拾壱
――朝起きると隣に紫苑が寝ていた。帰ってたのか。布団を敷いておいてよかったな。
晩かっただろうから、もう少し寝かせておいてやろう。

肌寒い季節だというのに、自分がうっすらと寝汗をかいていることに気づいた。
内容は覚えていないが、魘されていたような気がする。

ジュンコを見ると、珍しいことにまだ眠っていた。
いつもは僕より早起きなのに、何か様子がおかしい。
具合が悪いのかと思って、慌てて駆け寄る。
声をかけて揺り動かすと、体が跳ねて、パチリとその眼が明いた。
病気というわけではないようなのでほっとする。

ジュンコはきょろきょろとあたりを見回して、眠っている紫苑に近づいた。
ちょうどむこうに寝返りを打ち、艶のある黒髪がさらりと滑ったところだった。
彼女は、あろうことか、その白い首筋に毒牙を立てて噛み付いた。



「ジュンコ!?」



鋭い痛みと、孫兵の声で眼が覚めた。
晩かった代わりに集中的な睡眠を取ろうとして、熟睡していたから、急に起こされると頭痛がする。

寝ぼけたまま、その長い胴体に手を伸ばしていた。
殺さなかっただけ褒めてほしいと思う。噛まれた傷は浅いが、痛みは鋭かった。
必死な孫兵の顔を見て、背景に部屋があって、ジュンコがいて、状況がわかる。

まあ、こうなるかもしれないってわかってて、この部屋に帰ってきたのは私なんだから仕方ない。
しかも意地でも休みたかったから、警戒などしていなかった。
孫兵の隣で、せっかく敷いてもらった布団で、安眠したかったのだ。それがどれだけ心地いいことか。

「紫苑!」

すぐにジュンコは引き剥がされた。
痛いけど、耐えられないほどじゃないし、さっきの仕返しをされたと思えば、痛み分けだ。
孫兵が慌てている分、私は落ち着いていた。

「おはよ、孫兵」
「そんな場合じゃない。ジュンコが噛んだんだ」
「うんわかって、」
「動かないでくれ」

る と、言おうとした。
その前に、孫兵は寝ている私の頭に手を当てて、顔を近づけて、
ジュンコに噛まれた首筋のあたりに唇を寄せ、きつく吸い上げた。

「ん……! ちょ、なにしてんの!?」
「毒抜きだ。ジュンコは毒蛇だから」
「いい! そんなのいいから!」

いくら男のふりをしていても私は女なわけで、この状況はさすがにマズイ。
首筋に生ぬるい息がかかる。髪が頬に触れる。妙な刺激が走る。
救命用の人工呼吸のようなものだとわかっていても、顔から火が出そうだった。
孫兵には言い忘れていたが、私には毒が効かないのだ。
そんなことお構いなしに、孫兵の力は思ったよりも強く、
動揺している私は力加減ができなそうで怖かった。
突き飛ばして怪我でもさせるわけにはいかず、わめくことしかできない。

「いいってば…!」
「――いいわけ、ないだろっ!」

叫んだ孫兵が泣きそうな気がして、思わず私は抵抗をやめた。
羞恥など一瞬で吹き飛んだ。

「孫兵……?」
「ジュンコを飼っているのは僕の責任だ。なにもせず黙って見てろっていうのか。
人は噛まないように教えたはずなんだが……すまない」

謝罪しながらも、抵抗をやめた私に孫兵は再び同じことをした。
それから毒の混ざった血を吐き出して、口を拭った。

解放されたので、私も身を起こし、乱れた夜着を直した。
それにしても寝るときでも念のためにサラシを巻いておいてよかった。
苦しいのでかなり緩めてあるが、あるのとないのとでは大違いだ。
孫兵は私の体の違和感など気にしている余裕はなかったと思うけれど。

「……ジュンコが噛んだのも無理はないと思うんだよね」
「もしかしてジュンコになにかしたのか?」
「ううん、なにもしてない」

ぼそっと呟いたのが聞こえてしまって、孫兵が眉を寄せた。
さらりと、ほぼ無意識で言葉を嘘にすり替えた。
私が悪かったことにして、孫兵に嫌われるのは避けたい。

たしかに手は出していないが、気絶させるほど鋭い殺気を放った。
ジュンコの防衛本能を責めることはできない。

首の辺りに触れると指に血が付いた。
溢れているというほどではないので、太い血管は傷つけなかったのだろう。
青い痣ができるかもしれないが……その前に、鬱血して赤くなっていた。

「体に痺れは?」
「ないよ」
「じゃあ念のため医務室に行こう」
「えー、大丈夫だよ。私は平気」
「のんきなことを言うな。怖くないのか? 噛まれたんだぞ」
「だって孫兵が冷静に対処してくれてるじゃない」

ここまで心配されておいて、今更毒が効かないだなんて種明かしは興ざめだと思い、しばらく隠しておくことにした。
痛いものは痛いけど、人よりも痛みに耐性があるから、納得できる痛みなら耐えられる。

「ねえ、孫兵はジュンコに噛まれたこと、ある?」
「あるよ。昔は何度も」
「そっかぁ」

孫兵はそれでもジュンコと一緒にいるのだから、私もこのままこの部屋にいたっていいでしょう?
首筋を押さえながら、ジュンコを見る。睨まれたけど、私は蛙じゃない。

「ジュンコは多分嫉妬したんだよ、孫兵を盗られると思って」

テキトーなことを言うと、「そうなのか?」と孫兵は表情を動かしてジュンコを見る。
困り果てて不安げだった顔が、少し緩んだ。愛蛇家だなあ。
そうそう、と頷いたら、孫兵は納得したらしく、私のほうを向いて、床に手をついた。

「頼む、ジュンコを許してやってくれ」
「そうだな……じゃあ躾として、朝ごはんの量を減らしてね」
「う、……わかった」

罰を与える孫兵のほうが辛いんだろうなぁ、とわかっている。ちょっとした当て付けだ。
孫兵って天然? と聞くと、紫苑には言われたくない、心外だと返された。
私としてはわりと独特な感性の持ち主だと思うんだけど、どうだろう。


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