拾弐
早朝だったので医務室には誰もおらず、
わざわざ呼んでくるまでもないだろう、説明が面倒だし…ということで、勝手に治療した。
こういうのは気持ちの問題だ。

朝食を取ってから、学園長に忍務の報告をし、
私は契約どおりの条件で学園に編入が認められた。
帰ってくるのが想定よりも早かったらしく、今日は授業に出なくていいと言われた。
そんな配慮いらないと反論すると、文字の練習をたんまり宿題に出されてしまった。
一二年生の教科書に目を通しておけだとか、予習しておけだとか……。
必要だとは思うけど、私は勉強が嫌いだ。

うんざりしながら部屋に帰った。すると、孫兵も戻っていた。
制服から私服に着替えていたので、どこか出かけるのだろうか。

「どこ行くの」
「実習で町に。紫苑は?」
「今日は部屋で字の勉強と予習してろだって」
「そうか。お前に欠けていることだもんな」

私もついてく!と、駄々を捏ねたいところだが、子供っぽいと思われるのがイヤでやめておいた。
実家では我が儘放題だった私も、同学年に対してはちょっと居直る。失望されるのはイヤだから。
孫兵は、なにか考え込んでいた。

「どうかした?」
「いや、ジュンコには留守番してもらおうと思ったんだが…」
「いけないの?」
「お前と二人きりにするのは心配だろう」

それは一体どっちのことが"心配"なのか、
少し気になるところだけれど、大丈夫だよ、と私は笑った。

「孫兵が叱ったんだからジュンコはもうしないって!」
「だが……」
「もう、ジュンコを信じてないの?」

誘導するように問えば、案の定 孫兵はそんなわけないと否定した。
私に大丈夫なのかと尋ねるけれど、私の答えはいつだって変わらない。

「ほらほら、実習に遅れるんじゃないの? 帰ってきたら勉強教えてね!」
「……わかった」

孫兵は心配そうに私たちを交互に見ながら、授業へと向かった。
私は彼に手を振って見送り、ジュンコを見やる。
数日前はちゃんと仲良くしてくれたっていうのに、
一度私の本性に触れ、発せられた警戒が解けることはない。

部屋の中に入り、私は机に向かうけれど、ジュンコは離れた場所でとぐろを巻いている。
朝食を抜かれて不機嫌なのかもしれない。
しかたなく、しなければいけない勉強を始めた。
一年生の教科書を開く。ひらがなは多めだったけれど、それでも知らない漢字ばかりだ。
辞書を引いて、読みを見て、たまに五十音の表でひらがなの音も確認しながら、解読していく。
文字に馴染みがない上に内容にも馴染みがないのだから救えない。
10ページ頑張ったところで、私は力尽きて後ろに倒れた。

「うあー、もう無理! 休憩!」

誰に見張られているというわけじゃないのに、よくやったと思うよ私は。うん。
だっていくら留年してもかまわないと思っていても、授業がまったくわからないのは寂しいでしょう。
ちょっとくらい足掻いてみよう、と思うくらいはするのだ。

倒れ込んで、少し顎を上げるとジュンコと眼が合った。
私はへらっと微笑んでみる。
警戒されている、けれど、どこか困惑しているような、そんな感じがした。

「ねえ、私は噛まれてあげたじゃない。それって仕返し終了ってことにならない?」

私は独り言のようにジュンコに話しかける。

「私は怒らなかったでしょう。
孫兵が危険だから守らなきゃ、敵を排除しなきゃって思ったのかもしれないけど、
私が孫兵に危害を加えるわけはないよ」

「むしろ…孫兵の敵は私の敵。共同戦線っていうのかな、
そういう意味では味方だと思わない? ね?」

ジュンコは無防備な私に近づいた。互いに何をするわけではない。
指を伸ばしても、孫兵の言いつけを守って噛むことを嫌がっていた。

「私が邪悪なモノなのは、そういう性分だから仕方ないけれど、
それだけでしか人を判断できないほど、お前は心の狭い蛇ではないでしょう?」

できる限りに優しい声を心がけて、語った。
頭を撫でようとすると、するりと逃げられてしまって、
かと思うと私の腹の上に乗った。くすぐったい。
ジュンコが頭を下げて、頭で私の胸の上を指す。

「うん、そうだよ。実は私は女だ。
孫兵や他の生徒にも内緒だけどね」

誠意を持って語るなら嘘はやめよう、と思った。
バレてしまったものはバレてしまったんだから仕方ない。
正直に答えると、ジュンコは私の首を舐めた。

「うわっ、ちょ、くすぐったい!」

けらけらと声を上げて笑う。
ジュンコは私から降りた。

「許してくれるの? お前は本当に賢いね」


実習を終えて帰ってきた孫兵が見たのは、仲良く昼寝する私とジュンコだったとか。


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