「ところで、なんで自分は名前しか名乗らなかったのに、僕のことは姓で呼ぶんだ?」
「え、イガサキって名前じゃないの?」

きょとんとすると、きょとんと返されてしまった。
どうやらファーストネームとファミリーネームの順序が逆らしい。

「じゃあ、マゴヘイ?」
「ああ。よろしく、紫苑」

あらためて自己紹介を終わらせてから、私は持ってきた荷物をひっくり返す。

「ところで、ちょっと手伝ってもらいたいんだけど」
「なんだ?」
「入学に必要な書類と契約書渡されたんだけど、読み書きしてほしいの」
「……お前、文字が読めないのか」

マゴヘイは同情的に私を見た。
そんな目を向けられても、家は裕福だったし、ちゃんとした教育も受けていた。
ただ、言語が違うというだけの問題で。

「っていうか、カナと漢字が読めない。
私が普段使ってたのはハンター文字とアルファベットだったから」
「ふうん…よくわからないが、授業受けるのに苦労しそうだな」
「そうなんだよね。教科書も渡されたけど、読めないもん」
「よく忍術学園に編入する気になったな」
「面白そうだったから」

それに、実技の授業だったら後れを取らないと思うのだ。
実家以外の世界を知るのも必要だろう。
するとマゴヘイは少し考え込んで、こう提案した。

「話は出来るんだし、漢字はともかく、仮名はすぐに覚えられるだろう」
「ほんと?」
「ああ、ちょっと待ってろ」

そう言って、白い紙と筆とスズリを持ってきて、机に並べた。

「カキゾメするの?」
「書初めは新年にするものだ。仮名を書くんだよ」
「もしかして文字を教えてくれるの?」
「夕食までに時間があるからな」

マゴヘイは筆をとって、『 あ い う え お 』と、次々に文字を記していく。
邪魔をしないでいるジュンコと目が合った。
私は、素朴な疑問を口にした。

「ところでさあ、なんでペンとか鉛筆じゃなくて筆なの? マゴヘイの趣味?」
「ペンって?」

スズリに向かったまま、マゴヘイは真顔で言った。
……そろそろカルチャーショックにもほどがあるんだけど。

カナ文字の表の順番は、ハンター文字と同じだった。
たしかに少しは覚えやすい。列ごとでも何の関連性もない形をしていたのが不満だけれど。マゴヘイに書いてもらったこの表は大切にして、持ち歩こう。

「それにしても、なんだ、この契約書は」

仮名の横にハンター文字でルビを振っていると、
――思ったよりも筆って扱いが難しい。
孫兵は私の書類を見て顔をしかめた。

「なんて書いてあるの?」
「許可なく武器に触れたり、学園長の庵に近づくことを禁ずる。
目上を敬い、先生方、特に学園長の命(めい)には絶対に従うこと。
何か問題を起こしたり重要事項に反した場合は即謹慎や停学の措置を取る、とか…」
「ん。妥当なところじゃない?」

それだけしても私に悪意があれば、止めることは不可能だ。
ちょっとふざけすぎたせいで警戒されすぎたことを反省する。
どうあっても我が儘はきいてもらうつもりだったけれど、
それが叶ったんだから、あとはいい子にしておいてあげるのに。

戒律は気をつけれさえすれば、日常生活には支障がないだろう。
それくらいのハンディは性別の差と一緒だ。
偽りはするけれど、集団に馴染むことを目標にする。

「お前は何者なんだ?」
「ごく普通の子だよ!」

私が笑うと、マゴヘイは胡散臭そうに眉を寄せたが、それ以上追及してこなかった。

「とにかく、ここに必要事項を書くから」
「あ、私、名前は自分で書けるよ。入門表書くときに、サクベーが教えてくれたの」
「富松と知り合いか?」
「山の中で会ったの。サクベーと、サンノスケ。学園に連れてきてくれたんだ」
「そうか、迷子の捜索してたんだったな」

マゴヘイが納得したので、サンノスケの迷子は学年中に有名なようだ。

「ところで、マゴヘイの名前は漢字で書くとどうなるの?」
「こういう字だ。子孫の『孫』に、兵法の『兵』」

カナ文字の表とは別の紙に、『伊賀崎孫兵』と綺麗な文字が綴られる。
私は感嘆しながら、やはり脇にハンター文字でルビを振った。
この紙もしばらく取っておこう。ついでに『富松作兵衛』『次屋三之助』という字も教えてもらった。
私は姓を聞かれて、ゾルディックと名乗ったけれど、どうやら聞き取るのも困難なようだ。残念。
まあ、ゾルディックなんて名は背負わないほうが楽なのだけど。

「紫苑は南蛮から来たのか?」
「ナンバンって、さっきから何度も言われるけどわかんない。
そうなのかなぁ。遠いところから来たことに間違いはないんだけど」
「自分でわからないのか……話を聞いてる限り、きっとそうなんだろう」
「そっか、了解」

今度から、聞かれたらそう答えよう。


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