拾捌
「どうも、こないだぶりです」
「ああ。忍務にはよく出るのか?」
「学費の代わりなんですよ」
「そうか」

それだけ言って、先輩は黙った。
忍務の行き帰りは暇だったから、ぽつぽつと会話を交わしたのだ。
それで、だいたいの自己紹介は済んでしまった。
先輩は六年生だし、忍務であったことを口外したりしない。
そしてそれは、部屋から人の気配が遠ざかるのを待っていたのだった。

「紫苑」

手招きをされたので傍の寄ると、ふいに手を引かれ、抱きしめられる。
仙蔵センパイの腕におさまって、一瞬何が起きたのかわからなかった。
殺気もなにもなく、むしろ慣れたような動作は優しかったから、いっそう混乱する。
褒められているわけでも同情されているわけでもない、よねぇ?

「え、なに?」
「やはりな」

先輩は一つ頷いて、私を解放した。
そして断言する。

「お前、女だろう」

ご名答。どうやらそれを確かめるためだったらしい。
サラシを巻いたりして男装しているとはいえ、いつか誰かに気づかれるだろうとは思っていたから、
それが六年生で、優秀な仙蔵センパイだったというのは納得である。
普通のハグだから、セクハラとも言い難い。

「わかりやすいですか?」
「いや、文次郎は完全に勘違いしていた。奴は同室の女顔をイヤというほど見ているからな。
注意しなければ、抱きついたってわからないかもしれない。今のところは『私だからこそ』気づいたというわけだ」
「黙っといてくれません?」

こんなところでゲームオーバーは、嫌だ。

「何故男装してるんだ?」
「男子クラスのほうが面白そうだからですよ」
「……そんな理由か」
「人生を楽しくするって大切なことでしょう」
「それは、同感だ」

先輩はニヒルな笑みを浮かべた。
あらためて見ても綺麗な人だ。こういうのは麗しいっていうのかな。
兄貴を思い出す。ブタくんじゃないほう。
そして、先輩はようやく私の質問に答えてくれた。

「私がこんなに面白いことを人に言いふらすと思うか?」
「さすが仙蔵センパイ!」

小さくガッツポーズをして、勢いでもう一度先輩に抱きつく。
まだ此処にいられることに安心した。
同時に、この秘密は綱渡りのようなものだと思い知る。
頭をぽんぽんと撫でられると、一抹の不安を慰めてもらっているみたいだった。
男装ってもっと工夫したほうがいいのかなぁ。シナ先生に相談してみようかなぁ。
仙蔵センパイも、アドバイスをくれたりするだろうか。

「立花先輩になにしてるんだよ!」

振り向くと、水色に井桁模様の制服の二人組。
生首のフィギュアと、化粧道具を持っている。
もう帰ってきちゃったのか。早いなぁ。

楽観していると、べりっと先輩から引き剥がされた。
触るな!ということらしい。
最初に抱きしめたのは仙蔵センパイなんだけどなぁ。
『お兄ちゃん』に甘えたような気分に浸っていたのはたしかだけど。

「こらこら、紫苑はお前たちにとって先輩なんだから、そんな口の利き方はないだろう」
「だってコイツ…!」
「こいつ?」
「っ、なんでもありません」

兵太夫はそっぽを向いて、どかっと腰を下ろす。
なんというか、すごく気まずい雰囲気だ。
仙蔵センパイを見ると、楽しんでる…というか、楽しそうに見守っている。

「ただいま戻りましたー」

次に障子を開けたのは藤内だった。
室内を見渡して、なんかありました?と問う。
仙蔵センパイはなんでもないと返した。
藤内に続いて入ってきたのが、紫の制服の先輩だった。
四年生だ。こうして見ると、作法って顔が綺麗な人が多いなぁ。
華やいでるって感じ。

「おやまぁ、例の編入生?」
「紫苑です。よろしく」
「ふうん」

頷かれただけで、自己紹介を返されたりはしなかった。
藤内が『綾部先輩』、仙蔵センパイが『喜八郎』と呼んでいたから、
……多分喜八郎のほうが名前、つまり『綾部喜八郎』の順番だ。
仙蔵センパイが、あらためて私を呼ぶ。

「紫苑、作法に入れ」
「ヤです」

とんでもない命令だった。
いや、どう考えても無理でしょ。これだけ一年生と気まずいんだよ?
当然、一年生も不満を漏らす。曰く、「なんでこんな人を」。
『奴』から『人』に昇格されていた。建前だろう。
さらりと、喜八郎センパイはのたまう。

「新入委員ですか? 僕は賛成ですよ」
「そうだろう。お前が勧誘してたタカ丸さんは火薬にとられたからな」
「髪結いが作法に来たら面白いと思ったんですけどねぇ」
「まあ、そうじゃなくても個人的に髪結いしてもらってるだろう?」
「そうですけど」

ああ、なんだか上級生の間で話がまとまっていく。

「なぁ、藤内」
「え、いや俺は紫苑が嫌なら別に…」
「ほら藤内もこう言ってるじゃないか」
「えええっ!」

なんという横暴。
常識的な藤内は、しっかりと反論する。

「それに作法委員は各クラスに一人で」
「それくらい融通が利くさ」

むしろ利かせる、というふうに聞こえた。仙蔵センパイなら出来てしまいそうだ。
ちなみにじゃあ何故見学に来た?と言われるかもしれないが、
私は単純に好奇心だし、藤内は私の頼みを聞き入れてくれただけだ。
いりませんよ!と必死で説得しようとする一年生には一言、「委員長命令だ」と。

私はたしかに拒絶の意志を示したつもりなんだけど、おかしいな。
わざわざ空気をギクシャクさせるために委員会に入るなんて、
より楽しく過ごすという私のモットーに反するのに。

すると、仙蔵センパイは再び私を手招いて、耳元で囁いた。
ぞくりとするような甘い声だった。

「秘密、なんだろう?」

妖艶なまでの笑い声が耳を侵す。
私は明確に弱みを握られてしまったというわけだ。
その秘密をどう料理するかは、仙蔵センパイの気分次第。

「私は味方にしておいたほうがいいぞ」

継いで、どこかで聞いたことのあるような台詞を低く甘く囁かれ、私はついに観念した。


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