32.また夢の中で、君の笑顔に泣く


目が覚めると自分の部屋だった。古戸玲奈の。
頭がぼうっとする。
すべて、夢だったんだろうか。
終わってしまったんだろうか。
理解したくないのに、頬が温く濡れた。

疑問なのは、なぜ私は"消えた"のか、ということ。
古戸玲奈としての意識が元の世界に戻るのはわかるとして、
レナ・ファルトンがあの世界の住人なら、身体は残るのが正常……に思える。

それとも前提が間違っていたのか。
私は何か勘違いをしていたんだろうか?

出会ったとき、ルルーシュはレナを知らなかった。
ルルーシュの元いた世界には存在しない人間だった。
だから、ルルーシュの"明日"には存在しえないものだった?

てっきり、レナ・ファルトンという好都合な器の存在する世界に、
私とルルーシュが呼び寄せられたんだと思っていた。

でもそうじゃなくて、もしかしたら逆だったのかもしれない。
まずルルーシュの元いた世界にごく近しい世界があり、付け加えられたのはレナのほう。
身体も経歴も、レナ・ファルトンは寄せ集めのパッチワークだったんだ。
古戸玲奈という中身が異世界から招かれたように、その外身もまた、別の並行世界から取り寄せられて、ルルーシュの世界に付け加えられたものだった。
そう考えれば、一応筋は通る。
私がストンと理解できてしまったあたり、これは正解なのだろう。

喩えるなら私は、ルルーシュの「前世と同じ」と「前世と違う」を結んで繋ぎとめて間を埋める、太くも細くもない糸だった。
運命を覆すにはわずかな不確定要素、役割の与えられていないキャラクターが必要で、運命を仕付けるための糸くずを、どこかから拾ってきただけの話。
天秤を傾けるための石ころ。不自然な存在。並行世界の象徴。

ルルーシュには明日が来て、運命に縫い目がついたから、
仮縫いの仕付け糸は、役目を終えればただのゴミ。細切れられて抜き取られる宿命だ。
ゲームのバランスを取るための小石は、ゲームが終われば取り除かれる。
バネのような修正力に、ついに弾き出された。

精神だけでなく、経歴や身体もそれぞれ元の世界に還ったのなら、
あの世界の人たちはもう誰も私のことを覚えていないかもしれない。
出逢ったとき、ルルーシュがレナ・ファルトンを知らなかったように、すべて元に戻るのかもしれない。

私はキャッシュメモリのようなものだったんだ。作業が終われば消えてしまうような。
世界は更新されて保存されたけれど、そのハードディスクに私の情報は含まれていない。

なんてあっけない。
ルルーシュの幸せ以外、何も望んでいないつもりだったけれど。
望み通り、ルルーシュが明日を手に入れるための踏み台になれたけど。
それが叶って、終わった後は、どうすればいい?





学校を休むのも一週間が限度で、望んでもいないのに朝は来る。
現実に背を押され、恐ろしいほど正常に、何事もなかったかのように、日々は回る。
元通りの生活に戻っただけなのに、まるでネジが抜け落ちたように空虚だった。
糸の切れた操り人形が自由なはずない。
「自分のため」なんて私には無価値なのに、ひたすら動機のない日常をこなした。

英語の読み書きができるレナの残滓によって、私の妄想ではなかったことは証明できた。
もちろん誰に伝えるでもなく、何を言われても黙秘した。

まるで別人になったような気分だった。
別人として、もう一人の自分の身体を乗っ取ってこき使っていたんだった。
胡蝶の夢を見る前、何を思って生きていたのか忘れてしまった。
自分が誰なのかわからないような違和感を、「そんなことはどうでもいい」と笑い飛ばせなくなった。
行動の支柱を失って、精神はぐらぐらに傾いていた。

奇跡に満ちた体験だったのだから、それを糧にしてより良く生きればいい。そんなことができれば理想的なんだけど、記憶が美しい想い出になるにはまだ年月が必要だった。
簡単に切り替えるにはあまりにも強烈で鮮烈な体験だ。
"時間が解決する"なんて結果論が、無力に刺さる。

まるで"余生"のようだった。
彼の存在はあまりにも大きくて、支えることで支えられていた。
心血を注いだ、命を賭した、骨の髄まで一途だった、あの日々。
叶うなら、一生を捧げたかった。
私の心はあの日に置いてきたのだ。

出逢わなければよかったなんて言わない。
ルルーシュに逢えたこと。共に過ごしたこと。彼を手伝えたこと。彼の幸福を見届けたこと。
すべて生涯に誇り咲く誉れだ。
ただあの日、あの瞬間、千載一遇の幸せのままいっそ死んでしまえばよかった。
時間を止めて二度と目覚めなければよかったのに。

言ってみただけ、思ってしまうだけ。
ほんの少しの駄々。ifの話。
誰もが抱えている平凡な浅ましさ。

今ならぼろぼろに朽ち果てようと、自己中心の感情に振り回されてどれだけ嘆き悲しんでも、ルルーシュの幸せを疎外することはない。
苦悩する自由だけがここにある。

アニメのパッケージを見ても、声を聞いても、違うの。
彼の髪の柔らかさを、血の通った皮膚を、私は見てきたの。
あの眼差し。横顔。私の名を呼ぶ声。偶像でないあの人を。
魔王様に、さよならは言えない。

忘れゆくのが嫌で、記憶を書き記すことにした。
ルルーシュの一挙一動、一言一句、覚えていたくて。
覚えていることはなんでも書いた。
向こうでの機密事項もこちらでは痛い妄想にすぎないから遠慮はいらない。

出会って、変わった。
向けてくれる表情が増えた。たしかに心を許してくれた。
想い出を辿るほど視界が滲んで、手が止まったときに零れた。

今頃ルルーシュは何をしているだろうか。
誰と一緒にいて、何に笑って、何に喜ぶ?
誰を選んで、これからどんな道を歩む?
もう知ることができない。次のページを。

これはハッピーエンドなのだと大声で言えて、彼の幸せを手放しで喜べる自分でありたかったのに。胸が張り裂けそうに寂しい。

逢いたい。
もっと傍にいたかった。
声に出しても、誰も叶えてくれない。

二度と更新されることのない宝石のような日々が、せめて色褪せぬように、抱いて眠った。


瞼の裏で、きらきらひかる。


 top 

- ナノ -