弐拾壱
紫苑が一年は組で授業を受けるとき、三治郎に頼ることが少なくなった。
特に、放課後に僕らの長屋まで来るなんてことは。
作法委員会はもともと活動が少ないけれど、参加してるときも僕と話すことはない。
顔色一つ変えないが、近寄るのを衝突を避けているようだ。

そりゃあそうだろう。
これだけあからさまな悪意を見せているのだから。
紫苑は誰にでも気安いけれど、善人ではない。
嫌われてまで仲良くしようとはしない。

* * *

「兵ちゃんはさぁ、紫苑先輩の何がそんなに気に入らないの」
「人を嫌いになるのに理由なんていらないでしょ」

廊下の仕掛けを改造しながら、何気ないふうに三治郎が聞いた。
これと言って正当な理由があるわけじゃないので、説明するのが煩わしかった。

「でもさ、それにしても過剰反応しすぎじゃない?
僕が言うのもなんだけど、悪い先輩じゃないよ。
年上だからって気取らないし、努力家だし、優しいし」

は組の中で一番彼と親しいのが三治郎だろう。だから教えようとしてくれる。
でも、僕だってそんなことは――。


* * *

彼は二つ年上の編入生で、
忍術の素人なだけでなく、文字も読めない変わり者だ。

一年は組に混ざって授業を受け始めたけれど、
僕は別に率先して部外者と打ち解けるほど心が広くないから、遠巻きに見ていただけだった。

ただし、三治郎が委員会の先輩に彼の世話を頼まれているらしく、
それで、放課後に新しいカラクリを作る約束がダメになった。
先約を潰されてイライラしたから、当て付けにカラクリ部屋に落とした。
苛めのつもりだった。後で先生に怒られるかもしれない、とは思った。

しかし罠が発動しているのはわかるのに悲鳴はいっこうに聞こえてこなかった。
まさか気を失っているんじゃ…と心配になって、様子見に行った。
ごとごとく罠の発動しきった地下で、彼は制服一つ乱さずにへらっと笑った。

「これ兵太夫が作ったの? すごいね、面白かった!」

その無邪気な笑顔に、かっと胸が熱くなった。
安い賞賛が欲しかったわけじゃない。それは褒め言葉なんかじゃない。
イライラして、大水の仕掛けの紐を引いた。

それが始まり。

彼は、泣きも怒りもしない、傷つかない、変わらない、影響を受け付けない。
風のようにしなやかで強靭だ。
僕の悪意などは痛くも痒くもないと、云う。
それは嘲笑よりも遥かに悔しくて、屈辱的だった。
醜い感情が込み上げて、世界が歪んだ。

* * *

こうやって彼の通る場所にカラクリを仕掛け続けているのは、いい実験台だからだ。
運動神経は認めるが、素人にことごとく避けられたのではプライドにかかわる。
些細な嫌がらせを続けて何が変わるのかと聞かれても、わからない。

「ようするに泣かしたいんだよ。それだけ」

心をぐちゃぐちゃに掻き乱したいと思う。
それは、焦燥に近かった。
自分を保っていられなくなりそうな、煮えたぎった感情。
素通りできない引力に心を乱されているのは自分だと、認めたくなかった。

三治郎はため息をついた。

「兵ちゃんって好き嫌い激しいよね」
「知ってる」

今までの人生で一番嫌いな相手だと思う。
うーん、と 三治郎は解せない様子で困ったように唸った。
それでも罠作りには協力してくれるのだから、いい友達だ。


* * *

(だから、兵ちゃんは"好き嫌いが激しい"んだってば)

(ようするに相手にしてほしいだけなんだと思うけど)

(まぁ、いいや)


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