33.風に乗って海を越え、どこまでも行けたとしても、君がいなければ意味がない。


十二時の鐘と共に、レナは光の粒となって砕け散った。
悲痛の表情で泣きながら笑顔を作って、感謝だけを唱え、
降り注ぐこともなく虚空にかき消えた。

あっけにとられ、崩折れたくなるような絶望に襲われた。
思い返すと、レナの言動はまるで永遠の別れのように不気味だった。
昼間、レナがついに"明日が来る"と意味ありげに言っていたのを思い出す。

前世において無意識集合体にかけたギアスの効力が切れたのだとしたら――レナは、元の世界に帰ったのだろうか。
死せずこちらに来た彼女には、帰るべき場所がある。
いつか夢から醒める日が来るかもしれないと聞いたことがある。
レナは帰ることを、わかっていたのか? それであの言動か?

認識が追いつくと共に、じわじわと怒りが湧いてきた。

「"幸せになってくれてありがとう"? ふざけるなよ……」

地を這うような声で呟く。
全身全霊で尽くしておいて、感謝されるべきがどちらかくらい判れ。
"自己満足の自己犠牲なんて許さない"なんて言ったくせに、幸せになれと告げて、最後まで自分を押し殺して往った。
そのことが、どうしようもなく腹立たしい。
返しようのない借りを、途方もない恩を、彼女はただ献じた物だというのだろうか。

――レナのいる食卓はあたたかかった。
ナナリーとロロと咲世子とレナに迎えられると、帰ってきたのだと心から思えた。
以前俺は、ナナリーを守ろうとして、ナナリーに縋りついていたのだろう。
寂しそうな顔、不安げな顔をたくさんさせた。
今、伸び伸びと健やかに過ごしているナナリーを見て、こんなふうに笑うのかと意外に思える。
お日様のような笑顔は、この環境だからこそ生まれたのだ。

ロロは「兄を頼る弟」ではなく「姉を敬愛する弟」であり、「ナナリーを守る騎士」だった。
一足先に男としての自覚が芽生えたらしい。
レナはC.C.とも咲世子とも親しく、うまくやる。
各々の事情を垣根とせず、レナが食卓を一つの家庭のように繋いだ。
離れていてさえ、そんな影響力だった。

『ルルーシュ』

レナは心底大切そうに俺の名前を呼ぶ。
それがゼロでも、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアでも、ルルーシュ・ランペルージでも、ただ俺を示す記号として、まるで、かけがえのない存在であるというように。
どんなに苦しくても縋ってくることはなく、ただ、支えてくれた。それがどれがけ大きな存在か。

俺は異世界から古戸玲奈という存在を借りていただけだと、わかっている。
けれど、自分本位にすべてを望んでいいのだと言ったのはレナだ。
何も取りこぼさず手に入れると言ったのに、お前が消えたら意味ないだろう。

俺に「何も失うな」と言ったお前が、俺から"古戸玲奈"を奪うことを赦さない。

まだ感謝を、伝えていない。
あんなに泣きそうな顔をして往くな。帰ってこい。





怒りに似た感情のまま、"それ"を行うための資料を漁っていると、騒がしかったのか、ナナリーが起き出してきた。咲世子とC.C.も一緒だ。
事情を説明し、そして、誰もレナ・ファルトンのことを覚えていないのだと知った。
慌ててロロを叩き起こし、ジェレミアやスザクに連絡を取ったが同じことだった。

ナナリーもC.C.もロロも、ジェレミアもスザクもロイドもカレンも、彼女の両親でさえ、レナ・ファルトンの存在を知らないと言う。

――「どなたのことですか?」
――「誰だ、それは」
――「僕に姉はいませんよ」
――「申し訳ありませんが……」
――「知らないな」
――「記録にもないみたいだねぇ」
――「そんな子、いないよ」
――「うちに娘は……」

レナは、痕跡ごと消えてしまった。
まるで別世界に迷い込んだようだった。

また時空を移動したというわけではなく、反逆の結果は残っている。
レナと作り上げた幸せが。
ナナリーがいる。スザクがいる。C.C.がいる。ユフィがいる。シャーリーがいる。ジェレミアがいる。ロイドがいる。ロロがいる。ミレイがいる。リヴァルがいる。兄上も、姉上もいる。
けれど、レナがいない。
これを誰かがハッピーエンドと名付けても、エンドロールにはまだ早い。

はじまりのとき、俺だけがレナを知らなかった。
今、世界中で俺だけがレナを覚えている。
それなら今度は、俺が求めよう。

――仕付け糸は、本来の役目よりも目覚ましく働いた。
傷つくことを厭わず、細やかな縫い目で、本縫いの近くを辿った。
それ故に、完全に回収されるはずだったその痕跡は、少なからず残ってしまった。

ガラスの靴は、彼の中に。





一つだけ思い当たる方法があった。
玲奈を呼び寄せたのが無意識集合体の作用だとしたら、同じ"願い"を叶えられるはずだ。
ラグナレクの接続の準備して、無意識集合体にギアスをかけ直せばいい。
皮肉にも父上が犯そうとした過ちと同じ方法だが、いずれコードの消滅は願うつもりだった。

Cの世界に干渉するには神殿を掌握し、全世界に君臨する必要がある。
悪逆皇帝のようにギアスをフル活用し、すぐに各国を支配下に置く事も考えたが、ナナリーに諌されて頭が冷えた。

「今までの努力を台無しにする気ですか!? 見損ないました!
お兄様はなんのために世界を変えようとしたんですか? 幸せになるため、ですよね。一緒に」

……だいぶ冷えた。
たしかに、築いた物を壊すことは、レナの努力を無駄にすることだ。
時間はかかるが、"幸せ"を保った世界に呼び寄せることにする。

誰もレナを覚えていないため、目的を話しても周囲の理解を得るのにまず労を要した。
ゼロとして、合衆国連合のCEOとして各国と条約を締結し、各地の神殿を管理下に置いて警備隊を駐在させ、準備を整えるのには3年もかかってしまった。

ラグナレクの接続には二つのコードが必要だ。V.V.を説得するのには苦労した。
接続自体は失敗させ、無意識集合体に対してコード――不老不死の消滅をも願う。
C.C.を世界に取り残さないためにと、ずっと考えていた案でもあった。
禍々しい無意識集合体を睨めつけ、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる。

「――コードだけが消滅し、あいつがこの手を取れる明日を寄越せ!」

幕はまだ、おろさない。
最後に笑うなら、君と一緒に。


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