか自分から何かが溢れていることに気がついた。
 その微弱なオーラをゆっくりと眼に集中させれば、湯気のような存在を視覚できた。
 その微弱なオーラを拳に留めて突きを繰り出せば、数倍の破壊力を得た。

 それからは早かった。日に日に、オーラの存在が明確になる。

 念の存在。
 それこそが強さに飢えた彼方にとって、現在の唯一の希望だった。
 だからこそたまの休日返上で修行しているのだ。

 閑話休題。



 ――二人は彼方の部屋に移動した。
 相変わらず物が少ないくせに乱雑な部屋だ。

 すでに慣れている香恋は今更片付けようとは思わないが、せめて月曜日に返すらしい遥のCDくらい見つけておいてあげようかと思った。
 そのとき、彼方が台所から飲み物とお菓子類、それに水の入ったグラスと葉っぱのセットを二つ持ってきた。水見式の道具である。

「じゃ、俺が先な」
「うん」

 当然。というような言い草に理不尽を感じても不思議はないが、香恋は反対する理由もなく微笑んだ。
 瞳が順序はどうでもいいと語る。

 水見式には興味はあったし、重要なことだった。
 自分の系統がわかる。でも、それだけじゃない。
 なぜなら水見式で結果が出れば、何か変化が現れれば、確かな念の存在の証明になるから。

 ――この身体に宿るオーラは本物か。
 ――自分たちが習得したのは本当に念なのか。

 そんな不安を抱くときがあった。
 だって所詮紙の上のフィクションから得た知識。
 身体に起こる変化のすべては感覚的な物で、証明できるのは二人しかいない。
 だからこそ秘密みたいで楽しくはあるけれど、遊び感覚でも、時々緩やかな闇に包まれる。

 本来ありえない力だから、疑ってかかるのも無理はない。
 二人はそこまで悲観的ではなかったし、できることならなりたくなかったため、暗黙の了解で決してお互いその不安を口にしなかった。
 だからこそ知らない間に胸にふつふつと浮かび上がっては沈んで、溜まっていったのかもしれない。


 机の上を綺麗に片付けて、グラスだけを真ん中に置いた。
 その前で彼方は緊張したように呼吸を整える。
 いざとなると複雑な心境が渦巻いていた。

 だから彼方はさっさと練の集中に入った。
 淀みないオーラが溢れ、グラスに集まる。

 ――やっぱり練はいい。絶みたいに面倒じゃなくて。力任せが性に合っている。全身の流れに次々とオーラを上乗せする。

 いつも以上に良い出来だ、と彼方は感じたし香恋も思った。
 緊張しているわりに、彼方のオーラは酷く落ち着いている。
 しかしそんな風に思えたのは最初の数秒だけだった。

 なぜなら、彼方のオーラを一身に受けているはずのグラスは、静寂を保っていたからだ。
 平たく言えば、何も変化を起こさなかったのだ。
 何故、と疑問が駆ける。

 水見式は水や葉っぱに現れる変化によって自分の念の系統を知るもの。
 ピタッと動かないソレに、二人は焦りと苛立ちを覚えた。

「あ、でも待って! 変化系だったら味が変わるだけだから眼には見えないんだよね」

 香恋は必死に、わりと理に適ったフォローを述べたが、それが大した意味を成さないことも知っていた。

−−彼方は変化系の特徴と一致しない。

 そう、二人の中で彼方はあくまで強化系であり、あとはまぁ放出系か特質系。
 水見式はその確認作業みたいなものだ。
 嘘つきで気紛れ、なんて言って彼方を思い浮かべる人はまずいない。
 オーラの系統分析はあくまで血液型占いと同じようなものだと理解していたが、それでも正反対な結果を受け入れるのは難しかった。

 ならなんで。どうして。

 彼方の不安と苛立ちが限界に達した。
 この力はなんだ? これまでの修行はなんだったんだよ。

 修行が辛かったとはいわないが、無駄な努力と知らされて笑っていられるほど心が広いわけでもない。惨めなだけだ。
 彼方は強くなりたいのだ。
 虚無感はなんとも居心地が悪かった。

 悲しみは憎しみに近い殺意。
 今までよりも更にオーラを練り上げた。
 コントロールが下手なくせに凄まじいオーラ総量を持つ彼方によって、部屋中に濃いオーラが充満した。
 渦巻くオーラに香恋は、これで何も起こらなかったら嘘だ。と思った。


 一瞬、水が揺れた。


 いや、歪んだ。
 まるで苦しんでいるみたいに。
 何かに耐えているみたいに。

 彼方の、莫大なオーラに。

 嫌な予感がした。
 尋常じゃない、何かが起こる。

 「彼方ちゃ……」

 香恋が制止の声をかけようとして、彼方の集中が、その淀みなかったオーラが乱れたとき、形容しがたい音と共に、何かが割れて、弾けた。

「香恋!」

思わず必死に手を伸ばした。
けれど−−手遅れか、と 嫌な呟きが脳裏をよぎった。


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