17.その笑顔のためなら、何だって引き換えにできる


貧血に襲われて踞った。
呻きながら神経をかき混ぜられるような感覚に耐える。

以前、体は強いほうだったんだけど、
ギアスキャンセラーの被験体を引き受けてからはたびたびこういうことがある。
撫で回され這いずられ、謎の機械につけられ、異物を埋め込まれ、
電気を流され、拷問のようなことをされれば、そりゃあ食欲は失せる。
一瞬目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったり、手足が動かなくなったり痺れがしばらく取れなかったりと、危険と隣り合わせだった。

それでも、食事と睡眠はできるだけ確保するようにしている。
同情を買ったり恩を売ったり、
ルルーシュに申し訳ないと思わせるために被験を引き受けたんじゃない。
短期的な決戦ならともかく、長期を戦うなら体は資本。体調管理は義務だ。
いざというとき使い物にならないのも、反応が鈍るのも困る。

私は遊びでやっているわけじゃないんだ。
やることが増えても、日常的に4時間半は眠るように、6時間以上眠らないようにしている。
喉を通らないなら液体など食べやすい形を無理やり流し込む。
量を受け付けないなら少量ずつでも回数を増やして、必要な栄養を摂取するよう心がけている。食事だって戦いだ。

被験の頻度は以前よりかなり少なくなっているのだが、
一度壊れた健康は直ちには戻ってくれないらしい。
障害といえるほどの障害ではないから、言わなきゃわからない程度なのが救いかな。
わざわざルルーシュに伝えるつもりもない。

ちなみに被験の頻度が少なくなったのは、
私の体に負担がかかりすぎたとか、
スザクという新たな任務が出来て忙しいからというだけではない。

研究者たちはギアスによって自発的な判断をセーブされている。
丁寧に扱うようにとは命令されているが、疲労の機微までは考慮してくれない。

単純に、最終段階になって、望まれる数値が出なくなっているのだ。
これなら発現するはず、というのがうまくいかない。
理論上これで完璧なはずなのに、私の体質に合わないらしく、発現しない。
――私はギアスキャンセラーの不適合者かもしれない。

ジェレミア卿が改造実験から偶然発現させた、科学の奇跡。
手術すれば誰でも100%取得できる種類のものではないというらしい。
体格、体質に向き不向きがあるとわかっただけで、私が被験体になった価値はあったと思う。
研究はかなり良い線までいっているので、
今被験者を引き継いでもらっても、それほど拘束時間に支障は出ないだろう。

……悔しくないといえば、嘘になる。

被験体として最後まで貢献したかった。
最初、ギアスキャンセラーを持つのは私じゃなくていい と思っていたし、了承して自ら被験体を引き受けたのだけど、
実験に協力しているうちに、いずれギアスキャンセラーを発現できるかもしれないという微かな希望を持ってしまっていた。

もしもギアスキャンセラーを得ることができたら、
ギアスからルルーシュを守る盾になれたのに。

……まぁ、でも、無いものは無い。しかたない。
私は私にできることをするしかない。

ルルーシュが大衆を動かす秘訣は飴と鞭だ。
都合の良い餌を提示する一方で、他の道を選ばせないようにする。
合理的かつ打算的に結果に結びつける。
傲慢なほどの態度がカリスマ的で、表舞台が映える。まさに天賦の才だ。

一方で、ルルーシュには他人の内面の本質を変える気がないというところがある。
変えてはいけないと思っているのかもしれないし、
変わらないと見切っているのかもしれない。
理解できない相手には理解を求めない。許さない相手に許しを乞わない。
生まれと器量に裏付けされた気高さでもある。
優秀すぎて、人に何かを期待するよりも自分でやったほうが早く、
一つにこだわらなくても他の手段を見つけることができてしまう。

私は非効率的な泥臭い方法で、人の心にしがみつこうとしている。
分野が違うのなら、小指の爪ほどでも補うことができるかもしれない。
そのためには人の心だって歪めてしまいたい。

ルルーシュは親しい人の心はできるだけ操らないようにしているが、
私はルルーシュ以外のすべてを踏みにじったっていいと思っている。
この世界でルルーシュと私の選ぶ道は、決してスザクの求める"正しい手段"じゃない。
ギアスでクロヴィス殿下を傀儡にしている状態が"正しい"わけはないだろう。
相容れないといってもいいのを、それをどうにかこちらに巻き込ませなきゃいけない。

いずれスザクの気持ちを変えることができたなら、
その罪はギアスとどちらが重いだろう。
超能力でない代わりに、未来知識は活用している。

ルルーシュの協力もあってスザクは生徒会に入り、校内での地位も向上した。
私との関係は以前のまま。好意的な態度でこまめに連絡を取り、信頼を得て、都合のいい情報を提供し、ときには偶然に見せかけたり別人を装ったり別の方面から手を回し、導いている。
今も私を理解者・相談相手と認識してくれているようで、だんだん具体的な話もできるようになってきた。
偽りの共謀者ってところだろうか。

同じことはカレンにもいえる。
カレンの場合はゼロであるルルーシュからも指示できるので、そちらのほうがメインだ。
"友達"として、いつも彼女の心をたしかめている。

ああ、また目眩だ。
少し疲れが出ているみたいだし、いつもより早めだけど、そろそろ寝よう。
明日のスケジュールと分岐つき台本はもうできているから問題ない。

そう決めて、ベッドに腰掛け、窓を向いて両手の指を組む。

「明日も私は、あらゆる欲や、あらゆる情や、
恐怖や、怠惰や、身体反射に負けず、自分に甘えず、
ただルルーシュが"幸せな明日"を迎えるため、
片時も無駄にせず、尽力することを、私に誓います」

これは日課になっている自戒の儀式だ。
私が自分で決めて毎晩行っている行為で、忠誠を高めることで幸せな気持ちでよく眠れる。
安心安眠のおまじないでもあり、
私の願いを骨の髄まで無意識の領域まで滲み込ませるためのものでもある。
自分を洗脳するつもりで、支配するつもりで、掌握するつもりで、言葉を噛み締める。

矢面に立たないとき、口ではなんとでも言える。
いざというときに使えない小娘にならないように、臥薪嘗胆しておく。
大事なものを失ってから、凡庸さを言い訳にしたくない。
私のすべては私のものであり、すべてはルルーシュのためにある。
これから何が起きようとも、それだけは揺るがない事実だ。

兜ノ章 fin.


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