エピローグ:いつかの未来

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ようやく許された故郷への帰還。

16年。
私が「生きていた」のと同じ年月。
きっとすごく長かったのだと思う。
いろいろありすぎて「待ち望んだ」と一言で表せない。
不安で切望したときがあり、他の光に照らされたときがあった。
今では遠い思い出だけれど、私を形作ったもの、場所。
深い親しみと胸に込み上げる懐かしさや愛しさはかけがえのないものだ。

どうやってこの世界に降り立とうか と悩んだ。
いつものようにジン君にヒトの殻を作ってもらう? どんな外見で?
「私」は既にこの世界を旅立っている。
近所を歩き回るんだったら「そっくりさん」だとしても不自由があるだろう。
誰かを傷つけるかもしれない。
年を重ねさせる? 変装っていうか変身して別人になりきる?
せっかく帰ってきた故郷で自分を偽りたくない。

だから、とりあえずは最初に会ったときのジンくんみたいな、誰にも見えないカミサマの姿を選んだ。
霊体に近いんだけど、この世界に幽霊はいないらしいから定義が難しい。
ジンくんは猫だったけど、あれはジンくんが人間の姿にこだわりがないからだ。
彼は力の強い神様だから、できるだけ世界に影響の小さい形で滞在しなければいけないということもある。
私は慣れた目線の高さで歩き回りたかったから、ヒト型を望んだ。
いつもの佐為の様子を体験してるんだと思うと少しくすぐったい。
様子見というか、偵察にはちょうどいいと思うの。

降り立ったのは高校の校庭。
今は生徒の知り合いが誰もいないのに。
いきなり身内に会うのは抵抗があるのは、好きな食べ物は最後に食べる主義だから とでも言おうかな。
校舎の外見くらいは変わってないかと思ったら、
知らない内に新棟が建っていて、しかもそれが新品ピカピカというわけでもない。

時間の流れ。当たり前かぁ、あの世界ではあの子があんなに大きくなったんだもの。

ついでに放課後の職員室を覗いたら、
何人か知っている先生が少し老けた姿で仕事をしていて、もうそれだけで少し泣きそうになった。
囲碁部もどうなってるかなぁ って探したら、前に部室として使っていた教室には誰もいなかった。
新棟を探したら将棋部と共同の部屋で、ちゃんと活動していた。
棚には新しい賞状やメダルも並んでいる。

私にしか見えないけど、窓ガラスに映る今の私って高校生と同じ外見のはずなのに、
なんだか制服姿の生徒が、三年生でさえ微笑ましく思えた。
よしよし、ちゃんと頑張るんだよ なんて 先輩面して、栄光を願う。

そろそろ帰りましょう。
久しぶりの"下校"だ。

覚えのある町並み。そう、こういうふうだった。
ここを曲がるとここに繋がっている。
正確に覚えていたんじゃなくて、実物を見て思い出せたんだと思う。
少し道幅が広く感じて妙な気分でもある。
このバス停で夏実と別れたの。

夏実の家は何度も遊びに行ったことがあるから道がわかる。
寄ってみようかな って、そちらに向かおうとしたら、直感的に別の方向に惹かれた。
直感とか言霊とかそういう非科学的な要素は、神様の縁だとわかっているので、
「なんとなく」のまま、立ち入ったことのない団地周辺へ歩いていく。

けれど明確な何かはわからないから、うろうろするだけだ。
外で遊んでいるこどもたちが可愛い。
誰にも見えないから不審ではないし、そわそわした心を落ち着けるにはちょうどいい道草だとは思う。
知ってる人が誰かいないかな、みんな今は何をしているのかな なんて
高校生の年齢を倍にしたらどうなるか 想像できないから考えないようにしていた。
そのとき。

「玲奈!」

懐かしい声に、名前を、呼ばれた。
そんなはずないのに。
この声は誰?
まさか、まさか、私にジンくんが見えたように、"霊感"みたいな第六感に優れていた?

「夏実!」

大人になった。お化粧が少し濃い。でも一目でわかった。
ごめんね。ありがとう。大好きだよ。それから、それから
言えないだろうけど言うべき言葉なら何度も模索したはずなのに、全部吹き飛んでしまった。

「私!私っ! 私がわかる?」
「玲奈、お母さんは買い物行くけど一緒に行く?」
「うん!」

答えたのは私のすぐ後ろにいた、幼稚園児くらいの女の子だった。
夏実によく似ている。

「そっか、お母さんになったんだ」

夏実の実家を訪ねても、高校生の夏実はいない。
その当たり前のことが実感を伴っていなかったんだと思った。

「旦那さんはどんな人、かな。
夏実に似て、すごくかわいい子」

届かないとわかっていても、独り言が多くなる。
夏実が選んだんだから、きっといいひとだ。
たとえば私の知り合いだったら面白いのに。
夏実を素直に泣かせてくれる人だといい。
目線が合うことはないけど、しゃがんで、"玲奈ちゃん"に話しかける。

「あなたも、"玲奈"っていうの、ね。わたしと、おなじ、なまえっ」

泣きたかった。
音で聞いただけでも、字まで一緒だと確信できた。
こどもみたいに声を上げて泣いても、誰にも届かないし迷惑にもならないから、いいでしょう?
愛しくて、愛しくて、抱きしめたいのに この手はすりぬける。死者にはふさわしい。
まだこんなに涙もろい。悲しみを抱えて歩みを進めた彼女たちには遠く及ばない。

しゃがみ続けることができずに、地面に手をついて泣いていた。
泣きながら、せめて と 言霊を込める。言葉を尽くして願う。
これまでも愛しい人たちへ捧げてきたように、気休めのおまじないが彼女たちを守りますように と。

「あのね、私ができなかったことを頼むことになってしまうんだけど、お母さんを悲しませちゃダメだよ?
夏実は強いけど、もっと強くなってるかもしれないけど、かたいほどもろいってこともあるんだから。
あぁでもこどもは親を困らせるのが仕事だったりするのかな?
お母さんの気持ちって、私が本当にわかることはできないからっ」

「じゃあせめて、あなたに、あなたたちに不幸が起こりませんように、祈るね。
お守りみたいな物は託せないけど、少しくらいの事故の衝撃は和らげられるように。
強い危機を感じたときは、薄い結界が弾き飛ばしてくれればいい。
そんなものを残すことで私がこの世界に長く留まれないって言われてもかまわない」

「どうか健やかに。願わくは、あなたたちの人生が輝きを増しますように。幸福のときは長く続きますように。辛いことも乗り越える強さと助けが現れますように。どんなときも些細な幸福がたくさん降り注ぎますように。眠りたいときは悪夢を見ずにぐっすり眠れますように。短い休息でもしっかり疲れがとれますように。病と無縁でありますように。大切な人を失いませんように。どうかあなたに幸あれ」

ちょっと欲張りすぎたかもしれない。
でも、大人になったこの親友のことが、今でも心配でたまらない。
私だって生きてたら夏実にたくさん心配されていたと思うの。
だからいいの。

まだ言葉を尽くし足りない。
私はこの世界にいる間、彼女達と、そして他にもたくさんの私の大切な人たちへ、守護の言葉を探すために費やそう。
あぁ、なんて有意義なんだろう。


それで、制限が満ちたら別の世界に帰ろう。
私を待っていてくれる彼らの元へ。
いのちはまだ終わらないのだから。


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