近所を巡って、地理を知って、
家具を買って、調理器具を買って、食材を買って、コンビニ行って、外食して、料理して、
服を買って、本屋に行って、雑貨を買って、ダラダラ過ごして、
物を置いて、整理して、部屋を『今まで』に近づけていって、
碁盤を買って、ネット環境を整えて、一週間を過ごした。
一人暮らしなんかしたことないから、奮闘の日々だったけど、
お金はあるし、時間はあるし、義務はないから気楽なものだった。
そしてある朝、ジン君は何気なく彼の部屋から出てきた。
驚いたことに、長かったはずの金髪はすがすがしいほど短くなっていた。
「どうしたの?その髪」
「この世界の創造主に会ってきた」
「それで?」
「藤原佐為という名はすぐに通じた。
既に成仏して風化していたが、おかげでなんとか拾い集めることが出来た。
けれどその分、代償を寄越せと言ってきたからこの有様だ」
「……似合うよ」
「慰めはいい」
いや、本当のことだった。
ジン君はそもそも顔が綺麗だから、何でも似合うのだ。
長いのは長いで美形を強調していたし、
今は短髪にピアスが映えて、格好良い。
その思いが通じたのか、ジン君は少し表情を緩めた。
それにしてもさすがは神様の髪って価値があるんだね。
「それで、佐為は?」
「お前が呼べ。お前は神だ。神の言葉には言霊が宿る。
だから注意して使えよ。悪意と命令は出来るだけ口にするな。
他人の世界で大きなことをしでかすと、それだけ滞在できる期間が短くなる」
私にそんな力があるとは思えなかったのだけど、
ジン君が言うのだから本当なのだろう。
滞在できる期間が短くなるというのは大問題だ。
それにしても、
「ジン君。私はジン君って呼んでるのに、私のこと名前で呼ばないの?」
「必要があれば呼ぶ」
「そのうち『お兄ちゃん』って呼んでやるから」
「好きにしろ」
嫌味で言ったのだけど、ダメージは与えられなかったようだ。
緊張をほぐしたところで、気を取り直して、問題に取り掛かる。
口が滑らかに動いた。
「此処に召喚する。藤原佐為、降臨せよ」
手を翳した場所に光が生まれる。
瞬きをする間に、それは人の形になった。
ゆっくりとその瞳が開かれる。
彼は驚愕の眼差しで世界を、私たちを見たあと、自分の手を眺めて呟いた。
「わたしは……」
それは歓喜ではなく、驚きと戸惑いだった。
喜ばれると思っていた私は少しがっかりしたけど、
私に死亡宣告をしたジン君の気分で状況を語った。
「あなたはたしかに一度成仏した。それは運命の必然だったとわかっている。
でも、あなたはまだ囲碁を打ちたいはずよ。まだ、神の一手を極めていないのだから。
私は囲碁が好きで、それは趣味の範囲だったけど、偉大な棋士に貢献するのも悪くないと思ってるの。
やりたいことが決まらないから、しばらくの間私の時間をあなたに貸してあげる。
突拍子もなくて、押し付けがましくて、わけがわからないとわかっているけど、
期間は2,3年と決まっていて、こっちの事情に必要以上に干渉してはいけなくて、
私は人脈が薄いしプロになるつもりはないから、主な活動はネット碁ってことになるけど、
――それでも、碁が打ちたい?」
よくぺらぺらと言葉が出てきたものだ。
勝手に決めて実行したことだから、私に責任があって、それが緊張を生むのかもしれない。
自分の思いつきとエゴで運命を捻じ曲げているようなものだ。
余計なお節介と言われたらどうしよう。
「――打ちたい」
悩んでいると、佐為は私をまっすぐ見据えて答えた。
その表情には希望が宿っていた。
やっと、これでよかったのだと思えた。
「契約成立だな。こいつの名前は古戸玲奈。お前の主だ」
「ちょっとジン君、主って?」
「一応そういうことになるってことだ。こいつはまだ新米で自覚も薄いが、仮にも神だ。
お前の意志を尊重しそうな気もするが、取り決めには従うように」
「はい」
佐為は"神"という言葉に一瞬目を見開いて、私を見た。
けれど偉そうにしているジン君には一番の敬意を払っていた。
「神って言っても、囲碁の神様とかじゃないからね。棋力は全然」
「そう……なのですか」
「呼び捨てでいいし、敬語もいらないから。……ああ、癖なら仕方ないけど」
「わかりました」
これからいろんなことを説明しなきゃいけないことはわかっていたけど、
何から説明しようか悩んでいると、
ジン君は佐為と私を見比べて、一つ頷いた。
「じゃあ俺はもう帰るから。後は適当にやってくれ。必要なら呼べ」
「ああ、うん。ありがとう」
「それから玲奈、必要のないことを喋らないように。
守護霊にならまだいいが、特にこの世界の生身の人間に事情を明かすな」
「わかった。――やっと名前呼んでくれたね」
その言葉には答えず、ジン君は後姿で手を振って格好良く去っていった。
二人きりになって、佐為は私を見た。
「ええと、深いことは言えないけど、とりあえず出来るだけ質問には答えるつもり。これからよろしく」
「よろしくお願いします」
恭しく頭を下げる平安時代の貴族を目の前にして、
私は、急に偉くなったような、妙な気分に襲われた。